手術しない変形性股関節症と親の介護ブログ

親の介護体験や 変形性股関節症 保存療法への取り組みに関する記録

攻撃すれば一番痛いのは自分

私は昔から、体力はあまりなかったせいか、一見すると 大人しく見られることは多かったのですが、気性はかなり激しいタイプでした。

 

そのため、自分と意見が対立する相手には、容赦なく攻撃して(あくまでも口で言うだけですが) 言い負かさないと気が済まないところがありました。

でも、根が単純なので、すぐに後悔するんですよね。

「きつく言いすぎちゃったな・・・」って。

 

そんなわけで自分はとても感情的な人間だと思って生きてきましたが、感情的というより、単に興奮しやすいだけなのかも、という気もしてきました。

 

喜怒哀楽はとてもはっきりしているのですが、人を恨んだり妬んだりといった、ネガティブな感情を引きずるようなことは一切ありません。

 

火山でいえば活火山!ドカーンと一発噴火すれば、あとはスッキリ!

でも、巻き込まれた人はたまらないですよね。

 

母が元気だった頃には、つまらないことで喧嘩することもよくありましたが、母は私と違ってわりといつまでも根に持つタイプ。

仲直りのために、母のご機嫌取りするのは大変でした。

 

こんな私でもだんだん歳を重ねるごとに、多少性格も丸くなってきたのか、過去に自分が言いたい放題言ってきた数々を思い出しては、心を痛めています。

 

直近の記憶では、やはり介護していた期間に、両親に言ってしまった、きつい言葉の数々です。

 

ただ、介護している以上、きつい言葉が出てしまうのは仕方ない、と自分をなだめてはいるものの、時折、ふっと思い出してしまうんですよね。

 

すると、心にグサッ!っとくるような痛みを覚えます。

 

たぶん、思い出さないように記憶の奥底に沈めていくこともできる気はするのですが、今はまだ風化させてはいけない思いのような気もするのです。

 

心にグサッ!っとくるような痛みを感じると、その後には「ごめんね。。。」という想いがこみ上げてきて、そうすると、その痛みはすーっと消えていく。。といったことの繰り返し。

 

今はまだ、これを何度も繰り返してしまいそうですが、私の心はそれでいいんだと言ってるような気がします。

 

これって、自分で自分を気が済むまで罰している、ということなのかもしれないなあ。

 

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 いたたた。。

 

 


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歳をとることのメリット

「歳を取ればとるほど、世の中のいろいろなことがわかってくるから楽しいのよ!」 以前テレビで美輪明宏さんが言っていたことが、いつまでも心に残っています。

 

私も歳を重ねるごとに、目に見えない世の中の仕組みとか、人間関係の法則のようなものが見えてきて、その分、若い頃より生きやすくなっているのはたしかです。生きる知恵のようなものが身に付いた、といえるのかな。

 

子供時代や若い時期には、そのようなことがほとんどわからなかったけれど、その頃は親に守られていたし、まだまだ先の長い人生の希望や可能性に支えられることで、生きる知恵などなくても、なんとかなっていた気がします。

 

それに、若い時期に訪れる辛い現実や不安は、ほぼ自分自身に関わる問題だけ。私なんて今思うと、お気楽な悩みばかりでしたね。

 

しかし、歳を重ねるごとに、今度は自分が誰かを守らなければならない立場になったり、自分自身の病気や肉親の死というものなど、避けがたい厳しい現実が次々と押し寄せてくるわけですよ。この先長生きすればするほど、昔からの知人友人もどんどんいなくなってしまいますよね。その部分だけ見ると、人生の後半を乗り切れるかどうか自信がなくなってきます。

 

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でも、辛い現実が増える分、それを乗り越えられる知恵は、歳を重ねるごとに授けられていくような感覚があるのです。これもひとつの人生の法則ではないかと私は思います。 

 

歳をとるということは、必ずしも悪いことばかりではないですよね。

 

だけど・・やっぱり、多く聞こえるのは、歳をとることを嘆く言葉ばかり。かくいう私も、ついついそれを口にしてしまいがちですが。。

 

楽しい体験でも、辛い体験でも、とにかく生きて経験してきたことさえあれば、そこから必ず知恵は紡ぎ出せるし、世の中の仕組みも見えてくると思うのです。

 

外見だけなら、10代位の若い頃に戻ってみたい気がするけれど、今持っている人生の知恵は手放さなければならないとしたら、今の方がいいかな、と思います。年を取るにつれ体力は失われていくけれど、その分、精神性は高まっていくんじゃないのかな。

 

