手術しない変形性股関節症と親の介護ブログ

親の介護体験や 変形性股関節症 保存療法への取り組みに関する記録

変形性股関節症15年目の記録

変形性股関節症を患ってから15年が経過しています。

ここ数年は大きな変化はないものの、記録としてはきちんと残しておきたいので、今現在の状態や改善に向けて努力していることは、時折記しておこうと思います。

 

ちょうど1年前(変形性股関節症を患ってから14年)の記録記事を見てみたら、股関節の状態としては今とあまり変わらないかな~って感じです。

 

miyuyuchang.hatenablog.com

 

悪くなっているということはないですが、昨年に比べて良くなってきたということもない感じです。

 

ただ、少しずつ室内で行える簡単な筋トレやヨガ、廊下ウォーキングなどもやり始めたので、悪化させずに現状維持ができているのは、多少効果があるとみてもいいのかな、という気もしています。

 

常に自分の身体への意識は向けているので、今現在自分にとってなにが一番つらいかはわかっています。

 

股関節の痛みはなくならないものの、今はそれより肩や首の凝りを中心とした全身の凝りというか、筋肉痛?みたいなものの方が問題あるように感じます。

 

股関節痛よりもその方がツライと感じるのは、股関節痛が以前より軽くなってきたのか❔あるいは、股関節痛は変わらないものの、それ以上に全身の痛みが上回ってきたのか❔という疑問は浮かびます。

 

感覚としては、どちらも我慢できるレベルではあり、大したことはないと思えばたいしたことはないかな、といった感じ。

 

そもそも身体全身の凝りのような痛みは、老化による不調の要素も大きいような気がする。

 

いや。でも。。だからといって、たいしたことないって言いきれるのかどうかは、自分でもよくわからないけど。

 

今のこの年齢(61)で長距離歩けなくなったのはやはり不便。

かなり無理して頑張っても、一日5000歩位が限界だと思う。

休みなく続けて歩けるのは1000歩くらいまでかな。

たとえば今私がまだ40代くらいだったとすれば、今のこの身体の状態だと活動の範囲も限定されてしまうし、問題はかなりあるかなと思えるけれど。

 

還暦過ぎた今の状況の中では、さほど不便には感じないような気もする。

いや~。歳を取るっていうのも、気楽でいいな♬

・・なんて、本音をつぶやいたら、批判されそうだな。。

年齢以外にも、私がインドア派の文化系人間だから、ということもあるとは思う(^^;)

 

そして私の場合、全体的に秋冬は心身共にとても調子よく、春夏は心身共にとことん調子が悪い。

だんだん暑くなってくると、疲れやすくなってくるうえやる気も萎える。

もちろん、このままでいいとは思っていないので、改善を目指して身体の調整はこれからも日々続けていこうと思っています٩( ''ω'' )و

 


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小津安二郎の作品から今だからこそ見えてくるものがありました

小津安二郎の作品に触れてみたい気持ちが高まり、「東京物語」「お早う」「秋刀魚の味」を観てみました。

 

東京物語」は1953年(昭和28年) 「お早う」は1959年(昭和34年) の作品。

どちらもまだ私が生まれる前の時代のものです。

 

秋刀魚の味」は1962年(昭和37年)で、ちょうど私が生まれた年の作品でした。

 

小津安二郎の作品は、たしか40代の頃にも2作品ほど見たことがあるような気がしますが、この当時はなんの作品を観たのかよく覚えていません。

 

でも、観た印象としては、「自分が生まれる前の時代だけれど、自分がかなり小さかった頃の雰囲気も感じられて、懐かしいな~」といった程度のものでした。

 

小津作品は、伝統的な日本の家庭生活を描いているので、当時の生活の様子や日用品、日常的な言葉使いとか人々の服装とか、そういったものが見られるのが私にはとても興味深いものでした。

奇想天外なストーリーより、平凡な日常を描いたものが好きな私にとって、小津作品はかなりヒットしたようです。

 

