手術しない変形性股関節症と親の介護ブログ

親の介護体験や 変形性股関節症 保存療法への取り組みに関する記録

不調をなんでも股関節のせいにしてはいけないと気づいた

変形性股関節症と付き合って、今年でもう15年目ほど。。になるかな。

介護を終えたここ数年は、自分の身体と向き合える時間も取れるようになり、だいぶ安定はしています。

股関節の痛みそのものは、数年前までとは大きく違って、だいぶ軽減され脚の力も付いてきた感じはしています。

ただ、よくよく自分の身体を観察していくと、私は全身の筋肉の痛み、のようなものを慢性的に感じている、ということに改めて気づいた。

肩や首の凝りもひどい。

長時間PCに向かってから立ち上がって動き出そうとしても、全身が固まったようになっていて動き出しは「イタタタ。。」って感じに必ずなる。

この現象はずっと以前から感じていたことだったけれど、なんとなくあきらめていた。

なぜあきらめていたんだっけワタシ❔

そうそう!変形性股関節症だから。股関節が悪いからその影響で全身に痛みが及んでも仕方ないよね。。。ってことだった。

 

だけど今私が感じている不調のすべては、本当に股関節だけが原因なのだろうか❔

なんでも股関節のせいにしていると、自分の体調を改善できる可能性をどんどん狭めていくようにも思えてきた。

たとえば、普段使わない筋肉を動かせるような簡単なストレッチでもやってみようか、と思っても、

 

いやいや、股関節が悪いからストレッチ系の運動はできないだろうし、痛みがでるかもしれないからやめておこう、っていうブレーキをすぐにかけていた。

だけど、よくよく考えれば私は、上半身は痛みもなく動かせるし、むしろ動かした後の方がコリもほぐれるので、上半身は動かしても大丈夫なんじゃないか~❔

 

そんなふうに考え方をシフトし、積極的に上半身を整え動かすようにしていたら、不思議と下半身も整ってきました。

全身はつながっていることは頭では理解しているつもりでしたが、日頃の意識としては、下半身と上半身はなんとなく分断されているような感覚で生活していた気がします。

私は体質的に秋冬は身体が動かしやすく元気で過ごせるのですが、春夏は不調になってしまうのです。

冬から春へと気温が上昇していくこの時期には、筋肉の状態が急に緩み始めて股関節が不安定になるのか、毎年同じような強い痛みを感じることが時折訪れます。

 

今後しばらくは、姿勢を正す意識を常に持つように心がけることと、上半身のコリを解消させるためのストレッチやケア、室内ウォーキングなどを中心に、身体の調整をしていくことを楽しんでいこうと思います。q(#^.^#)p

 


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親の死というリアルな記憶には消費期限がある

私はすでに両親を見送った身であるけれど。

だからこそなのかな。

今でも親の介護をしている人や、親を看取った人のことがとても気になります。

学生時代からの親友とは、ほぼ時期を同じくして両親を見送りました。

なので、親友の母親や父親が亡くなるたびに、自分の親の死をリアルに思い出し、まるで自分の親を失ったように悲しみに暮れました。

 

2024年今現在だと私は、父を亡くしてから4年と2ヶ月。母を亡くして1年と7ヶ月ほど経ちました。

その間には、親友のように近しい間柄の相手だけでなく、SNS上だけでのつながりのある人や、こっそり閲覧していただけのブロガーさんの中にも、親の介護をしている人はたくさんいて、悲報を知るたびにまるで自分のことのように悲しみが渦巻いていました。

閲覧していた介護ブログで、今年に入ってからまた認知症の母親を看取られた方がいました。

その方との交流はなかったものの、数年に渡って見ていたことと、予想外にあっけなく旅立たれてしまったので、とてもショックを受けました。

会ったこともなく、交流をしたこともない相手であったとしても、親しい人が亡くなったような、そんな悲しみが押し寄せてくるのです。

親を亡くしてから、私は自分の親以外の人の死に、何回涙したか数え切れないほどです。

たとえ人様の親であっても、親の死ということだけで、自分の親の死を強く思い出していたように感じます。

ただ、これはまだハッキリしたことはわからないけれど、今年に入ってから、私の中での親の死の記憶が、少し遠くに行ってしまったような気がするのです。

年明け前までは「母が亡くなったのは去年」だったのが、年が明けてしまうと、「母がなくなったのは一昨年」ということに。

時間の流れを考えれば、当たり前のことではあるけれど。

なぜ、親の死の記憶が遠くなってしまったように感じたかと言えば、今年に入ってから亡くなった方の死を、自分の親の死と重ねてみるようなことをしなくなっていたから。

 

厳密にいえば、まったくしなくなっていたわけではないけれど、その方の死そのものを悲しむ気持ちに集中していたことに、あとになってふと気づいたのです。

 

