手術しない変形性股関節症と親の介護ブログ

親の介護体験や 変形性股関節症 保存療法への取り組みに関する記録

激しい痛みに襲われる 股関節症4年目

股関節症4年目 2013年前半の記録です。 

 

この年の5月頃から、激痛といえる位の激しい痛みを感じるようになってきました。

股関節のかみ合わせの悪さによる、グキッとした激しい痛みが、脚を踏み出すたびにグキグキ襲いかかります。

 

その痛みは、目から火花が散るような痛みなので、痛い方の脚を踏み出す瞬間は、まさに地雷を踏むくらいの恐怖で、怖くて最初の一歩がなかなか踏み出せません。

 

横になっても痛くて、寝返りを打つのも必死で、十分に睡眠がとれない日も増えました。椅子に座っているのが、一番ましな体勢でした。

 

それまでにも感じていた痛みが、さらにグレードアップした感じです。

この頃の痛みこそ、痛みレベル最強の10を感じていました。

 

4月の段階では、一万歩以上歩いたという記録もあり、春頃までは痛みレベル3程度で、調子がいい時もあったのです。

 


この年はまだ、整骨院にも通っていました。

 

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整骨院で施術してもらうと、その直後はほとんど痛みを感じないレベルになっているのに、その帰りに、買い物をして店内を少し歩き始めると、また股関節が不安定になって、痛みがすぐに出始めました。

 

お風呂に入るのも、必死でした。

立ったままシャワーだけで済ませることも多くなりましたが、それでも多少腰を曲げたりする姿勢をする必要もあり、それが痛く、立っていることもかなり辛いものでした。

 

介護用の踏み台を使い、なんとかバスタブに浸かって身体を温めると、硬直していた筋肉が緩み、痛みは緩和されました。でも、しばらくするとまた、激しい痛みが復活します。

 

そろそろ杖が必要なのかな、と考えだした頃でした。

 

ここでちょっと今までの記録を振り返ってみると、この年から急激に悪化したのは何が原因なのかな?と私なりに今でも分析しています。

 

そこで考えられることは、親の介護が大変になってきたことにより、身体的、精神的な負担が増し、変形性股関節症の進行が加速したのではないかなと。

 

この時の、股関節がガクガクするような不安定で強烈な痛みは、その後整骨院に通うのをやめてからは落ち着いてきました。

 

とはいえ、整骨院の治療が悪かったというわけではなく、整骨院では一時的に硬直した筋肉を緩ませてくれ、一時的に歪みを矯正してくれるまでが精一杯だったと思うのです。

 

整骨院でやってもらえたのは、あくまでも一時的な緩和のみでした。

 

そこから、できる範囲で自ら、衰えた筋力を復活させていくことができたら、あんなにひどい痛みに襲われることはなかったように思うのです。

 

でもあの時の私は、自分の力でなにをどうしていいかわかりませんでした。

 

親の介護も日に日に大変になり、自分の身体をケアする時間を取ろうとする、心の余裕は失っていました。

 

今現在は、整骨院には通っていないし、思うようなケアもトレーニングもまだできてはいませんが、激痛に襲われることは、ほぼ起こりません。

 

それは、股関節周りの筋肉を一気にほぐすようなことは、避けていますし、自分にとっての身体の使い方が、ある程度わかってきたからだと思います。

 

それでも、季節の変わり目などで急に気温が上がり、硬直していた筋肉がゆるんだ感じになった日には、関節がグラグラ不安定になり変な痛みが出ることもあります。

 

たぶん、長年に渡って硬直した筋肉は時間をかけて徐々にゆるませ、そのゆるみ具合に見合った筋力を少しずつ付けていくことが、今の自分にとっては、安定した股関節に向かう道ではないかと考えています。

 

試したいことはいろいろ浮かんでいるので、じっくりゆっくり取り組んでいこうと思っています。

 

 


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人生最後の里帰り 母の介護3年目

2012年 認知症になった母の介護 3年目の記録です。

母の実家は東京都と言えどかなり自然豊かな所で、うちから車で一時間以上行ったところにあります。

そこはほんとうにもう、ここは東京都なの!? っていう位のカントリーです(*'ω'*)

 

母が元気だった頃は、実家との行き来も頻繁にありましたが、実家に住んでいる叔父さん叔母さん(母の弟夫婦)も高齢になり、徐々にその回数も減っていきました。

 

それでも、叔父さんはこの頃はまだ、時折母の様子を見に来てくれました。

しばらく顔を合わせていなかったせいか、叔父さんは、母の様子がこれまでとは違うことに、ちょっと戸惑っているようでした。

 

