手術しない股関節症と親の介護ブログ

独身50代女性による親の介護体験や 変形性股関節症 保存療法への取り組み 歳を重ねて気づいてきたことなど

子供の頃の夢は歌手でした!

今週のお題「告白します」

 

物心ついたころから私はずっと 歌手になりたいと思っていました。

特にその想いを強く持っていたのは、小学6年生頃~中学1年生頃でしたね。

時代的には、スター誕生という歌手を目指す人のオーディション番組の全盛期で、そこからは山口百恵ピンクレディーなど、昭和を代表するたくさんの有名人が世に出ていました。

とにかく歌うことが好きだったので、レコードやカセットテープレコーダーをかけながら、毎日歌を歌っていました。

私と同じように歌手に憧れる友達もいたので、放課後には一緒に歌の練習をしたりしてました。

歌手になりたいという夢を持っていることは、友達はもちろん、家族もみな知っていて、「頑張ってね~」っという感じで、応援してくれていました。

 

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中学生になった私は、スター誕生のオーディションを受けよう!と決意し、応募ハガキを出しました。

当日歌う曲目には、岩崎宏美の「想い出の樹の下で」と書いた記憶があります。

 

オーディションは、日曜日に有楽町で開催されることは知っていました。

うちからはかなり遠いけれど、母に頼めば一緒に行ってくれるだろうし、付き添いは都心部に住んでいる叔母さんにも頼めそうだな、と考えていました。

 

しばらくすると、オーディションの通知ハガキが届きました。

指定されていた日時はやはり日曜日だったのですが、その日は1年に1度位しかない、授業参観日で登校する日に当たっていました。

 

「どうしよう。。学校休もうか。。でもまたオーディションのチャンスはあるから今回はパスしようか?」

 

あれこれ悩みました。こういった場合、私は誰にも相談しないんですよ。

人に相談してどーなるものでもないことを、子供心にわかっていたのでしょうね。

学校だって休めなくはなかっただろうし、オーディションだって次のチャンスはいくらでもあったわけですから。

 

自分のことは、なんでも自分で決めないと気が済まない性格でした(~_~;)) 

 

結局私は、学校は休まず登校しました。

 

 

その後また、オーディションの応募をしたかといえば、答えはNO!

このことでなぜか、スター誕生に挑戦する気持ちが萎えてしまったのです。

 

それからは、歌手よりも、シンガーソングライターの方がいいなー、と思って曲作りを始めたり、バンドを組んでいくつかのオーディションには挑戦しましたが、結局夢を実現させるまでには至りませんでした。

 

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でも、夢に向かって一生懸命頑張っていたことはすごく楽しかったし、あの頃の夢は叶わなくても、今は全く未練や無念な気持ちはありません。

 

とりあえず、どんなにくだらないことでも、今やりたいと思っていることに情熱を注いでおけば、過去を振り返ってもあまり後悔することはないのかも、と思いました。

 

ちなみに、スター誕生のオーディション通知のハガキは、記念に残してあるので、探せばまだどこかに残っているはず(*^_^*)

 


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当たり前の日常が夢になる

お題「#この1年の変化

 

コロナ禍での この1年の個人的な変化としては、やりたいことがようやくできました。

 

介護から解放されたらやってみたいと思っていたことが、ゆっくりこなせた1年でした。

 

私の場合、本を読んだりネット検索することによって 得たい知識や学びたいことがたくさんあります。

 

PCやネットに関する知識も、古い情報のまま止まっていましたが、だいぶ現代に追いつけるようになってきました。

 

ブログ3つを書き続けるのも大変ではあるけれど、そのための知識を吸収したり、ネタを考えたりすることが習慣化され、思考の柔軟性や幅も広がった気がします。

 

そして4人家族からその半分になってしまった家の片付け。

 

遺品整理も含め、これもたいぶ片付いてきました。

 

でも、まだまだ片付けたいところはたくさんあるし、家の中を使いやすく、好みの雰囲気に整えたいし、読みたい本も山積みだし、私の場合、おうち時間がどれだけあっても全然足りない感じです。

 

コロナ前の方が介護によって 自分のやりたいことが全くできなかったので、この1年はようやくやりたいことができた年、という、一般の人とは真逆な結果になっているのも確かです。

 

どこかに遊びに出かけたり、美味しいものを食べに行けないストレスは、たぶん一般の人よりはないと思います。

 

股関節が悪くなってからは、どこかに遊びに出かけたいという気持ちはなかなか湧かなくなっています。

 

ただ、美味しいものを食べたい気持ちはありますけど(^ω^)。

 

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このように、私の場合この1年での生活や精神的な面での大きな変化はないようですが、施設に入所中の母親にほとんど会えないというのが、とにかく辛いです。

 

母は今年2021年3月には95歳を迎えます。

95歳といえば、父が亡くなった年です。

母には父を大きく追い抜いて、もっともっと生きててほしい!

