手術しない変形性股関節症と親の介護ブログ

親の介護体験や 変形性股関節症 保存療法への取り組みに関する記録

赤ちゃんは好きじゃないけど

独身の人には意外とよくあることだと思いますが、私は人間の赤ちゃんがあまり好きではありません。幼児と言える年齢ぐらいまでも、あまり好きではないです。

でも、動物の赤ちゃんは大好きです。

 

この気持ちはなんなのか?と考えてみると、母親を独り占めしたい気持ちが、今でも心に強くあるからじゃないかな、と思うのです。

 

私は兄のいる妹で、私の下にはいませんでした。兄は6歳上だったので、家族の中でも一番幼かった私は、いつも優遇されていた気がします。

 

私の母親は、子供が大好きな母性あふれる人です。

 

私よりも幼い親戚の子供や近所の赤ちゃんのことも、すごく愛しい目をして可愛がりました。そんな母の様子を見るたび、私は悲しくなり、可愛がってもらっている幼い子達に対する嫉妬心は燃え上がりました。

 

母に対しては、今でもあの頃と同じように、独占したい気持ちがあります。

 

なので、やっぱり、今でも赤ちゃんを見ると、ライバル心に近い感情で、敵対心を持ってしまうのです。

 

昨日、バスに乗ったら、赤ちゃんをベビーカーに乗せた、若いママさん二人が乗ってきました。私はなるべく見ないようにしていたのですが、ふと、向かい側に座っていた高齢の女性が目に止まりました。

その人は、赤ちゃん達を とても愛しそうな目で にこにこと優しく見つめていたのです。そのような光景は今までにも何度も目にしていたはずなのに、私はそのとき、その優しいまなざしに、言いようのない温かい心地よさを感じて癒されたのです。

 

認知症になった母ですが、今でも赤ちゃんを見れば、同じように優しいまなざしを向けるでしょう。そんな愛情深い母に対して、悲しいという感情を抱いていた私の未熟さに、ようやく心が気づけた瞬間でした。

 

でもやっぱり、赤ちゃんはあまり好きではありません。

 

この気持ちもいつか変わる日が来るかもしれませんが、私にとって赤ちゃんは、永遠のライバルのままでもいいかな、という気もしますね。

 

f:id:miyuyuchang:20200213203151j:plain

 


生き方ランキング

障害があると気が引けることについて考える

このところ、歩く機会が増えたことで 脚の力は以前よりアップしてきた感じはするものの、やはり変形性股関節症ならではの、立ち上がる瞬間や 歩き出しの あのグキッとくる痛みはなかなか軽減されません。

 

f:id:miyuyuchang:20200116194733p:plain

 

最近では、バスに乗ることが増えてきました。

 

目的地に到着し 座席から立ち上がって降りるまでが 痛みは1番きついです。

でも、あまり時間をかけても悪い気がして、痛みをこらえ あちこちつかまりながら なんとか早めに降りるようにしています。

 

もう少し高齢になれば、

「お年寄りだからゆっくり降りても仕方ないな」

と見られるかな、と思えなくもないですが・・・・。

 

私が心配するように、

「あの人はまだ若いのに、なんでさっさと降りないんだ!」

なんて思う人は、世の中きっと少ないはずですね。

 

もし私が逆の立場で、そんな心配をする人に会ったら

「そんなこと思う人なんていないよ!」

って、一生懸命伝えると思います。

 

それでも、自分のどこかにハンデを感じている人は、こんな思いをいろいろな場面でしているのだろうな、と思います。

 

高齢になって身体が思うように動かせなくなっても、バスに乗ったり買い物をしている人をたくさん見かけます。

 

「なるべくみんなの迷惑にならないように・・」

そんなふうに考えて 悲しいほどに気を使っている人は多いように感じます。

 

その気持ち、すごくわかるからこそ 優しく見守ってあげられるといいな、と思います。

 


股関節症・股関節脱臼ランキング

介護離職からの再出発

両親の介護から解放されて約2ヶ月。亡くなった父の手続き関係は先月でほぼ終わらせることができましたが、介護離職をしてしまった私たち兄妹は、これから仕事再開に向けてなんとかしなくてはなりません。

 

介護する前まで私は、フリーで仕事がそこそこ取れていたので、またそれを復活させればいいかと言えば、世の中そんな簡単なものではありませんね。兄も同様です。

当時の人脈はとっくに切れていますし、仕事の技術的にも長年のブランクがあることにより、だいぶ落ちています。再開に向けては かなりの準備期間が必要です。

 

仕事再開への不安は常について回ります。

 