この頃の母は、まだ会話もある程度は成立させることができ、足腰もわりとしっかりはしていたものの、超元気だった頃の母しか見たことがなかった叔父さんには、初めて見る母の変化に驚きを感じたのかもしれません。

 

叔父さんはこのとき、しばらく実家に来ることのなかった母に、遊びに来るよう積極的に誘ってくれました。

 

私はその時、今の母の状態で、人様の家に招かれて大丈夫だろうか?という心配がよぎりました。

 

トイレを借りた時、床とか汚しちゃったら困るな、とか、食べこぼしとかしそうだしな、とか。

 

でも、母が里帰りできるとすれば、これがラストチャンスかもしれない、とも思ったので、母を連れて遊びに行くことにしました。

 

当日は、叔父さんが車で迎えに来てくれて、母と仲の良かった義妹の叔母さんも加わって、途中にある観光資料館なども立ち寄ったり、母の幼なじみが入所しているという老人ホームにも立ち寄って、母に会わせてくれたのです。

 

母の幼なじみのおばあさんは、車椅子に乗せられ静かにやってきました。

母とは同級生とのことでしたが、母の方がずっと若く見えました。

 

そのときの母は、まだ支えがなくても歩くことができ、ある程度の会話もできました。

 

「〇〇ちゃん!わかる?私だよ。〇〇だよ!」

 

母が問いかけると、そのおばあさんは、ただニッコリと微笑んで、母のことを無言で見つめていました。

 

会話はできないようでした。母のことをわかってくれたのかどうかは不明ですが、ふたりを会わせてあげることができて良かった、と、今になっても改めて思います。

 

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母の実家に招かれると、叔母さんが早朝から腕を振るって作ってくれた、大量の料理が用意されていました。

 

野菜の煮物とか、お赤飯とかおはぎとか、母が元気だった頃にはよく作ってくれた料理が、たくさん作ってありました。

 

母は和食が得意でした。正直言うと、私は子供の頃からずっと、和食はあまり好きではありませんでした。それを知っている母は、私のために別のメニューも用意してくれるようなまめな人でした。

 

でも、母が料理をしなくなってから、母の和食の味が恋しくて恋しくて、仕方ありません。実家の叔母さんの味付けは、母の味に似ていました。

 

久々に口にした、母の和食に近い味に、胸がいっぱいになりました。

 

行く前から心配していた、母のトイレの失敗や食べこぼしもさほどなく、無事に帰ってくることができました。

 

母にとっては、人生最後の里帰りになると思ったので、この日の記念になればと思い、みんなで写した写真をたくさん撮って、後日プリントアウトして送りました。

 

届くとすぐに電話があり、叔父さんも叔母さん達も、とても喜んでくれました。

 

「歳を取ってくると、なかなか会えなくなってくるし、こうしてみんなで写真なんか写すこともないから、なんだか涙が出るほど嬉しいよ」

 

と、一緒に行った母の義妹である叔母さんは、やけに大袈裟に喜んでくれました。

 

写真くらいで、こんなに喜んでもらえて嬉しいなあ、と思った覚えがあります。

 

このとき喜んでくれた叔母さんは、約3年後の2015年4月、心臓が悪かったために亡くなってしまいました。

 


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自転車の乗り降りが困難になる 股関節症4年目

変形性股関節症発症4年目。2013年に入ると、自転車の乗り降りがとても困難になってきました。

 

乗って漕ぎだしてしまえば大丈夫なのですが、乗り降りするために片足を上げることができません。

 

特に、買い物をして帰る時には、すでに脚も疲れて痛みも出ていることが多く、ほとんど脚を上げることができず、自転車を引いて帰ることもよくありました。

 

「電動自転車にしてみたら?」

と、人からはよく言われましたが、漕ぐのが困難なわけではなく、乗り降りの際の脚が上がるか上がらないかの問題なので、電動自転車では解決できません。

それに、電動自転車は重すぎて、駐輪する際など とても扱いにくい気がします。

 

疲れていたり、気温の変化などにより脚が上がらない時には、まったく片足を上げることはできなくなりました。

 

自転車は、股関節症から11年経った今でも、乗って買い物などには出かけています。

 

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今でも疲れていると脚の上りは悪くなりますが、自転車を引いて帰ることはここ数年しないで済んでいます。

 

脚を上げるまでに体勢を整えて、かなり時間をかけて乗ることも多いですが、なんとかなっています。

 

こんな状態で乗っているので、急ブレーキをかけて止まるような状況になるとかなり危険なので、スピードは出さないし、見通しの悪い所や狭い道は走りません。

 