 

でも、心配。毎日心配。

 

母のいる介護施設からクラスターが出ちゃったらどうしよう。。。

母のような超高齢者がワクチン打たれても大丈夫なのだろうか。。。

会えない間に母の寿命が尽きてしまったら。。。

 

自分のことでも心配すべきことはたくさんありますが、とにかく母のことが気になって気になって、思い出すたび気持ちがざわざわしてしまいます。

 

母はまだ、この世に存在しているというのに、

触れることもできないなんて(*´Д`)。。

 

コロナが終息して真っ先にやりたいことは、母に触れること。

母の手をしっかり握って、思いきりハグしてみたい。

  

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 コロナ以前には当たり前にできたことを、今となっては夢のような現実として思えるこのことこそが、この1年での1番大きな意識の変化かな、と思います。

 


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普通に歩けないことが当たり前になっている

変形性股関節症により日常生活に支障をきたしてから、約10年。 

夜寝る時まで痛みがひどく、立ち上がりや歩き出し時には激痛が走る時期もありましたが、今のところはわりと安定しています。

安定している、と言ってしまうと、普通に歩けて生活できているのか、と思われるかもしれませんが、そうではありません。

何かにつかまらないと痛くて立ち上がることはできないし、歩くたびに股関節に響く痛みは必ずあります。

休まずに続けて歩くのは、10分~15分くらいが限界です。

 

今は杖は使わずに歩いていますが、「あ。あの方は脚が悪いのね」と 周囲から見ればわかるだろう歩き方になっています。

普段の買い物は自転車で移動しています。

自転車にはなんとか乗れていますが、一番問題なのは最初に足を上げて乗るときです。

疲れて痛みが出ているときは、脚がまったく上がらなくなり、自転車を引いて帰ることもよくありました。

バスタブに入るのにも もちろん踏み台が必要です。

 

とにかく足を上げて踏み越えるようなことは、どんなに低いものでも、まったくといっていいほどできなくなりました。

 

還暦を前にしているものの まだ50代にして、この状態はどうしたものだろう。。。と思うのですが。。。

 

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改善させていこうとする気持ちはもちろんあるのですが、ふと気づけば、今のこの不自由な状態が、私の感覚の中では いつの間にか当たり前になってきています。

 

痛みも伴う、こんなに不自由な身体を当たり前に感じている無自覚さに、ちょっとした恐怖すら感じてしまいます。

 

私の場合は股関節痛だけじゃなく、高齢者予備軍世代としてこれから次々、身体にあちこちガタがきてもおかしくはないと思うのです。

 

その都度、はっ!とするほどの危機感を覚えても、次第にそれが当たり前の自分の姿になってしまうとしたら、嫌だなあ 。。。(>_<)。。。

 

「もう歳だから仕方ないねぇ。。」と言って、身体の不調を当たり前のように受け入れているお年寄りをたくさん見てきて、とても歯がゆく感じましたが、普通に生きて老化していけば、人生あきらめの大波にのまれていくのが 自然な姿なのかもしれないなぁ。

 

でもやっぱり私は、どんなに歳を取っても改善の余地があれば改善させていきたい!

 

そのために必要なのは、そこに向ける強い気持ちと努力の継続か(*´Д`))

 

口先だけでなかなか実行が伴わないけど、とにかくあきらめたくない。

 

また、バランスよく大地を蹴って歩いてみたい🎵

 

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霊安室の存在が怖かった

今週のお題「鬼」

 

人が亡くなることを「鬼籍に入る」なんて言い方もありますね。

一昨年、私は父が亡くなるまで、人の死というものに深く関わったことがなかったこともあり、死というものがとても恐怖でした。

 

幽霊なんて生まれてこの方一度も見たことはないくせに、事故現場の近くを通ったりすると、ビクビクしてしまう性分なのです。

 

ある時期まで、私は病院内にある霊安室の存在がとても気になっていました。

 

どう気になるのかといえば、「幽霊が出そうで怖い」という、いい歳した大人が考えるとは思えない理由によってです。

 

でも怖いのだから仕方ありません。

 

父はわりと大きな総合病院で手術をしたり、入院していました。何棟もあるような広い病院で、内科、外科はこちら、会計はこちら、と案内表記もわかりやすく表示されてあるところです。

 

私はわりとよく利用していた病院内の売店の近くで、すぐに霊安室への矢印を発見しました。

 

売店からはだいぶ離れた別の棟にあるようでしたが、

「そうか。向こう側に霊安室があるのか」

と、その表示が視野に入るたびドキドキしていました。

 

その後、療養型の病院に移ってからは、病院内では霊安室の表示を目にすることがありませんでした。

 