自分の親への想いが薄れたわけでは決してないのだけれど、親の死というリアルな記憶には、消費期限のようなものがあるのかもしれない。

 

親の死というリアルな記憶。

これは手放したくなくても、時の流れとともに確実に薄れてゆくものだと感じます。

 

親のことを思い出し懐かしさや感謝の想いで涙することは、これから先もずっとあると思う。

だけどこれから先にはもう、親の死を思い出し過呼吸になるくらい、悲しくて悲しくて、ただ悲しくて泣くようなことはないと思う。

 

でも。。それって、なんだか寂しいような気もするかな。

まだまだ悲しみの涙を流してもいいんだけどな。。

 


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これからの時代の60代で生きる

2024年私の人生においてもまた 新しいページが開かれました。

私は今年の8月で62歳になります。

以前は自分の年齢を堂々と公表することには抵抗がありましたが、60代になってきてからは、そうでもなくなってきましたね。

それは、もう歳なので開き直ったんだ、ということではなくてですね。。

最近の60代はみんなずいぶん若々しくて、歳を重ねる素敵さを醸し出している方もたくさんいて、若い頃に想像していた60代の印象とはだいぶ違います。

なので、歳をとったことを恥じる必要はないのかな、と気づき始めてきたわけです。

 

あ。でも。。歳を取ることを恥じたり、年齢を言うことに抵抗感があった自分って、なんなんだろう❔

これって、日本だと特にそうなのかもしれませんが、年齢だけを考えると「若い」ということに価値を置かれ過ぎていたように思いますね。特に、女性に対しては。

そして、歳を重ねた側の人たちは、歳を重ねた良さを語る人は少なく、年取ったことを嘆く人の数の方が圧倒的に多かった。

だから私も歳を取ることを恥じるような気持ちが、知らず知らずのうちに根付いてしまっていたんだろうな。

でも、同世代の話を聞いて、老化現象と思える話題で笑い合えることもあり、それはそれで楽しくもあるかな。

 

歳を取るごとに生きやすくなってきたし、人生楽しい。

私はそう感じています。

 

 

 

体力とか経済力といった部分に関しては、年齢と共に落ちていくものだから、ここに価値を置きすぎていると、だんだん辛くなっていく、ということはあるのかな。

 

私はもともと体力も経済力もなかったので、若い頃に比べて今は。。などと、嘆くような落差はこれといって感じられない。

 

それよりもむしろ、若い時期の方が世間を知らなかった分、人に対する緊張感が強く神経質な傾向が強かったけれど、歳を重ねるごとにそれらの傾向は緩和され、人を受け入れるキャパも広がりだんだん生きやすくなってきた。

 

昭和時代から活躍されているイラストレーターの田村セツコさんを年末にテレビで観ました。

 

85歳になられたようですが、見た目も内面も少女のように可愛らしくて、こんなふうに歳を重ねることもできるんだなぁ、とすごく感動!

 

老いは人生初体験の大冒険。ワクワク楽しまなくちゃ!

 

・・という考えの人です。素晴らしいなー!と私はめちゃくちゃ共感した。

 

このような考えの高齢者はとても少ないように感じますが、ある一定数は存在していると思うし、私もこういった考えに賛同してこれからを生きていきたい。

 

でも、歳を取ったら年寄りらしく、今さらワクワクなんてしなくていいし、静かに余生を過ごしていきたい。。。という考えの人も、それはそれでいいと思う。

 

高齢者の雰囲気にしても生き方にしても、どんどん多様化してきているし、それを選択できる自由も与えられているので、これから先の人生こそ、私は面白く生きられそうな気はしている。

 

これが、高齢者予備軍ともいえる年齢域に位置している、今の自分のありのままの気持ち。

 

 

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親が生きている人をうらやましく想う

高校時代からの友人と、大学時代からの友人とは、長年に渡りブランクもなく、ずっと付き合いが続いています。

 

女の人は一生の友達が作りにくい、などという説も聞きますが、私も友人たちもずっと独身だったせいか、生涯の友として成立しています。

 

大学時代からの友人は、私と同じようにここ数年のうちに両親を亡くしました。

 

高校時代からの友人は、母親はまだ健在です。

 

彼女は母親が23歳のときに生まれたそうなので、彼女の母親はまだ84歳。

 

私の母は36歳のときに私を生んだので、生きていたら97歳か。

 

同級生でも、親がいつ生んだかによってだいぶ年齢は違いますね。

 

母がもっと早く私を生んでおいてくれたら、母ともっと長い時間を過ごせたのかな、なんて、たまに考えることもあるけれど、若くして親を亡くしてしまう人もいるわけだから、そう考えると十分すぎるほど私は親との時間はもらえていた気はするかな。

 

高校時代の友人とは、今年最後ということで先日会いました。

 