他の自転車が来ると私はかなり端に寄っているのですが、道幅がすごく広い舗道なのに、私の横スレスレに走っていく人がけっこう多いのは、いつも何故なんだろう??と思います。

 

特に若い人が多いですね。横スレスレをかなりのスピードで走っていくので、こちらがバランス崩してしまいそうで、かなり怖いです。

 

しかし、よくよく考えると、脚が悪くなかった頃は、そんな走り方をする自転車が近づいてきても、別になんとも思ってなかった気がします。

 

脚が悪くなると、見える世界も感じ方も、いろいろ変わってくるものですね。

 

自転車にはいつもまで乗れるかはわかりませんが、次に買い替えるとしたら、低床フレームの自転車がいいかな、と考えています。

 

今乗っている自転車も古くなってきているので、早めに買い替えてもいいのですが、ある程度脚が上げられるうちは、なるべく今の自転車で鍛えておきたい気持ちもあるのです。

 

股関節症4年目には他にもいろいろな変化がありますので、続きはまた。

 

はてなスターは当面の間、非表示とさせていただきますが、フォローさせていただいている方のブログは、今まで通り見に行きます(^^♪

 

 


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失禁のはじまり 母の介護3年目

母の認知症介護3年目

2012年の年明け頃から、母にはそれまでには見られなかった異変が出始めるようになってきました。

夜間、トイレの床が濡れていたり、まだ家族が寝静まっている朝方、母は下着をこっそり着替えたりしていることが増え始めました。

 

今の私の感覚からすると、その位のことで動揺していた過去の自分の未熟さに驚く程ですが、あの頃の私は、その気配に気づきかなり動揺しました。

 

そして、そのことに気づきつつも、母に状況を詳しく聞くことは、しばらくの間できませんでした。

 

真実を認めるのが 怖くて聞くに聞けない。

 

それが、あの頃の正直な私の気持ちだったと思います。

 

母も私に助けは求めませんでした。認知症がかなり進行するまで、母は母なりにプライドをぎゅっと、握りしめていた気がします。

 

母は耳も遠くなっていたので、そのことでも余計に意思の疎通に不便を感じていました。

 

2月9日の日記にはこのような記述がありました。

 

母の耳元で大きな声で何回も言ったら、キレられた!

何回も同じことを訊かれるのは疲れるし、聞こえないから大きな声で言うしかないのに、もうどうしたらいいかわからない!

。。。泣いた( ノД`)シクシク…。。

 

そうそう!母がまだある程度は言い返せるだけの能力があった頃は、毎日のように言い合いをしていた時期もあったなあ、と思い出しました。

 

母も不安でイライラしていたんですね。

 

その想いを汲んであげる余裕は私にはなく、私は私で、物分かりの悪くなった母に対し 、その場で感情をぶつけることしかできませんでした。

 

ダメになっていく母を受け入れたくない気持ち、しっかりした母に戻ってほしい気持ち。そんな想いが、その頃の私には言いようのない感情とともにあったような気がします。

 

認知症が進行していくにつれ、失禁がらみのことでは、もっともっと大変な目に数限りなく遭遇していきました。

 

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初めてのことには、その都度動揺していましたが、だんだん慣れていくものですね。

 

過去の日記を読んでいくと、「ああ。あの頃は、こんなことでも動揺していたんだなぁ」と思うことが多いです。

 

この変化も、人としての成長のひとつ、といってもいいかな、と思います。

 

ଘ(੭*ˊᵕˋ)੭  ଘ(੭*ˊᵕˋ)੭  ଘ(੭*ˊᵕˋ)੭  

 

施設に入った母の面会は、今でもまだアクリルボード越しに、かなりの距離を取った上でのことになりますが、先日も会ってきました。

 

もう母には会話を成立させることはできないものの、調子がいいときには一方的になにか話してくれます。

 

話すといっても、意味不明なこと、なんの脈略もないことを口にするだけです。

 

毎回行くたびにその日の母の様子を、ちょっとだけ動画に記録しておくのですが、前回はその撮影中に母が

「でも、寂しくはないし」

と、唐突に口にしたのです。

 

えっ!? と思って、一緒にいた兄も一瞬驚いていましたが、母には今の自分の気持ちを、言葉にできる能力はもはやありません。

 

たまたま口に出た言葉のひとつだったのでしょうけれど、その言葉に救われました。

 

今はただ、一刻も早く母に触れたいです。

 

 

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股関節症3年目からは痛みが本格化!(2012年)

