手術しない股関節症と親の介護ブログ

独身50代女性による親の介護体験や 変形性股関節症 保存療法への取り組み 歳を重ねて気づいてきたことなど

親離れさせられたクリスマス

子供の頃から私にとってクリスマスは、1年で1番好きな日でした。

私の兄は幼い頃、サンタクロースを信じていたという話を つい最近聞きました。

なぜなら、寝ている間に母親がこっそり枕元にプレゼントを置くというサプライズを 兄にはやっていたからだと知りました。

私はいつも欲しい物は自分で選ばないと気が済まない 面倒くさい子だったので、よくよく考えると、サンタクロースの存在を信じるも信じないも、あまり考えたことがなかったな、と。

 

クリスマスは家族と過ごす、という、子供時代の温かく幸せなイメージが、私の心の中には今でもずっと根づいています。

 

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父も母もいない2回目のクリスマスが巡ってきます。

そんなに大きな物ではないですが、今年は10年ぶりくらいにツリーを出して飾りました。介護が始まってからは、クリスマスの飾りつけも、徐々にできなくなっていましたから、部屋の中にクリスマスカラーが溢れてくると、気分も上がります。

 

もし自分に子供がいたら、今頃どんなクリスマスを過ごしていたのだろう?と考えてみましたが、手応えあるイメージは湧きません。

でも、父が亡くなった時、もし自分にも夫や子供といった家族がいたら、少しは悲しみのストッパーになってくれたのかもしれない、とは考えたことがありますが、実際どうかはわかりません。

 

元気だった頃の母からは よく冗談交じりに言われ続けてきました。

「いつまでも親のそばにばかりくっついていないで。。。」

そのあとの言葉はきっと、結婚しなさいよ、だったり、家を出なさいよ、と言いたいのだと思いましたが、言葉は濁してましたね。

 

母の本心はどうだったのかな?

「普通ならあり得ないくらい高齢になっても 自分の子供と一緒に長く暮らせて、幸せだったんじゃない?」

・・・と言ってみたことは何度もありますが、その都度

「調子の良いこと言って!」

などと、流されました。

 

こんなに母親への想いが強い人も、きっと珍しいんじゃないかと、客観的には思います。母は決して物分かりの良い人でもなければ、人格者と言えるような人でもなかったのですが、私が好きなように生きてても、自由にさせてくれる人でした。

自分の考えを決して子供に押し付けようとはせず、それでいて、子供が困ったら自己犠牲的に助け守ってくれる人でした。

 

昭和一桁生まれである母の時代の女性は、好きなように生きられる人などほとんどいなかった時代です。母は30歳手前でお見合い結婚したので、当時の女性にしてはかなりの晩婚だったようです。働きながらも華道の師範免状なども取得していたので、今の時代であれば独身でいて やりたいことを続けていたかもしれません。

 

家庭に入ってからの母は、家族のためだけに生きているような人でした。それが母にとって、好きなように生きていた人生とは思い難いのですが、母はそのようにしか生きられない人でした。

 

「あなたたちは、好きなように生きなさい」

母は私に対しても、兄に対しても、ことあるごとにそう言っていました。

 

大好きな母が死んでしまったら、私は生きていけない!とずっと思っていました。

母の施設入所が決まり、母のいない生活を考えただけでも、衰弱するほどの物凄い悲しみに襲われました。。。。

 

でも今は、この先いつか母が亡くなっても、私は生きていけるし、生きているんだろうな、と思えるようになっています。母への想いは変わっていないけれど。

 

それはきっと、先に巡ってきた父の死という体験によって得られた 心の成長なのかもしれない。

 

私は同世代の人達に比べると、驚くほどに子供っぽい感覚で生きている気がします。

今でも親に対する想いは、幼い頃の心のままです。

 

そんないつまでたっても親離れできない私のもとからは、しびれを切らした親たちの方が 先に巣立って行ってしまいました。

 

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Merry Christmas 🎄 

 

 

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