うちにはまだ古いカセットテープが何本も残されています。
もう何十年も聴いてないものばかりで、なにが残っているのかずっと気にはなっていましたが、なんとなくそのままになっていました。
しかし、介護も終え自分の時間もある程度作れるようになったので、動作確認も兼ね少しずつ聴いていくことにしたのです。
確認してみるとほとんどのテープが、当時好きだった曲を録音したものだったのですが、予想外に家族の声を録音したものもたくさん出てきました。
古いものは、1970年代前半くらい。私が10歳頃の録音も残っていました。
みんなで歌を歌ったり、お互いにインタビューしたり、母親が夕食準備しているところに取材に行ったり、と、あれこれ工夫を凝らしたものが残っていました。
今なら手軽に家族の日常などはスマホで録画できるけれど、70年代頃はまだまだ個人でビデオカメラを所有している人なんて、ほとんどいなかった時代でした。
なので、たとえカセットテープの録音でも、もう耳にすることはできないと思っていた遠い昔の母の声が聴けたのは、すごく嬉しかった。
当時の母の声を聞いたら、当時の母の姿もよみがえってきました。
そうそう。そうだった!
認知症になるずっと以前の、まだ元気で若かった頃の母は、こんな感じだったな~、
と、私の中に鮮明によみがえってきました。
そんな時代の母が、私の17歳の誕生日に、私の兄からインタビューを受けていた録音がありました。
「〇〇ちゃん(私のこと)が17歳になりましたが、これからなにか望むことはありますか?
どうなっていって欲しいですか?」
と、兄は母に質問しました。すると母は、
「どうなって欲しいか?
ん~。。そ~だね~~」
・・、と数秒考えたのち。
「好きなように生きればいいよ」
と、キッパリ言ってたのです。
当然、当時の私もその言葉を聞いたはずですが、理解のある母親だ、とか、ありがたい、なんて気持ちは、これっぽっちも思わなかった気がします。
それはたぶん、人は好きなように生きられるのが当たり前、親は子供に自由を与えるのが当たり前、と、のん気に思って生きていたから。
でも、歳を重ねていくうちに、親が私に与えてくれた自由というものは、誰でも簡単には手に入れられない、とても貴重なものだと知りました。
時代を超えて、当時の母のその言葉がよみがえり、今の私の心を強烈に揺さぶり続け、感謝の気持ちに癒されています。
それでも、私には人よりも劣っている点や不足しているものも、すごくたくさんあると思っています。
股関節の障害など、まさにそうだと思うのですが、親からもらったたくさんの愛や自由という力を使っていけば、不足している部分というものは、おぎなっていけるものだと感じています。