両親の介護から 解放された今だからこそ思うのだろうけれど、父にしても母にしても、家で一緒に暮らしている時には、もっとやりたいようにやらせてあげれば良かったな、と。
(父は2019年11月に亡くなり、母は2019年9月に介護施設に入所しています)
よくよく考えれば、両親はある時期までは自分の意思で、やりたいように自由に生活していたわけです。
でも、認知症が進んだり老化が進んだりするにつれ、生活は私の管理下に置かれるようになりました。
母は、甘い物(特に和菓子)が好きでした。
認知症が進むにつれ、大好きなあんこの入った和菓子を与えると、もっともっとと欲しがりましたが、栄養バランスを考えて、ある程度制限していました。
父に対してもそうでした。高齢の割には炭酸飲料などの冷たいものが好きで、一日に何本も飲みたがってはいましたが、身体のことを考え、一日一本程度に制限していました。
父は最後まで頭はしっかりしていたので、ある程度放っておいても病院に着ていく服くらい、自分で選ぶことはできたのですが、
「あー!なんでそんなシャツ選んだの!? もっといいのがあったでしょ!?」
とか、
「今日は検査なんだから、もっと脱ぎ着しやすい服じゃなくちゃダメじゃない!」
とか、
娘の私は ダメ出しばかりするようになっていました。
それでも父は反論するでもなく、大人しく私の選んだ服に着替えていました。
もっと時間をさかのぼって思い出せば、母がまだ認知症であるとは気づかなかった頃。
母は、チラシ広告などから花の写真を切り取っては、タンスや家具の側面にペタペタ貼ることをし始めました。
「こんなの貼ったらおかしいでしょ!?」
私は母に文句を言って次々剥がしていきましたが、
母はまたしばらくすると、懲りずにペタペタ貼り続けました。
貼っては剥がすの応戦がしばらく続いた後、いつの間にか母は貼ることをやめました。
それは諦めた、というのではなく、母はいつの間にか 花の写真を貼ることを忘れていったように思います。
今思えば、花好きだった母は、花を育てたり生け花にすることができなくなった代わりに、手近にあるチラシ広告の花を貼って楽しんでいたのかもしれません。
年老いていくにつれ、自分がやりたいようにできることは、いつしか消滅していくということを、両親の介護を通し教えてもらった気がします。
現在、介護施設に入っている母は、健康管理も栄養管理もしっかりしてもらえ、ある意味 至れり尽くせりの生活が送れているでしょう。
でも、そこにはもう、母が自分でやりたいようにやれることは、ほとんどありません。