変形性股関節症の発症から3年目(2012年)の記録です。

 

2012年1月

この年から初詣に行けなくなっています。それまでは毎年、神奈川県にある川崎大師に初詣に行っていました。うちから川崎大師までは電車を使って2時間半~3時間位はかかってしまう距離です。この年、川崎駅まではなんとかたどり着けたのですが、その先は脚の痛みが強く出て断念しました。

 

2月頃からは、全身の筋肉痛が出始めました。それまでは、左側の股関節周りだけの痛みで治まっていたのが、徐々に身体全体にも痛みが出ています。

 

4月 両脚共に筋肉痛がひどく出ています。特に、鼠径部の辺りの硬直感が強くあり、脚を曲げるのにひどい痛みを感じていました。

 

両ももの筋肉痛にも悩まされています。脚を曲げることがとにかく痛かったので、お風呂に入るのもひと苦労でした。

 

 両脚ともにちょっとでも曲げられないほどの痛みが長く続き、5月半ばから近くの整骨院に通うことにしました。

 

整骨院では半月間くらいは一日おき位に集中的に通い、その後は月に一回位のペースで通いました。

 

miyuyuchang.hatenablog.com

 

整骨院に通い始めた5月下旬には、7000歩以上歩いても脚の痛みはさほど出なかったようです。ずっと続いていた 鼠径部の辺りにはがねが入ったかのような硬直感も、解消されました。

 

6月は電車で2時間半~3時間位の遠出を2回もしていますが、さほど強い痛みは出ていません。整骨院が効いているようです。

 

7月 この時期も足裏に何カ所もできてしまったウオノメやタコの痛みに苦しんでいます。

30分程度であっても、電車移動で立ち続けることがかなり辛くなってきました。

 

8月 再びまた鼠径部にはがねが入ったように硬直する現象が出てきました。

 

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整骨院に行った直後は楽になるものの、時間がたつと徐々にまた固まっていくような感じになりました。脚を曲げることはもちろん、少し身体を倒すおじぎのような姿勢も、痛くて動かすのがやっとでした。

 

10月には、父親が腹部大動脈瘤の大きな手術をすることになり、10日間くらい入院することになり、かなり忙しく脚を酷使することになっています。ただ、気候的には暑くもなく寒くもなく快適な時期だったからか、父のことで気が張っていたからか、脚の痛みはなんとか精神力で乗り越えられました。

 

11月からは、気温が下がってきたことが影響しているのか、痛みが強く出てきています。骨盤矯正ベルトとか、股関節サポーター付きのスパッツとか、役立つかもしれないと思えるものは、この頃からいろいろ調べて買い求めました。

 

股関節症3年目は、まさに徐々に悪くなっていった感覚があります。整骨院に通い始めてからは、ちょっと良くなった感じはあったのですが、私にとっては一時しのぎでしかなかったのかな、と思います。でも、その後もずっと整骨院には長く通い続けています。

 

今振り返ると、この時なぜこのような痛みが出たのか、その時の自分にとって何が悪かったのかとか、ある程度分かるようになってきました。そのようなことについては、また改めて書きたいと思います。しばらくは、過去の経過報告を中心に書きます。

 

今回もまた自覚できる股関節の痛みと疲れのレベルを 数値で表してみたいと思います。

痛みなしをレベル 0

最大の痛みをレベル10

とすれば、発症時3年目はレベル3~10位までの幅があり、平均としては7~8位の痛みをずっと抱えていた気がします。脚長差はこの頃はまだそんなになかったと思います。 

 

2021年 発症時11年目の現在はレベル5~6くらいなので、痛みだけ比べたら今のほうがずっと楽です。

 


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介護1年目の記録(2011年)

2011年4月から 母は認知症と診断され、薬も飲み始めました。

 

miyuyuchang.hatenablog.com

 

 この年以前から、母はできなくなることが増え、多少おかしな言動もしていましたが、一応この年を介護1年目として記録しておこうと思います。

 

この年の1月。母は入れ歯の調子が悪くなり、新しい入れ歯にしていますが、これがなかなかうまく馴染めず、その間、普通の食事が摂れなくなりました。

 

1/19~4/4までずっと歯医者に通って調整していました。

 

本来なら調整だけにこんなに長く通う必要はなかったのですが、母は歯医者さんに、入れ歯が当たる箇所をきちんと伝えられなかったり、今までとは違う、ちょっとした違和感に対する我慢ができなくなっていたように思います。

 

そのため、調整のためだけに、何回通ったかわからないくらいです。

 

