在宅介護5年目 2014年10月~11月頃の母のことを記しておきます。
10月27日 この日は昼頃、母は兄に付き添われ、タクシーで1分ほどの距離にある整形外科から帰ってきました。
この当時母は月に一度、骨粗しょう症の薬をもらいに、定期的に受診していました。
最初の頃は歩いて通えていたのですが、次第にたった5分の距離も歩けなくなり、タクシーで通うことに。
そして、この日タクシーからは降ろせたものの、きちんと立つことができずに、そのまま地面にへたりこんでしまいました。
このパターン。家の中でも何度も経験していて、立たせるまでに最長2時間位かかったこともあります。
兄と二人で脇を抱えて立たせようとすると、痛い痛い!といって嫌がり、一向に立とうとする気はありません。
家の中から歩行器を持ってきて、それにつかまって自分で立ってもらおうと促しても、全く力が入らないような素振りを見せて、立ち上がれません。
この頃の母は、本人に立つ気持ちさえあれば、なにかにつかまってスッと立てるのです。
でも、本人に立ち上がろうとする意思が出ないと、立てないのです。
母だって、いつまでも地べたにへたり込んでなんていたくないはずなのに。
なんで素直に立ってくれないのよ~!!
と、私も兄も焦りと疲れで泣きたい気持ちでした。
そこへ、近所の知り合いの女性が通りかかり、
「手伝いましょうか」
と声をかけて下さいました。
その方は施設で働いていた経験もある方で、母とも顔見知りです。
でも、そのときの母は、もう覚えてはいなかったようですが。
その方が「立てますか~」と優しく促すと、そんなに力を入れることもなく、母はすんなり立てたのです。
それをみた私達が「すごいですねー!」と驚くと、その方は、「家族に対しては甘えが出ちゃうからね。こういうときは、他人の方がいいのかも」と言っていました。
でも、それだけではない気もしました。
やっぱり介助する側の感情の苛立ちがあると、拒否されちゃうんだな。
それはわかってはいたのですが、余裕がないと優しさは続かない。。。
11月10日の私の日記に、母の意味深な寝言が記してありました。
お母さんに大丈夫?・・って。
優しくしてくれるの。
わかった?
途切れ途切れに、そんなことを言ってました。
母は常に優しさを求めていたんだろうな。
デイサービスでは、「大丈夫?」なんて優しく声掛けしてもらえて、嬉しかったこともあったんじゃないかな。
私は母の介護中、どれだけ優しくできただろうか?
自覚できるのは、優しさより厳しさの方を多く見せていたような気がする。
私達母娘はわりと感情的なタイプなので、母が認知症になる前はちょっとした口喧嘩はよくしていたけれど、思い起こせば私は、母から厳しく怒られたことはない気がする。
勉強しなさい!とか、早くしなさいとか、できないことを責められたことなんて一度もなかった。
改めて気づいたけれど、優しい母だったんだな。
もし私に子供がいたとしたら、私は厳しい母親になっていたかもしれない、なんて、ふと思ってしまった。