手術しない変形性股関節症と親の介護ブログ

親の介護体験や 変形性股関節症 保存療法への取り組みに関する記録

葬儀に参列する人が少なくてもいい

この2年半ほどの間に、父と母、ふたつの葬儀をあげました。

 

ともに家族葬で、参列者は私と兄のふたりだけ、という小規模なものではありましたが、菩提寺もありやるべきことはきちんと丁寧にやれたと思っています。

 

両親ともに兄弟姉妹は多く、親戚付き合いも広かったので、今まで数え切れないほどの冠婚葬祭に親達は関わってきました。

 

特に高齢になってからは年に何度も、葬儀や法事に呼ばれていたことを思い出します。

 

生きている間にそれだけたくさんの人達を見送った両親ですが、自分達が亡くなる頃には、もはやほとんどの兄弟姉妹はこの世からいなくなってしまいました。

 

両親の甥や姪に当たる人達はまだ生きています。

 

私達からすると、いとこという存在ですね。

 

いとこと私達との関係は、はっきり言って薄いです。

 

たぶん、いとこたちから見ても、私達の両親に対しては、そんなに深い思い入れはないだろうと思い、葬儀の連絡はしませんでした。

 

ただ、後日弔問に訪れてはくれました。自分たちの両親の葬儀には参列してもらったから、という義理を感じてのことなのでしょう。

 

父の妹である叔母さんも高齢で葬儀への参加も難しいと思われたので、事後報告で死亡を知らせました。この叔母さんに関しては、そのときにかなりショックを受けていたようなので、生きているうちに無理をしてでも会わせてあげる機会を作ってあげればよかったと、今でも時折後悔しています。

 

そのときの後悔もあり、母の弟である叔父さんには、亡くなる前に会わせることができたことは、本当によかったと思います。

 

たとえ両親との関係性が深いと思われても、高齢で参列が困難だと思える兄弟姉妹は呼ばなかった葬儀。

自分達とは付き合いの薄い いとこは呼ばなかった葬儀。

 

この決断を両親はどう思ってくれただろう。

 

そのことを今でも時おり考えてしまいます。

 

 

これは私の調子いい考え方かもしれませんが、

 

父も母も見送ってくれる人は少なくても、あの世で迎えてくれる人はたくさんいたはず。

 

参列者の数は少なかったけど、見送った私達の両親に対する想いは、参列者何千人、何万人分にも負けないよ!

 

母の四十九日が迫っています。

 

そこで納骨するので、母のお墓への入居ももうすぐです。

 

父と母が住むお墓を、これからも大事に守っていくからね。

 


生き方ランキング

 

にほんブログ村 介護ブログ 親の介護へ
にほんブログ村

これで介護施設ともお別れです

2022年6月 要介護5だった母は96歳で亡くなりました。

 

先日、母が入所していた介護施設の退所手続きを済ませました。

 

その介護施設ショートステイで約1年、その後入所し約3年、合計4年近くお世話になりました。

 

介護施設やケアマネさんに関しては、当たり外れがあるとか、相性が合う合わないがあるとかよく聞きますが、母をお願いしていた施設は皆さん温かく親切丁寧で、良い所にお願いできたと思いました。

 

介護施設は、ケアマネさんから紹介されたのではなく、私が自分で決めました。

 

決め手になったのは、家から比較的近い所にあることと、そこは私が子供時代を過ごした地域であり、母にとっても馴染みのある環境だと思えたからです。

 

その介護施設は何年も前からそこにあることを知っていた、ということも安心材料のひとつでした。

 

ほぼ直観のような感じで決めた所でしたが、よくよく調べてみるとそこは周辺地域でも上位を争う位の人気施設で、職員の数も多く、定着率も高く、働きやすい職場としてマスコミなどで紹介されることの多いところでした。

 

そのようなこともあり、入所するまでの待機者数が物凄く多くて、他の施設とは桁違いでした。

 

申し込んでから入所できるまで、結局1年と4ヶ月くらい待たされました。

 

長く待たされている間、すぐに入れてもらえそうな所に変更しようかと迷いましたが、頑張って待ってよかった。

 

 

 

 

在宅介護をしていた頃、母はもうひとつ別の施設にもショートステイを1年位お願いしていたことがありました。

 

そこの施設も特に悪いとは思いませんでしたが、一度だけ、母が顔面にかなりひどい内出血をして帰ってきたことがあったのです。

 

寝ているときに、ベッドの柵に顔を打ち付けたかなにかだと思うのですが、職員さんが朝起こしに行って気づいたそうです。

 

施設側は平謝りされてて、こちらとしても責めるようなことはなく、関係は悪くなってはいませんでしたが、その日を境に入所希望で申し込んでおいた施設の方のショートステイに切り替えました。