股関節が悪くなってしまった今となっては、手っ取り早く外に出て働くことはままなりません。糖尿病を患っている兄も同様です。

両親の介護をしている間や、父の葬儀や手続きなどに追われている間は、とにかく無我夢中で、仕事やお金の心配をする考えの余裕すらありませんでした。

でもようやく、新しい課題に向けて気持ちを向けられるステージに進んできたのかな、と思うと、前を向いて頑張る気持ちも湧いてきます。

 

「なんとかなるさ!」と、考えると 心の中の不安な雨雲が蹴散らされる感じがします。

 

今現在、なんとかするアテがなかったとしても、今までの人生振り返ってみると、不思議となんとかなってるから 今がこうしてあるのだな、と思います。

 

f:id:miyuyuchang:20200202142104j:plain

 


高齢者介護ランキング

認知症の前兆

2020年現在 介護施設に入っている 要介護4の母の様子がおかしいなあ、と思い始めたのは、2007年の春頃からだったと思います。

介護認定を受けて要介護3が認定されたのは、それから7年後でしたから  だいぶ進行するまで介護サービスは受けずにやってきました。

 

認知症の前兆らしき言動は、後から考えるといろいろ思い出されてきましたが、当時は単に歳のせいで理解力が低下しているのだろう、という程度にしか思いませんでした。

認知症のことは当然知っていましたが、自分の親と認知症を結び付けて考えることはなかったのだと思います。

 

前兆らしきものとしては、料理が得意だった母の味付けがおかしくなっていたり 作る料理がだんだんワンパターンになってきたり 炊飯の水の分量が適当になってきたりと、料理の面で数多く表れていた気がします。

包丁で深く手を切ってしまい、救急車を呼んだこともそのひとつでしょう。

包丁で手を切るなんてことは、それまでの母にはなかったことですから。

 

洗濯機などの家電製品を買い替えた際にも、単純な操作ですら、何度教えてもできなくなっていました。

私や兄が出かける予定や帰宅時間を何度伝えても、またすぐに忘れて何度も何度も聞き返してくるようになっていました。

思い返してみると、字を書くことや新聞などの文字を読むことも、徐々にしなくなっていたように思います。

そして、次第に外出の機会が減っていき、ついには何日も何日も家から出なくなってしまいました。

 

その頃でも私はまだ母のことを 認知症になりかけているとは気づけませんでした。

「たまには外に出ないと 身体に悪いよ!」と言って、外出しようとしない母を責めたことも何度もありました。

 

「なんで覚えられないの!?」とか、

「どうしてすぐ忘れちゃうのよ!」とか、

認知症になりかけていた母には、きつい言葉をたくさん投げかけてしまいました。

 

その時の母がどんな気持ちでその言葉を受け止めていたのかと思うと、

今はただただ 悲しく辛いです。

 

f:id:miyuyuchang:20200115204956j:plain

  


高齢者介護ランキング

股関節症の脚長差

変形性股関節症の人の多くがそうであるように、私も左右の足の長さはすでに3㎝位の違いがあります。股関節の悪い左足の方が 短くなっているので、まっすぐに立つためには、左足はつま先立ちをしなければ釣り合わなくなっています。

 

それを補うために、左のかかとが上がるようなインソールを入れてみたことがあります。室内で履くスリッパにもそれをつけて 左右のバランスを取るようにしていたのです。2,年間位は続けていたような気がします。

 

インソールを付けていると、左のかかとにも圧がかかるので、ある程度しっかり歩けているような感じはするのですが、多少歩きすぎると 股関節への痛みが強く出るように思いました。片足だけヒールの高い靴を履いて歩くようなものだからでしょうか。

 

ある時期から、今度はインソールを外し、脚長差があるままの元の状態に戻して生活してみました。最初はかなり違和感を感じ歩きにくくはあったものの、多少歩きすぎても股関節への痛みは、インソールを付けていた時よりはずっと軽く感じられました。

 

多少ゆがみがあっても 自然のままに任せていた方がいいのかな、と思っていますが、これからまた どのような変化が起こってくるかわからないので 様子をみるしかありません。

とりあえず今は 脚長差を補うようなことはしないで歩いています。この状態で歩く機会を増やしたことで 筋力がついてきて 痛みのレベルも下がっていることは実感できています。

 

変形性股関節症の人にとっては、なにがよくて、なにか悪いのか、一概には言えない個人差がすごくあるものだと聞いています。私の場合、まだまだ試行錯誤を繰り返している最中ではありますが、自分の脚と常に対話を繰り返し、もっと力強く歩ける脚にまで復活させたい気持ちでいっぱいです。

f:id:miyuyuchang:20200124161933p:plain 

 


