東京のお盆は7月です。今年は父の新盆であり、住職さんが家に来てお経をあげて下さいました。
お寺関係のことは今まで本当に疎くて、父が亡くなってからは その都度ネットで調べまくり、兄と奮闘してやり遂げてきています。
檀家として菩提寺との関係を続けていくことは大変です。
近頃では葬儀も簡素化され、お寺との付き合いも希薄になっている という時代の流れもある中で、うちは時代を逆行しているな、という感じもします。
今までの自分の人生の中にはほとんど無縁だったお寺との関係が、父の死をきっかけに急に濃密になったことに戸惑いは感じます。
儀式的なことはどんどん省略して、遺族への負担を減らすようにした方がいい、という合理的な考え方を、以前の私ならしたでしょう。
でも、実際に父親が墓に入った今、私の気持ちは変わりました。
お盆に向けての精霊棚の飾りつけにしても、住職を招く準備にしても、お墓参りに行くことにしても、大変だしお金はかかるし 面倒なことには違いないのだけれど、それをすることで、まだ父との縁が繋がっているという安心感が得られるのです。
そして、日頃からモヤモヤしている言い様のない不安感のようなものは、お盆の行事をすることや、お墓参りをすることで、その都度きれいに洗い流されていくような感覚を覚えます。
このような感覚は、なぜそうなるのか、というように 頭だけで分析しようとしても、納得のいく答えは出せないような気がします。
毎朝仏壇に手を合わせることや、お墓参りをすることの大切さを、昔の人は切々と説いていましたが、今までの私はほとんど気にとめませんでした。
それまでの私は、自分の魂の一部がもぎ取られるほどに辛い、本当に大切な人を失った経験をしてこなかったからかもしれません。
亡くなってからも父は私に、たくさんのことを気づかせ与え続けてくれています。
大変だけれど、頑張って、きちんとお墓を守っていこう!