今回観た小津作品を見て強く感じられたことは、亡くなった親達の時代特有のものの考え方とか、人間関係とか、今とは違った不思議な世界観。

 

ストレスを感じながらも ご近所付き合いは濃密にしていかなければならない主婦の生活とか、ある程度の年齢になったら結婚する、子供は親の面倒をみるのが当たり前、とか。

 

個人より家を中心とした価値観の中で、うちの親達も生きていたなということを、改めて思い出されてきました。

 

たしかに、うちの両親はこのような価値観が根強く残っていた時代の人であり、その価値観に外れることなく生きてきた人でしたが、私達子供に対してはそのような価値観を押し付けるようなことは一切しなかった。

 

親達にはたくさんのきょうだいがいて、親戚付き合いもそれなりにきちんと果たしていたけれど、

 

子供には子供の生活や生き方を優先させてくれていたので、私は親戚の集まりといった会合に参加することもなければ、祖父や祖母の葬儀にも出席したこともなかった。

 

いとこという存在は多数いたけれど、会ったこともない人や話をしたことのない人も多い。

 

それでも、親戚のおじさんやおばさんたちはうちにも遊びに来ることはあったし、その中でも特に親しく話せる人もいた。小さい頃には一緒に遊んだいとこもいましたね。

 

小津作品にみられるような昭和時代の光景として、いつまでも独身でいる人に、親戚の人達がとやかく言ってくる、といったものがあるけれど、私はそんなことを人から言われたことは一度もない。

 

今の時代ならともかく、昭和時代に生きていた私のような人間としてはけっこう珍しいことなのかもしれないな、と、小津作品を見ると改めて思う。

 

昭和時代の古い価値観に従っていた両親なのに、子供達には今の時代に通用するような個人の生き方や多様性を認める寛大さを持っていたことに、不思議な驚きと感謝の念が湧いてきます。

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不調をなんでも股関節のせいにしてはいけないと気づいた

変形性股関節症と付き合って、今年でもう15年目ほど。。になるかな。

介護を終えたここ数年は、自分の身体と向き合える時間も取れるようになり、だいぶ安定はしています。

股関節の痛みそのものは、数年前までとは大きく違って、だいぶ軽減され脚の力も付いてきた感じはしています。

ただ、よくよく自分の身体を観察していくと、私は全身の筋肉の痛み、のようなものを慢性的に感じている、ということに改めて気づいた。

肩や首の凝りもひどい。

長時間PCに向かってから立ち上がって動き出そうとしても、全身が固まったようになっていて動き出しは「イタタタ。。」って感じに必ずなる。

この現象はずっと以前から感じていたことだったけれど、なんとなくあきらめていた。

なぜあきらめていたんだっけワタシ❔

そうそう!変形性股関節症だから。股関節が悪いからその影響で全身に痛みが及んでも仕方ないよね。。。ってことだった。

 

だけど今私が感じている不調のすべては、本当に股関節だけが原因なのだろうか❔

なんでも股関節のせいにしていると、自分の体調を改善できる可能性をどんどん狭めていくようにも思えてきた。

たとえば、普段使わない筋肉を動かせるような簡単なストレッチでもやってみようか、と思っても、

 

いやいや、股関節が悪いからストレッチ系の運動はできないだろうし、痛みがでるかもしれないからやめておこう、っていうブレーキをすぐにかけていた。

だけど、よくよく考えれば私は、上半身は痛みもなく動かせるし、むしろ動かした後の方がコリもほぐれるので、上半身は動かしても大丈夫なんじゃないか~❔

 

そんなふうに考え方をシフトし、積極的に上半身を整え動かすようにしていたら、不思議と下半身も整ってきました。

全身はつながっていることは頭では理解しているつもりでしたが、日頃の意識としては、下半身と上半身はなんとなく分断されているような感覚で生活していた気がします。

私は体質的に秋冬は身体が動かしやすく元気で過ごせるのですが、春夏は不調になってしまうのです。

冬から春へと気温が上昇していくこの時期には、筋肉の状態が急に緩み始めて股関節が不安定になるのか、毎年同じような強い痛みを感じることが時折訪れます。

 

