手術しない変形性股関節症と親の介護ブログ

親の介護体験や 変形性股関節症 保存療法への取り組みに関する記録

たった一日だけ過去に戻れるなら。。

はてなインターネット文学賞「記憶に残っている、あの日」

 

もしも一日だけ過去のどこかに戻してもらえる魔法があるとしたら、私は9歳の頃の、ごくごく平凡な日に戻してもらいたいと考えています。

 

時代的には1971年(昭和46年)です。

 

1971年 私は小学校2年~3年生でした。

 

その頃うちは、父がサラリーマンとして働き、母は専業主婦、兄は私とは7学年離れていたので、中3~高1でした。

 

両親と子供二人という、ごくごく平凡な4人家族でした。

 

私は毎日元気に小学校に通い、帰宅してからは友達と遊ぶか、家で本を読んだり母と過ごしていました。

 

習い事はまったくしていませんでした。

 

私自身なにかを習いたい気持ちはなかったし、親も特に何か習わせようと勧めることもありませんでした。

 

この当時であっても、何も習い事をしていない子供は、珍しかったように思います。

 

母の口から

「勉強しなさい!」

という言葉を聞いたことは、一度もありません。

 

やりたいことを、頭ごなしに禁止されたようなこともなかったと思います。

 

母は貧しい家に育ち、青春時代には戦争を経験し、苦労の多い人生だったと語ることが多く、「あなた達は好きなように生きなさい」と、ことあるごとに私達兄妹にはよく言っていました。

 

これもまた、珍しいことなのかもしれません。

 

 

1971年当時。夕方になると、母と一緒に買い物に行ったことが、今となっては一番の思い出となっています。

 

家の近くに個人商店があり、そこには母と二人で歩いて行きました。

 

帰りにはいつも、そこで買ってもらったアイスなど食べながら帰った思い出があります。

 

父が帰宅している時には、父の車で少し遠くのショッピングセンターに行きました。

 

その時には父もいたはずなのですが、なぜか私の記憶の中には、買い物先での父との思い出はほとんどありません(・_・;)

 

当時よく行っていたショッピングセンターは、広い敷地内に食品スーパー以外にも、衣料品店おもちゃ屋さん、手芸屋さんなどたくさんの店舗が入っていました。

 

さらに、ホットドッグやソフトクリームなどの移動販売車なども出店していて、そこでも必ずなにか買ってもらい、夕食前だというのに、いつも食べながら帰った思い出があります。

 

母との思い出は、数限りなくあるけれど、なぜか真っ先に思い出すのが、9歳頃に母と一緒に夕食の買い物に行ったことです。

 

私は、10歳からずっと日記を書いているので、10歳からの出来事はわりと鮮明に思い出すことができるのですが、それに比べ9歳以前からの記憶は曖昧になっていきます。

 

さらに10歳頃からは少しずつ自我が芽生えてくるからか、母親を求める気持ちもそれまでとは違い、友達と過ごす時間が少しずつ増えていったように思います。

 

10歳頃からは、これでも徐々に親離れしていったのでしょうね。

 

9歳はちょうどその最後の年代だったからか、その頃の自分と母との日常が、切なくも懐かしい思い出となって、心に焼き付いているのかもしれません。

 

私にとって母はそのものです。世の中には毒親という言葉もありますが、私にとって母は神親です。

 

宇宙で一番好きな存在。この想いは子供の頃から、ずっと変わりません。

 

こんなふうに母に対する想いを熱く語ってしまうと、親から十分に愛されなかった人には、不快な思いを抱かせてしまうかもしれない、という不安も正直言ってあります。

 

 

人の人生は、トータルではバランスが取れているのではないかな。

 

母親からの愛情部分では私は有り余るほどの恵みを受けましたが、両親の介護ではかなりの苦労をしましたし、自分自身、変形性股関節症により歩行が困難になるなどの負も背負っています。

 

たぶん、他にも一般の水準から比較すれば、恵まれていない点は数々ある気がします。

 

でも私には、母からもらった愛情貯金がたっぷりあるので、この先自分の身にどんな困難が起きたとしても、この蓄えられた力を使ってなんとかできるような、そんな楽観性も養われています。

 

 

2021年夏、母は95歳。認知症、要介護4。介護施設に入所して1年と10か月。

コロナ禍のため、直接会うことができなくなり、1年と6か月。

母の寿命が尽きないうちに、一刻も早く母に直接会って、触れたい。

 

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1971年はこんな年でした👇 

 

1971年(昭和46年)出来事

1971年(昭和46年)流行ファッション・髪型

  • ■アンノン族(雑誌アンアンとノンノから)
  • ■ボウリングシャツ、ボウリングシューズ流行
  • アメリカンカジュアル全盛
  • ■ホットパンツ登場
  • ジーンズブーム
  • ■ポロシャツブーム
  • ■ミニからパンタロン
  • ■アーミールック
  • ■パッチワークファッション
  • ■プリントシャツ流行
  • ■スマイルバッジ流行

1971年(昭和46年)新商品・ヒット商品

1971年(昭和46年)新食品・ヒット食品

1971年(昭和46年)流行語

  • ■アンノン族 (雑誌「anan」や「non-no」を小脇にかかえて旅行する女の子たち)
  • ■脱サラ (脱サラリーマンの略で、会社をやめ、独力で事業を興すこと)
  • ■ニアミス(衝突や接触するおそれがあるくらい飛行機同士が異常接近すること)
  • ■ピース、ピース (井上順がテレビの司会でVサインを作りながら言ったの流行)
  • ■ヘンシーン (子供たちが仮面ライダー真似をし「変身!」とポーズをとるのが流行)
  • ■ホットパンツ (この春夏コレクションで話題になったショートパンツ)

1971年(昭和46年)ベストセラー

 

1971年(昭和46年)ヒット曲

順位 曲名 歌手名 売上枚数
1位 わたしの城下町 小柳ルミ子 110.3万
2位 知床旅情 加藤登紀子 102.8万
3位 また逢う日まで 尾崎紀世彦 92.8万
4位 傷だらけの人生 鶴田浩二 77.9万
5位 ナオミの夢 ヘドバとダビデ 66.6万
6位 よこはま・たそがれ 五木ひろし 60.6万
7位 花嫁 はしだのりひことクライマックス 60.5万
8位 雨のバラード 湯原昌幸 55.5万
9位 望郷 森進一 54.5万
10位 さらば恋人 堺 正章 52.9万

日本レコード大賞また逢う日まで尾崎紀世彦

■日本有線大賞:傷だらけの人生(鶴田浩二

■年間アルバム1位この胸のときめきをエルヴィス・プレスリー

1971年(昭和46年)邦画ランキング

1971年(昭和46年)洋画ランキング

1971年(昭和46年)名作アニメ

 
 

年代流行 (nendai-ryuukou.com)  引用元 

 

 


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