少しずつ記憶を失って、ゆっくりゆっくり時間をかけて遠ざかっていくことから、アメリカでは認知症のことをロンググッドバイ(長いお別れ)と呼ぶこともあるようですね。
スローグッドバイなどと表現していたのも聞いたことがあり、認知症の母と長い年月をかけてお別れした今の私には、心から納得する表現だと感じています。
世の中には母親との縁が濃い人もいれば薄い人もいる。
母親のことを大好きな人もいれば、なんらかのワケがあって好きになれない人もいる。
そう。母親との関係は人それぞれ。
私は子供の頃から母のことは宇宙で一番大好きで、母が死んでしまったら私も生きていけないとずっと思っていた。
「いつの日か母が死んでしまったら」
まだ母が認知症にもならず元気なうちから、そんな考えが頭をよぎると悲しくなって、泣いていたこともありました。
実際にはどうだったかと言えば、いま私は母の死をとても穏やかな温かい気持ちで受け入れています。
このように落ち着いた自分は、介護をする以前の自分からは想像できない気もします。
もしも母が認知症にならずに、元気で頭もしっかりしていて、家で一緒に暮らしている間に突然亡くなってしまったら、どうだったろう?
たぶん、こんなに穏やかな気持ちで母の死を受け止めることはできなかった気がします。
認知症の母とは、死という最後のお別れへと到達するまでには、長年に渡りいくつかの小さい別れがたくさんありました。
その中でも大きなお別れのひとつには、母が私のことを忘れてしまったお別れがあります。
ある日を境に完全に忘れてしまったわけではなく、私のことを誰だかわかる日もあればわからない日もある、というまだら記憶状態はある程度続きました。
最愛の親から娘である自分のことを忘れられるというのは、言い様のない悲しみですが、徐々に時間をかけて忘れていくという時間の流れが、私にそれを受け入れる心の準備をさせてくれました。
そして、介護施設に入る時も、忘れられない大きなお別れでした。
その他にも、今まで母ができたことができなくなるのを見るたび、そこには小さなお別れが無数に存在していました。
いま思うと、その数々のお別れの体験という訓練があってこそ、最期のお別れを穏やかに受け入れる強さが養われたのかな、と思えるのです。