 

ここでやめた施設をA  入所した施設をBとするなら、

 

A施設のほうは、ショートステイでの様子を報告してくれる内容が、わりと簡潔でした。ショートに預ける際にこちらから記入する書面は少なく、楽と言えば楽でした。

 

 

一方、B施設の方は、ショートステイでの母の様子をかなり詳しく伝えてくれました。その代わり、こちらから送り出す際に記入するものも多く、大変と言えば大変でした。

 

細かく丁寧にやっていただける分、介護者側への要求もそれなりに増えるということはあるのかもしれません。😅

 

いずれにせよ、母も私たち家族も、お願いした介護施設との相性は良かったので、感謝の想いをたくさん込めて退所することができました。

 

🌞はてなスターの表示を復活させました。

どうぞよろしくお願いいたします🌞🤡

 


高齢者介護ランキング

 

にほんブログ村 介護ブログ 親の介護へ
にほんブログ村

老衰で弱った母を元気にした言葉

介護施設に入所していたに母が老衰で亡くなる一ヶ月ほど前(2022年5月)に、母の弟(私達にとっては叔父さん)に会わせることができました。

 

母の兄弟はたくさんいましたが、長生きしていると皆 他の兄弟たちは次々と亡くなってしまいます。

 

唯一生き残った叔父さんは、母とはひと回り違う弟です。

 

その時点での母は、そろそろ看取りに入る直前だったので、会いに行ってもウトウトまどろんでいることが多く、呼びかけても全く目を開けてくれないこともありました。

 

ちなみに看取りというのは、無理な延命治療は行わず、自然に亡くなるまでの過程を見守ることです。

 

しかしこの日、母の弟である叔父さんが顔を見せると母は珍しく目を精一杯開けて、叔父さんの呼びかけに反応し始めました。

 

 

もう声を出す力はありません。それでも、叔父さんの呼びかけに時折「うんうん」と頷き、マスクの下の口をなにか言おうとモゴモゴ動かしていました。

 

かなり弱っていたはずなのに、どこからこんなに力が湧いたのかしら、と思える母の反応にちょっとビックリ!

 

 

その時おじさんは、母を元気にする意外な言葉を何度も投げかけていました。

 

それは、

 

 

「がんばれよ!!」

 

 

 

最初にそれを耳にしたとき、私は「えっ!?」と驚きました。

 

こんなに衰弱し命の炎が消えかけている母に対し、「がんばれよ!」のエールはあまりにもハードじゃないのかΣ(・□・;)と。

 

しかし、母の心にはしっかりその言葉が響いたのですね。

 

叔父さんが投げかけるそのエールに、母は何度も反応していました。

 

昭和一桁生まれの母は、常に頑張って頑張って生きてきた人でした。

 

頑張ることが生きるエネルギーになっていたように感じられます。

 

「頑張って!」という言葉を安易に投げかけることは、配慮に欠けることだという意識が高まっていた私ですが、「頑張る」と言う言葉の持つ力も、改めて認めてあげたい気持ちになりました。

 

 

最期まで、頑張ってくれてありがとうଘ(੭*ˊᵕˋ)੭

 


高齢者介護ランキング

 

にほんブログ村 介護ブログ 親の介護へ
にほんブログ村

96歳の母は理想的な老衰死を遂げました

2022年6月 介護施設にいた母は 96歳で天寿を全うしました。

 

お昼に少しだけゼリーなどを口にした後、ベッドに戻りウトウトしているそのちょっとの間に、母の呼吸は止まっていたようです。

 

認知症はありましたがその他には取り立てて持病はなく、要介護レベルは今年3月の最後の認定で要介護5でした。

 

そろそろ危ないかもしれません、と言われてから亡くなるまでの間、ずっと気持ちがざわめいていて、ブログの記事を書くこともできませんでした。

 

いろいろな事が片付いて、気持ちもだいぶ落ち着いてきたので、また少しずつ書き残していけたらと思います。

 

 

そろそろ危ないと言われた看取りの段階に入ってから 一ヶ月以上は生きていてくれたので、それなりに心の準備はでき、お別れの時間はたっぷり与えてもらえました。

 

母は4月までは とろみ食を介助されながら摂取できていたようですが、5月に入ると口に入れてもらったスプーンを舌で押し返すようになり、食べなくなりました。

 

そこで施設側では、高カロリーゼリーや とろみを付けたジュースなどに切り替え対応したところ、母は亡くなる当日まで、それらをまだ口にしていたことがわかり驚きました。

 

亡くなった母の姿は、まさに即身成仏したかのように、ガリガリに痩せたミイラのようになっていましたが、その寝顔はとても安らかでした。

 

 

「穏やかですね」「苦しまなくて良かったですね」と、多くの人から言われました。

 