今後しばらくは、姿勢を正す意識を常に持つように心がけることと、上半身のコリを解消させるためのストレッチやケア、室内ウォーキングなどを中心に、身体の調整をしていくことを楽しんでいこうと思います。q(#^.^#)p

 


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親の死というリアルな記憶には消費期限がある

私はすでに両親を見送った身であるけれど。

だからこそなのかな。

今でも親の介護をしている人や、親を看取った人のことがとても気になります。

学生時代からの親友とは、ほぼ時期を同じくして両親を見送りました。

なので、親友の母親や父親が亡くなるたびに、自分の親の死をリアルに思い出し、まるで自分の親を失ったように悲しみに暮れました。

 

2024年今現在だと私は、父を亡くしてから4年と2ヶ月。母を亡くして1年と7ヶ月ほど経ちました。

その間には、親友のように近しい間柄の相手だけでなく、SNS上だけでのつながりのある人や、こっそり閲覧していただけのブロガーさんの中にも、親の介護をしている人はたくさんいて、悲報を知るたびにまるで自分のことのように悲しみが渦巻いていました。

閲覧していた介護ブログで、今年に入ってからまた認知症の母親を看取られた方がいました。

その方との交流はなかったものの、数年に渡って見ていたことと、予想外にあっけなく旅立たれてしまったので、とてもショックを受けました。

会ったこともなく、交流をしたこともない相手であったとしても、親しい人が亡くなったような、そんな悲しみが押し寄せてくるのです。

親を亡くしてから、私は自分の親以外の人の死に、何回涙したか数え切れないほどです。

たとえ人様の親であっても、親の死ということだけで、自分の親の死を強く思い出していたように感じます。

ただ、これはまだハッキリしたことはわからないけれど、今年に入ってから、私の中での親の死の記憶が、少し遠くに行ってしまったような気がするのです。

年明け前までは「母が亡くなったのは去年」だったのが、年が明けてしまうと、「母がなくなったのは一昨年」ということに。

時間の流れを考えれば、当たり前のことではあるけれど。

なぜ、親の死の記憶が遠くなってしまったように感じたかと言えば、今年に入ってから亡くなった方の死を、自分の親の死と重ねてみるようなことをしなくなっていたから。

 

厳密にいえば、まったくしなくなっていたわけではないけれど、その方の死そのものを悲しむ気持ちに集中していたことに、あとになってふと気づいたのです。

 

自分の親への想いが薄れたわけでは決してないのだけれど、親の死というリアルな記憶には、消費期限のようなものがあるのかもしれない。

 

親の死というリアルな記憶。

これは手放したくなくても、時の流れとともに確実に薄れてゆくものだと感じます。

 

親のことを思い出し懐かしさや感謝の想いで涙することは、これから先もずっとあると思う。

だけどこれから先にはもう、親の死を思い出し過呼吸になるくらい、悲しくて悲しくて、ただ悲しくて泣くようなことはないと思う。

 

でも。。それって、なんだか寂しいような気もするかな。

まだまだ悲しみの涙を流してもいいんだけどな。。

 


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これからの時代の60代で生きる

2024年私の人生においてもまた 新しいページが開かれました。

私は今年の8月で62歳になります。

以前は自分の年齢を堂々と公表することには抵抗がありましたが、60代になってきてからは、そうでもなくなってきましたね。

それは、もう歳なので開き直ったんだ、ということではなくてですね。。

最近の60代はみんなずいぶん若々しくて、歳を重ねる素敵さを醸し出している方もたくさんいて、若い頃に想像していた60代の印象とはだいぶ違います。

なので、歳をとったことを恥じる必要はないのかな、と気づき始めてきたわけです。

 