帰り際に彼女が

「じゃあ、よいお年を!」と。

 

私もそれに応え、

「○○ちゃんも、お母さんと一緒によい年越しをね!」

 

・・・と、言うつもりだったのに。

 

不意に涙があふれ。。。

 

「○○ちゃんがうらやましい。。」と言いつつ、号泣してしまい、彼女を慌てさせてしまったのです。

 

自分でもなにがどうしてこうなっているのか、しばらくわからないまま泣いていました。

 

落ち着いたら、その意味はすぐにわかりました。

 

親と一緒に年が越せるということに、

いいなあ(*´Д`)。。。。

(ノД`)・゜・。うらやましいなあ。。。

 

そんな想いが、急にあふれ出てしまったようなのです。

 

私の中では年間を通しても、年末年始って家族揃っての印象が強い時期だからかな。

 

彼女と別れたその帰り道。

 

晴れ間はあるのにパラパラと小雨が降る中を、さっき友人の前で突然泣き出してしまった自分のことや、父も母もいた頃の年越しを思い出しながら歩きました。

 

私は外にいるときに親を思い出すと、親の名を呼んでよく空を見上げます。

 

その日も、母の名を呼んで晴れ間が広がってきた空を見上げると、そこには今まで見たこともないような大きな虹が目の前に広がって見えて、鳥肌が立つほど感動しました。

 

 

こんなことは、単なる偶然、と思えばそれまででしょうけれど。

 

父や母が「目には見えなくてもいつも一緒だよ」ということを、私にだけわかるように、メッセージしてくれたんだなぁ。。。と

 

私にはそう強く感じられました。

 

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認知症になりやすい生き方ってあるのかな

認知症になる人とならない人の違いってなんなんだろう?

私はこのことを、認知症だった母のことを思い出しながら、時々考えます。

 

認知症のリスクを高める要因は、食生活や運動習慣、そして遺伝的な要素というのは以前から言われていたことでもあり、たしかにそれは否定できないだろうな、とは思います。

 

ただ私は、それ以外にもその人のものの考え方とか、心の持ち方とか、一見しては気づきにくいその人の生き方そのものにこそ、リスク要因がかなりあるような気もしてる。

 

「悪いけど。。少し休ませてもらいます」

これは認知症がかなり進行し要介護4だった頃の母の寝言です。

 

認知症になる前の母は、自己犠牲的とも言えるほど、家族のために尽くしてくれる人でした。

 

専業主婦だったので家事は手抜きすることなく、床掃除も昔ながらの雑巾がけをずっと続け、食事の時も母はササッと切り上げ、後片付けや家族の給仕に休むことなく動く回っていたことを思い出します。

 

そんな母ですが、こんなこともよく言っていました。

「毎日毎日、家族の世話で嫌になっちゃうよ!たまには誰かの世話になって、ラクしてみたいよ」

 

それでも、父も兄も私もそれぞれ自分のやることを優先し、母の世話になりながら、お気楽に暮らしていた感じなのです。

 

ま。父は家族の為に仕事も真面目にしていた人なので、お気楽に暮らしていたとは言えないものの、無理してまで頑張ろうとはせず、マイペースに生きてた感じはしましたね。

 

テレビなどで認知症の家族を介護している番組を見ると、認知症になって介護される側は家族を世話するために生きてきた人が多く、介護する側は、親のおかげで自分の好きなように人生を生きてきた娘や息子、といったパターンが意外と多い気がする。

 

 

そして、そういった娘や息子は、独身で子育ての経験もなく、それまでの人生「誰かのお世話をする」という経験値が乏しい人が多いような気が。。

 

もちろん、それ以外のパターンもたくさんあって、たまたま私が自分の家族と似たようなパターンばかりに注目しているのかもしれないけど。

 

自己犠牲的ともいえる感じで人のお世話を散々してきた母は、認知症になることによって、ようやく人からお世話してもらえる立場になれた。

 

自分中心でしか生きられなかった私は、介護を通して初めて人の世話をするという課題がクリアでき、人として成長できたような感覚はある。

 

人それぞの生き方の不足している部分を補いバランスを取るために、病気とか障害とか介護とか。

 

そういった一見悪いことであっても、身の上に起こることが、あるんじゃないかなあ。

 

なので、この課題をクリアすればいいことあるぞ!と思って取り組んでみた方が、ストレスは少ない気がする。

 

誰もが納得するような、認知症になりやすい生き方というのがあるのかどうかはわからないけれど、なったらなったで、受け入れる覚悟は一般の人よりもできてるかもしれない。

 

それは認知症の母の様子をずっと見てきたからだと思う。

認知症の人や認知症そのものに対しても、恐怖心や不安感や抵抗感は だいぶなくなった気がするかな。

 