毎日母のためだけに きざみ食などの柔らかい食事を用意したり、入れ歯をなんとか使えるように練習したり、歯医者に付き添ったりと、歯のことだけでも疲れ果てました。この年の3月には東日本大震災もあり、東京都でも計画停電など実施されていた時期も重なり、さらに大変でした。

 

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いっそのこと、入れ歯なしでもいいかな。なんて考えも浮かびましたが、嚙む力が弱まると認知症状は進行しやすいと聞いたし、今から食事をする楽しみを失わせるのもかわいそうだと思い直し、なんとか頑張り続けました。

 

そして、4月くらいになって、やっと入れ歯が使えるようになったのです。

 

また、この年の11月には足のくるぶしの辺りの腫れが続くようになり、整形外科を受診しています。

 

そこで関節炎と診断され、同時に骨粗しょう症の治療も勧められ、その後ずっと通院することになりました。

 

この年の秋頃まで、母はご飯とお味噌汁とちょっとした煮物は、たまに作ることができていました。食べ終わったお皿を洗ったりすることも、多少できていたように思います。

 

でも、次第にお味噌汁も煮物もワンパターンになり、味もおかしくなっていきました。

すごく料理上手な母だったのに。

思い返してみると、これが母が最後までできた唯一の家事でした。

 

それでもまだ、母は家の中をひとりで自由に歩き回ることはでき、会話もできました。私の言ったことに、言い返すこともできただけに、私はイライラを母に激しくぶつけることが多かった気がします。

 

「どうしてこんなことするの!?」

「もう何度も何度も言わせないで!」

「そうじゃないでしょー!!」

「そんなことしちゃ、だめーーー!!」

 

ある時期まで、私は母に対しこんなことばかり言っていた気がします。

 

この頃の日記には、母を責めたり怒ったりしてしまう自分をなんとかコントロールしたい、とか、今日も母に厳しいことばかり言ってしまった、といったことが頻繁に記されています。

 

認知症の初期にはまだこちらの言うこともかなり理解しているので、ついつい文句を言ってしまうし、感情的な言葉をぶつけてしまいます。

 

思い起こせば私はいつの間にか、母を責めたり怒ったりすることをしなくなっていきました。それは私自身が優しくなったわけではなく、もうなにを言っても通じないんだ。。。という諦めが徐々についていったからだと思えます(◞‸◟)

 

介護1年目はもう少しゆるやかだったかと思いましたが、けっこうハードでした。

 


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股関節症2年目は意外と歩けていた

2009年の年末頃から発症した、変形性股関節症2年目 2011年の記録です。

 

この年の日記をざっと読み返してわかったことがあります。

 

変形性股関節症を発症した2年目も、思っていたほど痛みは強く出てなくて、ある程度遠出したり、散歩したりといったことができています。

 

今の私の感覚記憶としては、この年辺りからかなり痛みが強くなり、距離を歩くこともできなくなっていたような気がしていたのですが、それほどでもなかったようです。

 

2009年の年末頃の発症時には、かなり強い痛みを生じていたにも関わらず、その後2年ほど、日常生活は支障なく動けていたことがわかりました。

 

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とはいっても、股関節には常にみょうな違和感と、疲れた後の痛みはありました。

 

そしてこの頃から、足裏に何個もウオノメやタコができてしまい、その痛みやケアに悩まされはじめました。

 

まだこの後の日記全てを確認したわけではないですが、この翌年頃から母の認知症が進行し、介護は日に日にハードになっていきます。

 

介護がハードになっていくのと、私の脚の具合が悪くなっていくのが連動しています。

 

発症して3年目頃から悪化していったのは、介護が原因になっているのかどうかは、わかりません。

 

介護もなくて、自分の脚のケアだけに十分なお金と時間をかけられたら、もしかしたら今よりずっと良い状態を保てていたかもしれませんが、私自身そんなゆとりはありません。

 

でも、そんなに恵まれた環境下にいたとしたら、もっとダメになっていたかもしれないと、なんとなくですが思います。

 

思い起こせば、30歳頃に痛みが生じた時には、わりとすぐに回復しています。(第一期)

40歳頃にも痛みが出た時には、少しだけ治療院に通ったものの、やはり回復はしています。(第二期)

 

そして、今回40代後半に発症した時には、回復に向かうことなく進行していってしまいました。(第三期)

 

自覚できる股関節の痛みと疲れのレベルを 数値で表してみたいと思います。

痛みなしをレベル 0

最大の痛みをレベル10

とすれば、発症時2年目の頃はレベル2くらいですね。発症時11年目の現在は5~6くらいかな、と思います。

 

 


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