あ。でも。。歳を取ることを恥じたり、年齢を言うことに抵抗感があった自分って、なんなんだろう❔

これって、日本だと特にそうなのかもしれませんが、年齢だけを考えると「若い」ということに価値を置かれ過ぎていたように思いますね。特に、女性に対しては。

そして、歳を重ねた側の人たちは、歳を重ねた良さを語る人は少なく、年取ったことを嘆く人の数の方が圧倒的に多かった。

だから私も歳を取ることを恥じるような気持ちが、知らず知らずのうちに根付いてしまっていたんだろうな。

でも、同世代の話を聞いて、老化現象と思える話題で笑い合えることもあり、それはそれで楽しくもあるかな。

 

歳を取るごとに生きやすくなってきたし、人生楽しい。

私はそう感じています。

 

 

 

体力とか経済力といった部分に関しては、年齢と共に落ちていくものだから、ここに価値を置きすぎていると、だんだん辛くなっていく、ということはあるのかな。

 

私はもともと体力も経済力もなかったので、若い頃に比べて今は。。などと、嘆くような落差はこれといって感じられない。

 

それよりもむしろ、若い時期の方が世間を知らなかった分、人に対する緊張感が強く神経質な傾向が強かったけれど、歳を重ねるごとにそれらの傾向は緩和され、人を受け入れるキャパも広がりだんだん生きやすくなってきた。

 

昭和時代から活躍されているイラストレーターの田村セツコさんを年末にテレビで観ました。

 

85歳になられたようですが、見た目も内面も少女のように可愛らしくて、こんなふうに歳を重ねることもできるんだなぁ、とすごく感動!

 

老いは人生初体験の大冒険。ワクワク楽しまなくちゃ!

 

・・という考えの人です。素晴らしいなー!と私はめちゃくちゃ共感した。

 

このような考えの高齢者はとても少ないように感じますが、ある一定数は存在していると思うし、私もこういった考えに賛同してこれからを生きていきたい。

 

でも、歳を取ったら年寄りらしく、今さらワクワクなんてしなくていいし、静かに余生を過ごしていきたい。。。という考えの人も、それはそれでいいと思う。

 

高齢者の雰囲気にしても生き方にしても、どんどん多様化してきているし、それを選択できる自由も与えられているので、これから先の人生こそ、私は面白く生きられそうな気はしている。

 

これが、高齢者予備軍ともいえる年齢域に位置している、今の自分のありのままの気持ち。

 

 

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親が生きている人をうらやましく想う

高校時代からの友人と、大学時代からの友人とは、長年に渡りブランクもなく、ずっと付き合いが続いています。

 

女の人は一生の友達が作りにくい、などという説も聞きますが、私も友人たちもずっと独身だったせいか、生涯の友として成立しています。

 

大学時代からの友人は、私と同じようにここ数年のうちに両親を亡くしました。

 

高校時代からの友人は、母親はまだ健在です。

 

彼女は母親が23歳のときに生まれたそうなので、彼女の母親はまだ84歳。

 

私の母は36歳のときに私を生んだので、生きていたら97歳か。

 

同級生でも、親がいつ生んだかによってだいぶ年齢は違いますね。

 

母がもっと早く私を生んでおいてくれたら、母ともっと長い時間を過ごせたのかな、なんて、たまに考えることもあるけれど、若くして親を亡くしてしまう人もいるわけだから、そう考えると十分すぎるほど私は親との時間はもらえていた気はするかな。

 

高校時代の友人とは、今年最後ということで先日会いました。

 

帰り際に彼女が

「じゃあ、よいお年を!」と。

 

私もそれに応え、

「○○ちゃんも、お母さんと一緒によい年越しをね!」

 

・・・と、言うつもりだったのに。

 

不意に涙があふれ。。。

 

「○○ちゃんがうらやましい。。」と言いつつ、号泣してしまい、彼女を慌てさせてしまったのです。

 

自分でもなにがどうしてこうなっているのか、しばらくわからないまま泣いていました。

 

落ち着いたら、その意味はすぐにわかりました。

 

親と一緒に年が越せるということに、

いいなあ(*´Д`)。。。。

(ノД`)・゜・。うらやましいなあ。。。

 

そんな想いが、急にあふれ出てしまったようなのです。

 

