認知症になった母の介護4年目 2013年11月~12月
この年の11月から、母は初めてリハビリパンツを使い始めました。
リハビリパンツは紙おむつではありますが、パンツタイプになっていて、まだトイレに行ってできる人が主に使うものです。
私がリハビリパンツの存在を知ったのは、この前の年2012年に父が腹部動脈瘤の手術をした際、一時的に必要になった時からです。
手術後に病院側から、
「リハビリパンツも買って用意しておいて下さい」と言われ、
リハビリパンツってなんだろ?と思い、売店に行って聞いてみて、
なるほどこれか!
と、知りましたが、吸収量にもいろいろ差があり、サイズも幅広く用意されていて一瞬戸惑いました。
リハビリパンツを知っている人は、リハパンで通じますね。
母はトイレでの失敗が多くなり、下着を汚すことも多くなってきました。
それを自分でなんとかしようと、下着の中に大量のトイレットペーパーなどを当てて対処しようとしていました。
リハパンはもっと早くから使ってもらいたかったのですが、私としてもなかなか言い出す勇気が持てなかったのです。
リハビリパンツと言えば聞こえはいいですが、紙おむつであることはわかると思うので、きっと嫌がるだろうな、と思って。
でも、もう限界だなと思い勧めてみたら、意外と抵抗感も示さず使ってくれました。
母も、失禁の不快感をかなり感じていたからでしょうか。意外でした。
リハパンを使い始めてからも、母は今までのつもりで大量のトイレットペーパーを入れ込んでしまい、後の処理は大変になるし、買っても買ってもトイレットペーパーはすぐに失くなってしまうしで、苦労は絶えませんでした。
相変わらず、お風呂に入ってもらうのも一苦労。
なんとか入ってもらえたとしても、全身きれいに洗えているとは思えず、入浴介助を頼んだ方がいいのかと考え始めた頃でした。
徐々に母も、人の手を借りることに抵抗感がなくなってきたのか、以前より私を頼るようにもなってきました。
うちのお風呂はかなり狭いですが、私が脚が悪くなければ、なんとか洗ってあげることはできたと思うのです。
この頃の母のお風呂問題は、私の脚が悪くさえなければ、かなり解消されていたように思います。
通院に関しては、母は内科と整形外科に毎月、受診していました。
内科からは認知症とコレステロールの薬が出され、整形外科からは骨粗しょう症の薬が出てました。
待合室で母とふたりで待たされている間、私はいつも緊張感でいっぱいでした。
それは、母が気になったものに対して、突然変なことを言い出すからです。
一番ハラハラさせられるのが、待合室にいる患者さんを見て、その人の容姿についての、言っては失礼に当たることを、平然と口にしてしまうことです。
あるいは、
「ほらほら。あの人がこっち見てるよ!」とか。
気になる人が目につくと、私にも早く見なさいとばかりに、しつこく言い続けてしまうことには、ほとほと参ってしまいました。