2022年3月末 桜が満開の頃に親友のお母様が亡くなりました。
親友である彼女とは学生時代からの長い長い付き合いです。
お互いにずっと独身で実家で両親と一緒に暮らしていた、という、とても似た境遇であり、今となっては身内に近い存在になっています。
病院ではずっと面会できなかったようで、危篤状態となり約3ヶ月ぶりに、そこでやっと母親に会えたようです。
親の介護がスタートしたのは、私の方がだいぶ早かったのですが、彼女もここ4~5年前くらいからは、在宅での介護をすることになりました。
彼女のお母様は昨年の秋頃までは自宅にいられたようですが、徐々に食事がきちんと摂れなくなり入院。その後、12月頃から病院での点滴となり、結局点滴だけでも3ヶ月以上は生きられたことにはなりますね。
これは当然個人差はあるとは思いますが、ネットで調べてみたところ、老衰に向かう際の点滴になってからの余命は、平均3ヶ月程度のようですね。
人伝えによる話によると、点滴だけでも1年以上生きた人もいるとか。
そのときの年齢や体力にもよるのでしょうが。
私の父の場合結局、点滴を10日間位続けた時点で、すでに血管に差せるところがなくなってしまった、ということで、中心静脈栄養というものに切り替わり、それから2日後くらいに亡くなってしまいました。
父はその時点で95歳でした。
昨日は母に会いに、入所している介護施設にまで兄と一緒に行ってきました。
今でもまだアクリルボード越しに距離を置いて、10分間までという短い短い面会です。
その間、母は発語もなくぼんやりした目でずっと私達のことを見ていました。
もちろんこちらを見てもらうためには、目立つように手を振り続けました。
マスクをしているので、ニコニコ笑いかけてもあまり伝わらない様子。
ケアマネさんの話によると、だんだん食は細くなっているけれど、今のところまだミキサー食を自分の口から食べられているとのこと。
母の場合、食べられなくなっても、病院に運んで点滴などの延命措置はしないことにしてあるので、施設の中でそこから老衰死へのカウントダウンが始まるのです。
食べられなくなると、約5~7日位で老衰死に至るようですね。
なので、とりあえずでも、食べられているかどうかはとても気になるところ。
「食事の方は、まだ食べられてますか?」
余命宣告を受けるような気持ちで、施設から何等かの連絡があった時や、面会に行った時には、緊張感を持って必ず聞いてしまいます。