手術しない変形性股関節症と親の介護ブログ

親の介護体験や 変形性股関節症 保存療法への取り組みに関する記録

家庭に居場所のなかった父親

父が亡くなってほぼ一か月が過ぎました。

思い起こせば私はずっと 父親よりは母親が好きで、若い頃には特に用がなければ 父とは話もあまりしなかった気がします。

 

母も父とはそんなに仲の良い夫婦という感じではなく、私達子供優先の生活をずっと送ってきた家族でした。

よくありがちな 家庭に居場所のない父親、だったのかもしれません。

 

父はある時期まで、家族からは孤立していたような存在でした。

特に悪い父親だったというわけでもなく、真面目に働いて、家族をきちんと養っていたというのに、なぜか家族とひとつになれてはいませんでした。

 

いつの頃からだったでしょうか、徐々に父は家族の中に溶け込んできました。

それは母が認知症になり、父が入院や手術をした頃からだと思います。

我が家が平和だった頃には、父の存在はあまり意識できませんでした。

そんなことは叶わないとは分かっていながらも、父も母もずっと元気で変わりなく、家族として暮らしていけるものだと思っていました。

 

それまでの父は、自分の思いや感情を口にすることはなく、なにを考えているのかわからないようなところがありました。

 

でも、大きな手術を終えて集中治療室での面会から帰るとき、私が「じゃあね。また毎日来るからね」というと、「悪いな。。」と小声で言って、父は涙ぐんだのです。

父にもこんな面があったのか!? と、驚きました。

 

でも、驚いたのと同時に、私自身も父に対し、あんなに優しい口調で言葉をかけたことが今までなかったことに気づきました。

この時期から母の認知症も進行し始め、父も母を思いやる気持ちが強くなり、家族の関係性は変わってきました。

 

亡くなるこの1~2年の父は、なにかしてあげると「〇〇ちゃん、ありがとね」と、言ってくれるほど人格は変わりました。

変わったというより、それが本当のあるべき父の姿だったようにも思えます。

微笑む父の遺影の写真を見るたび、その言葉が聞こえます。

 

晩年の数年間に、本当の父の姿を私たち家族に見せてくれた父。でも、まだまだ私が知らないもっと素晴らしい父の面がある気がして、それに気づいていくことも娘としての使命であるような気がしているのです。 

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