それならば、霊安室のことなど考えなければいいのに、

「この病院って、霊安室はどこにあるんだろう??」

と、気になって気になって。。。

 

そして、よせばいいのに、転院する際にもらった病院のパンフレットをわざわざ確認したら、だいだいの位置が分かってしまいました。

 

霊安室の位置は父の病室の近くではないし、あまり通らないエリアに位置してはいたものの、行くたびにその方向が気になってはいました。

 

父が亡くなったのは、夜の23:00時近くで、病院に着いたのはそれから30分後位でした。父の亡くなる瞬間には間に合いませんでした。

 

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その後父は、きれいにエンゼルケアをしてもらい、時はすでに午前零時を回っていました。

 

病院内は消灯していて静まり返った薄暗い廊下を、父はストレッチャーに載せられ霊安室まで運ばれました。

 

私と兄はそのあとを、黙ってついて行きました。

 

その時の私は、霊安室に行く怖さなど全く感じることなく、病院の暗い廊下も全く怖く感じられませんでした。

 

そして、霊安室は私が案内パンフレットで確認した位置とは違い、いつも通っているエリアのすぐ近くにありました。位置が変わったか、増設したかしたのでしょう。案内パンフレット上の表記とは違っていたのです。

 

その後も私は兄とふたりで、葬儀社の方が来て下さるまで、深夜の病院内の霊安室近くの 他には誰もいない待合室で ひっそり待ち続けていました。

 

怖いなんて感情は、いっさい湧いてきません。

 

それどころか、それ以来、病院の霊安室の存在など気にはならなくなったし、深夜の病院も別にどうってことない、と思えるようになっています。

 

人間って不思議だ。

 

私が不思議なのか? 

 

 


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2021年冬コロナ禍での想い

2021年冬。コロナ禍で、緊急事態宣言出て生活している、今の私の状況や心境を記録として残す意味でも綴っておこうかなと思います。

 

まず冬は好きだし寒さには強いので時期的なことに関しては問題なし。とは言っても、雪の多いところで生活している人や、極寒の中で働いている人などいることも考えると、安易に冬は好き、なんて発言できない気もしますが・・。

 

これは体質にもよるものだと思うのですが、夏の場合は暑さが辛いだけではなく、身体の不調があちこち出て、精神的にも参ってしまうのですが、冬に関してはそういうことはないのです。

室内温度は20℃位に保って生活していますが、家事などして動いているときはすぐに汗ばんでくるので、かなり薄着で生活しています。

 

外出に関しては今は週に2回位買い物に出る程度ですが、これでも私にとってはかなり自由を感じられます。

 

介護してた頃は、10日間くらい外出できないなんて ざらでしたから((((>_<))))

 

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その頃の生活から思えば 今は信じられないくらい自由です!

そもそもインドア派の私なので、やりたいことのほとんどは家にこもってできること。介護から解放されたらやりたかったことが とりあえず着々とできてはいます。

 

コロナ禍でストレスになることがあるとすれば、施設にいる母親と自由に会えなくなったことと、友人と会えないことです。

 

緊急事態宣言が出てからも、母が入所している施設は面会を禁止しませんでした。もちろん、面会するにしても厳重な感染対策をした上でのかたちになりますが。

 

ただ、禁止になってなくても、緊急事態宣言が解除されないうちは 行ってはいけないような気がして、自粛しています。

 

しばらくはまた、オンラインでの面会をお願いしようかとは思っているのですが、オンラインだとたぶん母は私達のことが誰だかまったくわからないだろうし、傍に付いてくれるワーカーさんもなにかと気を使ってくれるので、なんだか申し訳なくて頼みにくいのです。

 

年末に母に直接会えた時も、すぐにウトウトし始め、面会することは母にとっては疲れるだけで、なにもいいことないのかなあ、なんて思ってしまいます。

 

それでも直接会いに行ければ 私達の存在を感じ取ってもらえそうな期待感はあるけど 画面を通して見た私達に対しては 不思議なだけでなにも感じでもらえない気もするんですよね😰

 

でも、たとえ画面を通してでも、母の姿を一目見られれば、私達の気持ちは少し安心できるので、とりあえずオンライン面会でつないでいこうと思います😐

 

母のことは毎日心配になるのですが、母が生きているからこその心配なのかと思えば、この想いもずっととどめておきたいような気持になります。

 


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なぜドクターは病名を伝えてくれないのか

私は、どこか不調があって病院に行った時、はっきりとした病名を告げられたことはほとんどありませんでした。

風邪とかインフルエンザの時には、はっきり言われた記憶がありますが、風邪ではない謎の喉の炎症とか皮膚湿疹とか、そういった症状で受診した際には、結局病名は伝えられることなく、「炎症を抑える薬を出しておきましょう」といったような感じで終わっていました。