亡くなるまでの1か月半位の間は、直接触れることができる面会が許可されました。

 

まめに会いに行ったその間も 母は一度も苦しそうな様子はなく、穏やかにまどろんでいることが多かったです。

 

先に亡くなった父がそうだったように、母も最期は病院で亡くなるのかと思っていましたが、こんなに完璧で理想的な老衰死を遂げてくれるとは思いませんでした。

 

施設でのいつもの日常から、生と死の境界線も感じないままに、スーッと天国に旅立っていった母。

 

肉体は骨と皮だけになってしまっても、与えられた命ギリギリまで生き、残された私達のためにゆっくりゆっくりお別れしてくれた母。

 

最愛の母がこの世にいなくなってしまった喪失感は大きいけれど、母からもらった有り余るほどの愛と、遺伝的に受け継いだであろう生き抜く力があれば、この先何が起ころうとも、なんとかなるかな。。なんて思えますଘ(੭*ˊᵕˋ)੭

 

 


認知症ランキング

 

にほんブログ村 介護ブログ 親の介護へ
にほんブログ村

親の物を処分するということ

在宅介護5年目の2014年から、週二日ほど母にはデイサービスに行ってもらうようになったことから、私はそれまでなかなかできなかった家の片付けや大掃除に励みました。

 

認知症の母はもちろん、父もだいぶ物の管理能力は低下してきていたので、私がふたりの持ち物をすべて管理できるよう、物の数はできるだけ減らす方向で片付けました。

 

とは言っても、母がいない間にこそやることは他にも山積みだったので、不用品などの片付けにはその後も5年ほどかけてやっていきました。

 

世間では、親の実家を片づけるのに大変苦労している人がたくさんいるようですね。

 

実家が別にあって、その実家には両親の大量の物があって、それをなんとかしなければならない人達のことを考えると、想像を絶する大変さなんだろうな。。と思います。

 

私はずっと両親と一緒に暮らしていて、ある程度家にある家族の物の量は把握していたつもりでした。

 

両親ともそんなに物欲の強いタイプではなかったので、不用品はそんなにないと思っていました。

 

しかし、いざ両親の持ち物に手を付けてみると、想像以上にいろいろな物が出てきて、その都度「見なかったことにしようか。。」と思い、やめたくなること数知れず。。

 

 

f:id:miyuyuchang:20220325201144j:plain

 

まして、私には股関節痛もあることから、一気に大量の物や重い物の片づけは無理なので、どうしてもできないところは兄の手も借りて、なんとかやり続けました。

 

兄にももっと協力して欲しい気持ちはありましたが、兄の場合、片付けは苦手なタイプだったため、あまり力になってはもらえず。。

 

もう、親の物を処分する話に関しては、本当にいろいろな事やいろいろな想いが入り乱れて、一度には語りきれない気がします。

 

親の持ち物を処分するとき、認知症の母には判断を仰げなかったので、私の判断でやっていきました。

 

父の物に関しては、できる限り父にも確認してもらいつつ処分していったつもりなのですが、その後、物が見つからなくなるたび私が恨まれることがけっこうありました。

 

もちろん、私には父が探している物を捨てた覚えはなく、その後、父の勘違いで見つかることばかりだったのですが、親が生きているうちに片づけていると、この手のことはありがちだろうな、と思います。

 

今残されている父の物は、もはや遺品となってしまいました。

 

遺品となってしまってからは、どんなにちっぽけな物であっても、処分する気にはなれません。

 

父が家にいた頃最後に飲んでいた薬も、まだ袋やケースに入ったまま、捨てることはできず残されています。

 

ある程度の不用品は、多少もめながらも *笑*  父が生きている間に処分しておくことができて正解だったかな、と今ではよく思います。

 

 


高齢者介護ランキング

 

にほんブログ村 介護ブログ 親の介護へ
にほんブログ村

ぶら下がり健康器具を買ってみた

今回は変形性股関節症発症から7年目 2016年6月の記録をもとに書いています。

 

この時期には、通常の親の介護に加え、家の大掃除や長年倉庫にあった不用品の片付けなどをしていたこともあり、脚の痛みはいつも以上に強く出ていたようです。

 

整骨院には、月に一度くらいのペースでまだ通っています。

 

この当時の日記によると、このところすぐに疲れてしまうので、家事などの立ち仕事がつらい、と記されています。

 

ある日、何気なくホームセンターのチラシを見ていたら、ぶら下がり健康器が目にとまりました。

 

変形性股関節症により身体のゆがみを強く感じていることから、ぶら下がってみるとけっこう気持ちいいのではないかと思い、ぶら下がり健康器を買ってみようかと考えました。

 

でも、置けるようなスペースはあるだろうか?