股関節症・股関節脱臼ランキング

賃貸保証人見つからず苦労する

父が亡くなり 賃貸契約の名義人が兄に代わった関係で、新たに保証人を2人立てなければならなくなり そのことがずっとずっと悩みの種でした。

ひとりは、以前からお願いしていた方に継続して頼めました。

問題は、あとのひとりです。

今となっては 頼める親戚はいません。

 

今までは保証会社に依頼していましたが、費用が高額な上、今のところ2人とも介護離職して収入がないので、この段階で審査に通るとは思えません。

 

いろいろ思い悩んだ挙句、こうなったら親友に頼んでみようか、と思いました。

私には学生時代からの 長い付き合いの親友がいます。なんでも本音で語り合え 気兼ねのいらない間柄ですが、保証人を頼むのはどうしても気が引けてしまいました。

 

そのことによって関係が悪くなるとは思えませんでしたが、

断られたらどうしよう。。。。という思いや、

逆に、断るに断れず 無理して引き受けてもらうようになっても悪いし。。。

という様々な思いが渦巻きました。

 

それでも「お願い!助けて!」という祈りにも近い気持ちと共に、思いきってお願いしてみたところ、快く引き受けてくれたのです。

 

私がこの件で、ずっと思い悩んでいたことを知ると、「もっと早く言ってくれればいいのに」と 思いやりのある言葉も聞けて、ありがたくて涙が出ました。

 

ある時期まで 私は比較的人に頼らず生きてこられたせいか、人になにか頼むのはとても勇気がいることで 苦手でした。でも、介護が始まり 自分の脚が悪くなってきた頃からは、人の助けなしではいられなくなってきました。

 

本当に困ったときには、人に助けを求めてもいいんだ! ということを 今回はつくづく実感しました。だけど、助けてもらってばかりだと、なんとも居心地の悪さを感じるものです。

 

そんなときは、今の私でも力になれることを、世の中に少しずつでも返していけば、なんとなく収まりがいい気がします。

f:id:miyuyuchang:20200116181501j:plain

 


生き方ランキング

死に向かう意識状態について考える

老衰死に向かっていった父の様子を思い出しては、どんな意識状態であったのか、あれからずっと気になっています。食事が摂れなくって、水分を摂ることも受け付けられなくなり、点滴だけで過ごしていた数日間。

 

私が最後に会えたのは、父が亡くなる3日前でした。

その時は、もうガリガリに痩せていて 声を出すのもやっとの状態であったにも関わらず、私と兄の姿を見ると、「よかったよかった!」「よかった!よかった!」と、絞り出すような声で言いながら、私達を拝むように手を合わせたのです。

 

いつもは私達が面会に行っても、ここまで大げさに喜ぶ様子を見せることはなく、戸惑いました。

なので、なにがそんなに良かったのか気になって、

 

「なにがよかったの?」

と聞いてみると、なにか聞き取れないことを口にしたので、もう一度

「なに?   なにがよかったの?」

と聞いてみると  やはりなにか言おうとしているのですが、はっきりした言葉にはならないのです。

 

その時の様子は、動画にも残してあり、何度も再生しては、なにを言おうとしていたのか分析しようと試みましたが、やはりわかりません。

 

あの時、父はかなり衰弱していたにも関わらず、なぜ私たちの姿を見てあんなにまで興奮して喜んでくれたのか、本当のところはわかりませんが、その手掛かりとなるようなことが NHKで放送していた番組を見ていてわかりました。

 

それは、認知症医療の第一人者であり、自らも認知症を発症してしまった 長谷川和夫医師のドキュメンタリー番組でした。

その中で 長谷川氏自らが、認知症になってからの不確かな意識状態を語るところがありました。

 

今この瞬間が、夢なのか現実なのか、今自分はどこにいるのか、何者なのか‥わからない。「確かなもの」が得られなくなっているという不安な思いを、伝えていました。

 

でも、そのような混沌とした不安な意識状態の中にあっても、一緒に住んでいる奥様からの「おはよう」とか「よく眠れた?」といった声掛けがあると、そこで確かな何かが得られ、安定する、というようなことを語っていました。

 

父は認知症ではありませんでしたが、亡くなる直前は、自分が生きているのか死んでいるのかわからないような、混沌とした意識状態にあったように感じます。

 

そんな不確かな意識状態の中、私達家族の姿が見えたので、そこでようやくこの世にまだ自分は生きている!という確かなものが得られ、あんな喜びになったのではないかと思っています。

 

認知症の母はまだ生きています。

明日は母に会いに行き、少しでも確かな安定感を与えてあげたいと思います。

f:id:miyuyuchang:20200112200344j:plain

 

 


シングル介護ランキング