老衰死に向かっていった父の様子を思い出しては、どんな意識状態であったのか、あれからずっと気になっています。食事が摂れなくって、水分を摂ることも受け付けられなくなり、点滴だけで過ごしていた数日間。
私が最後に会えたのは、父が亡くなる3日前でした。
その時は、もうガリガリに痩せていて 声を出すのもやっとの状態であったにも関わらず、私と兄の姿を見ると、「よかったよかった!」「よかった!よかった!」と、絞り出すような声で言いながら、私達を拝むように手を合わせたのです。
いつもは私達が面会に行っても、ここまで大げさに喜ぶ様子を見せることはなく、戸惑いました。
なので、なにがそんなに良かったのか気になって、
「なにがよかったの?」
と聞いてみると、なにか聞き取れないことを口にしたので、もう一度
「なに? なにがよかったの?」
と聞いてみると やはりなにか言おうとしているのですが、はっきりした言葉にはならないのです。
その時の様子は、動画にも残してあり、何度も再生しては、なにを言おうとしていたのか分析しようと試みましたが、やはりわかりません。
あの時、父はかなり衰弱していたにも関わらず、なぜ私たちの姿を見てあんなにまで興奮して喜んでくれたのか、本当のところはわかりませんが、その手掛かりとなるようなことが NHKで放送していた番組を見ていてわかりました。
それは、認知症医療の第一人者であり、自らも認知症を発症してしまった 長谷川和夫医師のドキュメンタリー番組でした。
その中で 長谷川氏自らが、認知症になってからの不確かな意識状態を語るところがありました。
今この瞬間が、夢なのか現実なのか、今自分はどこにいるのか、何者なのか‥わからない。「確かなもの」が得られなくなっているという不安な思いを、伝えていました。
でも、そのような混沌とした不安な意識状態の中にあっても、一緒に住んでいる奥様からの「おはよう」とか「よく眠れた?」といった声掛けがあると、そこで確かな何かが得られ、安定する、というようなことを語っていました。
父は認知症ではありませんでしたが、亡くなる直前は、自分が生きているのか死んでいるのかわからないような、混沌とした意識状態にあったように感じます。
そんな不確かな意識状態の中、私達家族の姿が見えたので、そこでようやくこの世にまだ自分は生きている!という確かなものが得られ、あんな喜びになったのではないかと思っています。
認知症の母はまだ生きています。
明日は母に会いに行き、少しでも確かな安定感を与えてあげたいと思います。