私としても、特に病名を言われないということは、特に心配いらない症状なんだな、とその都度軽く考えていました。

ドクターは必ずしも病名を伝える必要はないのかもしれませんが、私にとっては深刻な、変形性股関節症の病名だけは、最初に受診した際にはっきり伝えてもらいたかったと後悔しています。

 

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私が最初に股関節の不調を感じて整形外科を訪れたのは、30歳の頃でした。

検査をしてドクターからは、

「あなたの場合、先天的にズレが生じやすい股関節をしていて、ここがこううまくはまってないでしょう?」

と、レントゲン写真を見ながら,、どこがどうズレているかの詳しい説明は受けました。

そして、

「加齢と共に骨を支える筋肉が衰え、痛みが出やすくなります。歳を取ったら無理をしないように」

というようなことを言われ、筋肉に塗る痛み止めの薬が出た程度でした。

そしてまだその頃には、塗り薬を使い切る頃には、痛みは治まっていました。

 

たしかに、その時のドクターの言っていることは間違ってはいないのだけれど、その時点でハッキリとした病名を告げてもらっていれば、その後の数十年間もっと自分の症状に合った運動や生活を心がけ、進行を抑えたり遅らせたりできたかもしれない、と思うと今になってだいぶ悔やまれます

 

その時点での私は、とにかく筋力を落とさないことに気をつけなければ、ということで、多少脚の痛みが出てもウォーキングに励んでいましたが、無理をしてまで歩くのは、変形性股関節症にとっては超危険行為…だったようです。

 

それから20年程の年月が流れ、私は長引く脚の不調で再び整形外科に行きました。その頃には変形性股関節症ではないか、と自分である程度調べ確信していました。

 

結局、ドクターのほうから病名を告げられることはなく、こちらから「この症状は、変形性股関節症ですか?」と訊いて、やっとそうだとハッキリわかりました。

 

今は、あらゆる病気や障害に関する本や情報が出回っていて、自分でも予防法や改善法、再発防止法などを調べることもできますが、素人では判断できかねるケースも多いですよね。

 

「で、結局、病名はなんでしょーか!?」

 

と、曖昧な説明のドクターには、今の私なら詰め寄って聞くことができますが、以前の私だと、病院そのものやドクターに対する緊張感のようなものがあって、遠慮して聞きにくかったというところもあります。

 

でも、世の中にはあえて自分の病名は知りたくない、とか、全面的にドクターにお任せしているから病名は知らなくてもいい、といった様々な理由から、病名になんかこだわらない人も多いのかもしれませんね。

 

私の場合は、自分で改善できる部分は自分でなんとかしたいと考えてしまうので、病名はきちんと知っておきたいなぁ、と思うのです。

 


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今でも精神年齢は10歳だけど

今週のお題「大人になったなと感じるとき」

 

自分の精神年齢は、10歳頃からずっと変わってない気がします。

若い頃から、大人への憧れなんて全くなかったし、むしろ大人っぽい雰囲気の物とか色は今でもあまり好みではありません。

今でもぬいぐるみはたくさん持っています。

 

大人になったら、大人らしくなんて、絶対に受け入れられませーーーーん!って感じでずっと生きてきました。

 

はっきり言って、内面はかなりお子ちゃまの私ですが、なぜか人からはそう見られないんですよね。

 

私にとって嬉しいほめ言葉は、「子供っぽい」なのですが、そんなこと言ってくれるのは、私のことをよく知り尽くした親友くらいです。

 

でも、よくよく考えると、「子供っぽい」は、ほめ言葉ではなさそうですね。

 

昔から人からよく言われた私の印象として多いのは、「しっかりしている」「落ち着いている」です。

 

あれ? これって、むしろ大人っぽい人のイメージじゃない?

 

すぐに慌てるので、全然落ち着いてなんかいないのですが、人は見ているところが違うな、といつも思います。

 

私は親になった経験がないので、余計に大人になった自覚が芽生えにくかったのかもしれません。

親になるってどんな意識変化が起こるのか、経験したことのない私にはわかりませんが、たぶん多くの人はそこで本当の意味での大人になれるのではないかな、と私は勝手に思っています。

私の場合は、親の介護を経験して、ずいぶん成長させられた感じはします。 

子育てという課題は免除されていた私の人生においては、親の介護は必須課題だったのでしょうね。

 

誰かのお世話をする、人の為に尽くすというのは、人が成長するために、人が大人として成熟するために、人生で必要な課題なんだろうな~と思います。

 

私の親は、歳取ってからもさらに 子供である私の成長を促し続けてくれていたわけです(^_^;)

 

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東京都は再び、緊急事態宣言出てしまいました。

効果がきちんと現れてくれるよう 自粛を頑張り祈るしかない感じです☆〃

 

 


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