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ちっぽけな父の遺品も捨てられない

2019年11月に父が亡くなって、4年が経とうとしています。

あれから11月が巡ってくるたび、いつもとは違った特別な感情で 父のことを思い出す時間が増えてきます。

父は1ヶ月半ほど入院した後に 病院で亡くなりました。

家に居られた最後の1ヶ月間ほどは たくさんの薬を苦しそうに飲んでいた姿が忘れられません。

普段は朝と晩に飲む薬を小分けにセットしておき、父の食事が終わったら私がその都度出してあげていました。

父の薬は徐々に薬が増えていき、不安でした。

初期の頃は、血圧の薬が一粒だけだったのに。。

父が家に飲み残した大量の薬を、4年経った今でもまだ捨てられずに、あの当時置いておいた棚の所に、置いてあります。

徐々に食事も摂れなくなって、それでも薬だけは無理して飲んでいた父。

辛く苦しかったのはわかっていたのに、父には我慢させすぎちゃった。

 

最終的には救急搬送。

そして、再び家に戻ることはなかった父。

2019年11月23日 夜 病院で父は亡くなりました。

95歳 死因は心不全の急性増悪となっていましたが、老衰ですね。

見事に生き切ったといえる人生であり、最期でした。

 

入院先のベッドサイドに置いておいた時計。

これは亡くなる前の年に父が入院した際に、文字盤がみやすい時計を置きたがったので、とりあえず100均で見つけて買ってきたものだったと思う。

父のベッドサイドに置かれた唯一の私物。

亡くなった瞬間も時計は止まることなく時を刻み、私が見届けられなかった父の最期を見届けてくれていたのかと思うと、安くてちっぽけな時計だけれど、この先もずっと手放すなんてことはできないだろう。

 

父の遺品すべて残してあるわけではないけれど、亡くなる最後の頃に目にしていたものほど、どんなにちっぽけなものでも捨てられない。

父の衣類でまだ着られるものは、兄に着てもらうようにしている。

でも、兄と父とではサイズが違うので、着られないものの方が多かったりする。

よくよく考えると、兄に着られないのは私が着てもいいかも、と気づいた。

 

こんな感じのシャツとか、自分では選ばない色だけど、着てみると悪くないかも。

 

亡くなった母の衣類も使えるものは使おうとしているので、多少自分の趣味じゃなくても 普段使いにはどんどん着ていこうかな と思っているのです。

 


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変形性股関節症になった頃の多大な不安感

私は、2009年47歳頃から股関節の違和感や痛みが強く出始め、変形性股関節症であることが判明しました。

 

その当時の私は、多大なる不安感と将来への絶望感を覚えました。

 

というのも、変形性股関節症は治せるものではなく、そのまま放置しておくと進行していく障害だという情報を知ったからです。

 

手術 (人工股関節置換術)という選択肢もあるようでしたが、数々のリスクも懸念され、それ以上に私は、自分の身体を傷つけることへの抵抗感が人一倍強いので、手術は絶対にしたくないと思いました。

 

命に関わるようなことでなければ、自分の身体は絶対に傷つけたくない!

 

そんな信念のような強い思いが私にはあるのです。

 

なので私は若い頃から、美容整形はもちろん、ピアスの穴だってとんでもない!という考えでした。

 

もちろん、他人がそうすることに対しては、とやかく言うつもりは全くないです。

 

私に限っていうならば 手術という選択肢は、あり得ない。

 

いろいろ調べて、散々考えて、手術で今後の股関節人生が安泰になるとは到底思えなかった。(※他の人もそうだということではありません)

 

でも、手術しないで、自分のこの変形した股関節で、この先ずっと自立して生活できるのだろうか。

 

 

いずれにしても、変形性股関節症との縁が結ばれてしまった以上、老後への不安はさらに大きなものになっていきました。

 

私はきっと まだそんなに高齢にならないうちに、歩けなくなって車椅子生活になって、晩年は寝たきりになってしまうかもしれない。

 

そんな不安なイメージに脅されていた時期もありました。

 

でも、自分でこまめにあれこれ工夫し身体の調整をしていくうちに、股関節の状態は確実に良い方向に向かっているということが実感できています。

 

私はかなりひどかった末期の変形でしたが、14年経った今でも進行はしていないどころか、着々と自力で回復に向かっています。

 

するといつの間にか、老後は車椅子になったり寝たきりになってしまうような将来像ではなく、90代後半になっても自分の足でしっかり歩ける自分のイメージが湧いてくるようになり、そのイメージに引っ張られてさらに力も湧いてきています。

 

変形性股関節症であるというだけでは、絶望する必要も不安にさいなまれる必要もないんだ。ということがわかった。

 

その後、自分がどのような選択をしどのように行動していくかで、その後の人生は決まっていくような気が 今はしています。

 


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