 

高齢の両親が危なくないように、家の中をスッキリ片付けている最中だったので、物を増やすようなことはしたくなく、しばらく悩みました。

 

悩んだ挙句、キッチンに置くことに!

 

とりあえず空きスペースが一番作りやすかったことと、当時私が一番過ごすことが多かった場所なので、そこに置くのが一番使いやすいだろうと思って。

 

届いた段階では組み立て式になっていたので、私は兄に組み立ててもらいました。

 

特に力が必要というわけでもなく、女性でも組み立てられるもののようでしたが、股関節が悪くなった今では、しゃがんだり立ったりということが繰り返されそうな作業はできなくなりました。

 

組み立ててもらって、さあ、ぶら下がるぞ!

 

と思ってぶら下がろうとしたら、最初はすぐには腕の力が出せずに驚きました。

 

f:id:miyuyuchang:20220321150701j:plain

 

股関節が悪いため、脚の力は弱ってしまったけれど、腕の力はまだまだあると思っていたからです。

 

ぶら下がるなんて動きをここ何年もしたことがなかったせいか、その部分の筋力も衰えていたのでしょう。

 

しばらく練習していたら、しっかりぶら下がることもでき、脚を上げたり身体をねじったりする動きもできるようになりました。

 

私が使ってみた感想としては、身体のゆがみが矯正され、体幹が鍛えられる感覚もあり、股関節痛の緩和には効いています。

 

ただ、人によっては逆に痛みが強く出たりする場合も、股関節が悪い人なら十分あり得るような気もします。

 

ちょっと前までは、肩を痛めてしばらくぶら下がれなくなっていた時期もありますが、また治ってきたのでどんどん活用していこうと思っています。

 

とは言いつつ、すぐ使える場所に置いてあり、ぶら下がると全身がリフレッシュされて気持ちいいのに、毎日は続けられないのは何故かな~とは思いますけど(^^;))`。。

 

 

 


股関節症・股関節脱臼ランキング

 

にほんブログ村 病気ブログ 股関節症・股関節脱臼へ
にほんブログ村

高齢者が点滴になってからの余命は?

2022年3月末 桜が満開の頃に親友のお母様が亡くなりました。

 

親友である彼女とは学生時代からの長い長い付き合いです。

 

お互いにずっと独身で実家で両親と一緒に暮らしていた、という、とても似た境遇であり、今となっては身内に近い存在になっています。

 

病院ではずっと面会できなかったようで、危篤状態となり約3ヶ月ぶりに、そこでやっと母親に会えたようです。

 

親の介護がスタートしたのは、私の方がだいぶ早かったのですが、彼女もここ4~5年前くらいからは、在宅での介護をすることになりました。

 

彼女のお母様は昨年の秋頃までは自宅にいられたようですが、徐々に食事がきちんと摂れなくなり入院。その後、12月頃から病院での点滴となり、結局点滴だけでも3ヶ月以上は生きられたことにはなりますね。

 

これは当然個人差はあるとは思いますが、ネットで調べてみたところ、老衰に向かう際の点滴になってからの余命は、平均3ヶ月程度のようですね。

 

人伝えによる話によると、点滴だけでも1年以上生きた人もいるとか。

 

そのときの年齢や体力にもよるのでしょうが。

 

私の父の場合結局、点滴を10日間位続けた時点で、すでに血管に差せるところがなくなってしまった、ということで、中心静脈栄養というものに切り替わり、それから2日後くらいに亡くなってしまいました。

 

父はその時点で95歳でした。

 

f:id:miyuyuchang:20220409153657j:plain

昨日は母に会いに、入所している介護施設にまで兄と一緒に行ってきました。

 

今でもまだアクリルボード越しに距離を置いて、10分間までという短い短い面会です。

 

その間、母は発語もなくぼんやりした目でずっと私達のことを見ていました。

 

もちろんこちらを見てもらうためには、目立つように手を振り続けました。

 

マスクをしているので、ニコニコ笑いかけてもあまり伝わらない様子。

 

 

ケアマネさんの話によると、だんだん食は細くなっているけれど、今のところまだミキサー食を自分の口から食べられているとのこと。

 

母の場合、食べられなくなっても、病院に運んで点滴などの延命措置はしないことにしてあるので、施設の中でそこから老衰死へのカウントダウンが始まるのです。

 

食べられなくなると、約5~7日位で老衰死に至るようですね。

 

なので、とりあえずでも、食べられているかどうかはとても気になるところ。

 

「食事の方は、まだ食べられてますか?」

 

余命宣告を受けるような気持ちで、施設から何等かの連絡があった時や、面会に行った時には、緊張感を持って必ず聞いてしまいます。

 


高齢者介護ランキング

 

にほんブログ村 介護ブログ 親の介護へ
にほんブログ村