父が亡くなってから来月11月で1年経ちます。
父が使っていた物は、まだ処分する決心がつかずにほとんど残してありました。
残しておいても、もう絶対に使うことはないものばかりだし、思い出として残しておくなら、ほんの少しの量だけ残せばいいとは思っているけれど。。。。
なかなか捨てる決心がつかない。
父が使っていたスリッパも、もう使う人はいなくなったけれど 捨てるに捨てられず、玄関の靴箱の中にひっそり入れておきました。
先日ふと取り出して見てみたら、一年近く放置していたせいか、劣化して汚くなってしまったので、そこでやっと捨てる決心がつきました。
残しておくつもりなら、きちんと管理しておかなければダメですね。
そんなに古いスリッパでもなかったのに、履く人がいなくなって、放置されてしまうと、物って劣化は進んでしまうんですね。
物も、持ち主と一緒に死んでしまったような感じがして、またまた悲しくなってしまいました。
涼しくなってきて作業しやすくなってきたこともあり、このタイミングで、父の下着類を大量に処分しました。亡くなる2年間くらいの間は、入退院を繰り返していたので、下着やパジャマなどは、かなり買い足したので量がありました。
でも、パジャマはまだ一枚も捨てられません。
そのうち。。。そのうちにまた、少しずつ。。。
父の物だけ捨てるのは、なぜか可哀そうな気がして、母の履物も3足ほど一緒に処分しました。これも、もう絶対に使うことのない物でしたが、なんとなく捨てられずに残していたのです。母はまだ生きているので、捨てる時の悲しみ度合いは だいぶ少ない感じはしました。
本来なら、私の物も一緒に処分したいくらいなのですが、基本的に私は片付けはかなり好きな人間なので、自分の不用品はそんなにないのです。それでも、今後父の遺品を処分する際には、自分の物とか兄の物なども一緒にしたい。
なぜだろう?
亡くなった父の持ち物だけ旅立たせるのは、やっぱりかわいそう。。という気持ちがあるからなんでしょうね。
父の持ち物は、父がまだ生きている間に、ずいぶん処分したり片付けは進めておいたので、今残っている物も、すべて私が把握できる状態になってはいます。
父が亡くなるまでの2年間に、私はけっこう必死で片づけました。
それは、亡くなることを予感して片付けていたわけではなく、きっかけは入院でした。
下着やパジャマなど、何枚持っているのかよくわからずに、最初の入院時には 家にあるのに無駄に買い足してしまったので、これじゃいけないな、と思って。
それまでは、父の持ち物は自分で管理してもらっていたのですが、ある程度高齢になってくると、認知症でなくても任せるのは難しくなってきますね。
父が亡くなる4ヶ月ほど前、父のタンスを片づけていると、これってもう履かないよね~っと思える古いズボンが何本も出てきて、父にも確認してもらいながら 一緒に片づけたことが思い出されます。
その他にも、私が古い書類の入った箱など見つけ出してきては、一緒に確認してもらいながら仕分けしたり 処分を決めたりしたことが、今となっては本当にいい思い出になっています。
遺品の処分にはかなり抵抗があったけれど、ようやく少しずつ手を付けていけるようになったということは、私の心も少しずつ整理されてきているのかな、と思います。