私の中では年間を通しても、年末年始って家族揃っての印象が強い時期だからかな。

 

彼女と別れたその帰り道。

 

晴れ間はあるのにパラパラと小雨が降る中を、さっき友人の前で突然泣き出してしまった自分のことや、父も母もいた頃の年越しを思い出しながら歩きました。

 

私は外にいるときに親を思い出すと、親の名を呼んでよく空を見上げます。

 

その日も、母の名を呼んで晴れ間が広がってきた空を見上げると、そこには今まで見たこともないような大きな虹が目の前に広がって見えて、鳥肌が立つほど感動しました。

 

 

こんなことは、単なる偶然、と思えばそれまででしょうけれど。

 

父や母が「目には見えなくてもいつも一緒だよ」ということを、私にだけわかるように、メッセージしてくれたんだなぁ。。。と

 

私にはそう強く感じられました。

 

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認知症になりやすい生き方ってあるのかな

認知症になる人とならない人の違いってなんなんだろう?

私はこのことを、認知症だった母のことを思い出しながら、時々考えます。

 

認知症のリスクを高める要因は、食生活や運動習慣、そして遺伝的な要素というのは以前から言われていたことでもあり、たしかにそれは否定できないだろうな、とは思います。

 

ただ私は、それ以外にもその人のものの考え方とか、心の持ち方とか、一見しては気づきにくいその人の生き方そのものにこそ、リスク要因がかなりあるような気もしてる。

 

「悪いけど。。少し休ませてもらいます」

これは認知症がかなり進行し要介護4だった頃の母の寝言です。

 

認知症になる前の母は、自己犠牲的とも言えるほど、家族のために尽くしてくれる人でした。

 

専業主婦だったので家事は手抜きすることなく、床掃除も昔ながらの雑巾がけをずっと続け、食事の時も母はササッと切り上げ、後片付けや家族の給仕に休むことなく動く回っていたことを思い出します。

 

そんな母ですが、こんなこともよく言っていました。

「毎日毎日、家族の世話で嫌になっちゃうよ!たまには誰かの世話になって、ラクしてみたいよ」

 

それでも、父も兄も私もそれぞれ自分のやることを優先し、母の世話になりながら、お気楽に暮らしていた感じなのです。

 

ま。父は家族の為に仕事も真面目にしていた人なので、お気楽に暮らしていたとは言えないものの、無理してまで頑張ろうとはせず、マイペースに生きてた感じはしましたね。

 

テレビなどで認知症の家族を介護している番組を見ると、認知症になって介護される側は家族を世話するために生きてきた人が多く、介護する側は、親のおかげで自分の好きなように人生を生きてきた娘や息子、といったパターンが意外と多い気がする。

 

 

そして、そういった娘や息子は、独身で子育ての経験もなく、それまでの人生「誰かのお世話をする」という経験値が乏しい人が多いような気が。。

 

もちろん、それ以外のパターンもたくさんあって、たまたま私が自分の家族と似たようなパターンばかりに注目しているのかもしれないけど。

 

自己犠牲的ともいえる感じで人のお世話を散々してきた母は、認知症になることによって、ようやく人からお世話してもらえる立場になれた。

 

自分中心でしか生きられなかった私は、介護を通して初めて人の世話をするという課題がクリアでき、人として成長できたような感覚はある。

 

人それぞの生き方の不足している部分を補いバランスを取るために、病気とか障害とか介護とか。

 

そういった一見悪いことであっても、身の上に起こることが、あるんじゃないかなあ。

 

なので、この課題をクリアすればいいことあるぞ!と思って取り組んでみた方が、ストレスは少ない気がする。

 

誰もが納得するような、認知症になりやすい生き方というのがあるのかどうかはわからないけれど、なったらなったで、受け入れる覚悟は一般の人よりもできてるかもしれない。

 

それは認知症の母の様子をずっと見てきたからだと思う。

認知症の人や認知症そのものに対しても、恐怖心や不安感や抵抗感は だいぶなくなった気がするかな。

 


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