2020年の春は、新型コロナウイルスの感染により 誰もがお花見どころではなかったですね。でも、例年なら多くの人が、それなりに桜の花を愛でる余裕はあったのではないかな、と思います。
ここ数年の私は、桜をゆっくり眺めることもないままに 介護に追われた毎日を突き進んでいた気がします。
外出できるのも近所に買い物に行くのが精一杯のような介護生活だったので、桜が咲いているのをチラッと視野に入れた程度で、大急ぎで家に帰っていたことを思い出します。
2018年の3月末に、父が肺炎や心不全にかかり入院したときには、ちょうど病院の桜が満開の時期でした。
ドクターからは、「もしかしたら、長くもたないかもしれません」といった感じで、死も覚悟してほしいことを伝えられ、父親の死というものを、初めてリアルに意識した春でした。
そのときから父は1年8か月も生きてくれました。
退院し1年3ヶ月ほど家で過ごすこともできました。
でも、あの2,年前、病院の桜が満開だった頃に受けた、父が死んでしまうかもしれない、というショックがあまりにも強烈で、満開の桜を見るとその時の感情がこみ上げてきてしまいます。
父は2012年に腹部大動脈瘤の手術をしたことがあり、そのときにも命の危険があるかもしれないことを伝えられています。そのときこそ、生まれて初めて父の死を意識したわけですから、ものすごい不安とショックを受けましたが、そのときの父は88歳。
それまで元気でいられた人なので、私の心の中でも、きっと大丈夫!と信じる気持ちも強かったように思います。
でも、桜が満開だった頃の 次の入院はそれから6年近く経っていて、父は93歳になっていました。
ドクターからも「これだけ高齢になると・・・」と、と言われてしまうと、黙って納得するしかない気がしました。
もうすぐに父は死んでしまう!と思って、毎日泣いていたことを思い出します。
それでもとりあえず2ヶ月半くらいで退院にまで漕ぎつけることはできたのですが、今考えるとそのときから確実に、父の人生において 死へのカウントダウンが始まっていたのだと思います。
今はまだ、桜が悲しい思い出に直結してしまいますが、年月が経つごとに 父と過ごせた最後の優しい思い出へと 変わっていくような気もします。