手術しない変形性股関節症と親の介護ブログ

親の介護体験や 変形性股関節症 保存療法への取り組みに関する記録

一緒に暮らしていた父親の死

ひとはある程度の年齢になれば独立し、親元を離れていくというのがオーソドックスな家族の在り方だと思うけれど、私自身も含め、そうではない人も増えているのは確かだと思う。

独身の子供にとって、同居していた親の死はいくつになっても相当つらい。

自分にも家庭があって子供でもいて、親と別々に暮らしていたなら、もっと受け止め方は違っていたように感じられるけれど。

こんな風に言ってしまうと、親元を離れ家庭を持っている人からは、そんなことない!親を失った子供の悲しみに違いはない!と怒られるかな。

でも、一緒に住んでいたかどうかは、死を生々しく実感させる大きな要因になっているような気がする。

今まで一緒に暮らしていた親が、ある日を境に生活空間から消えてしまう違和感に、しばらくの間は耐えがたいほどの悲しさを感じていた。でも、それが1日2日と経過するうちに、親がそこに存在し生活していた生々しい記憶も徐々に薄れ、思い出せば悲しいけれど、親のいない現実を当たり前のものとして受け入れている自分もいる。

もし私が親元を離れて暮らしていて、晩年の父ともあまり一緒に過ごす機会がない娘だったら、父の死の受け止め方は違うものになっていただろう。

結局、親の死をどう受け止め。どう受け入れるかは人それぞれと言ってしまえばそれまでだけど、私は私なりに、晩年の父のお世話はとりあえずできたような気がするし、そんなに寂しい思いもさせてなかったんじゃないかな、と、自分自身に甘い点数つけて、父の死をゆっくりと受け入れている。   


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