若い時期のエネルギーと、歳を取ってからの知恵は、同等なものだと思うので、生まれてから死ぬまで、人生というものは 一定して充実させることが 可能なのかもしれませんね。 

 


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記憶はいつしかセピア色に変わる

今週のお題「感謝したいこと」

 

父の一周忌は無事に終わりました。

父のお墓の前まで来たら、ちょうどタイミングよく 墓石のところに赤とんぼが飛んできて止まりました。

 

あ!これはきっと父が乗ってきたに違いない!と思いましたね。

 

傍にいたご住職に、

「こういうのに霊は乗ってくるって言いますよねっ?」

と やや興奮気味にお聞きしたら、

「そうですね。」

と、穏やかに微笑んでくれました。

 

東京といえど自然豊かな郊外に住んではいるものの、私にとっては、赤とんぼなんて目にしたのは、最後がいつだったか思い出せないくらいに遠い昔。

普通のとんぼですら、最後にいつ見たかなんて思い出せないか。。。

 

お寺はうちと同じ市内にありますが、さらに自然豊かなエリアなので、赤とんぼ以外に、様々な小動物なども わりと頻繁に見られるようでした。

 

命日の夜には、父の病院に面会に行った時に撮った動画を観たり、その頃の日記をじっくり読み返したりしてみました。

 

じっくり思い出せば思い出すたび、悲しみはこみ上げてきます。

でも、以前のように、過呼吸になるほどの 嗚咽するような激しい悲しみの感情が湧いてくることはありませんでした。

 

なにかもっと違う、温かい感情が生まれていました。

 

一年経ち 父との思い出が、記憶の層の深いところに ゆっくり沈んでいってるような感覚を覚え、寂しいという気持ちもあります。

 

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でも、いつまでも父の死をリアルな記憶として残していくことはできないだろうし、そんなことができたとしたら、人は前に向かって進めないのかもしれない。

 

絶望するしかないような悲しみが訪れても、人はいつしかその悲しみからは癒され解放されていくように、自然界は仕組まれているのかなぁ、と感じました。

 

自分自身、特に無理して頑張って乗り越えた気はしないのです。

自分を追い込もうとしたけど できなかった。

今考えると それが良かったのかも。

 

時間の経過による力って すごいな!と思います。

古い昭和歌謡の一節に

「時間がなんでも解決するのよ~♪」

というフレーズがありましたが、まさにそれ!

時の流れに身を任せて~♪いれば、世の中なんとかなっていくものなのかもしれない。

 

自分に甘く 人生もかなり甘く考えてる気がするけど これから先もとりあえずこの流れで生きてみようかと思っています。

 

父のことを想う時、いつしか悲しみの感情より 時間をかけて膨らんできた温かい感情が上回っていることに気づきました。

それこそが、父への感謝の気持ちでした。

 

 


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幸せそうな人を見るのがつらいとき

喪中とは、喪に服する期間のことで、一般的には親族が亡くなった時から1年間とされているようですね。

 

そっか。もうすぐ私も喪が明けるんだ。

 

喪中の期間は祝い事や派手な活動は慎んだ方がいいとされているようですが、コロナの影響で私だけではなく、世界全体がまるで喪に服しているかのようでした。

 

2020年、もしコロナなどなくて、予定通りにオリンピックが開催され 日本中が盛り上がっていたら、私個人としてはどうだったかな、と思うことがあります。

 

そもそも、オリンピックにはさほど興味がなかったので、観戦に行ったりしたいとは思いませんでしたが、オリンピックにわく世の中を見て、自分の気分も少しは上がっただろうか?と考えると、違うような気がします。

 

昨年の暮れは、まだ日本ではコロナの影響はなかった世の中でした。買い物に行くとクリスマスや年末年始の飾りや商品が並べられ、とても賑やかで活気づいた雰囲気でした。

 

当然、いつもだったら、そんな雰囲気にワクワクして、買う必要のない物までついつい買ってしまう私ですが、父が亡くなって間もなくの時期に、そんな賑やかで楽し気な場にいるととても苦しくなってしまいました。

 

そして、必要最低限の物だけ買って、足早にお店を出たことを思い出します。

 

自分が苦しいとき、つらいときに、にぎやかな場や楽しそうにしている人を見るのは とにかくつらいものでした。

 

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今年もまた、世の中にはクリスマスの雰囲気が漂ってきました。

 

でも、去年とはなんとなく違う感覚で 街を見ている自分に気づきました。

 

一年という時を経て 心の奥に追いやられていた ワクワクする気持ちが、確実に動き始めているような気がします。

 

コロナは終息していないし、施設にいる高齢の母親だって いつなにがあるかわからない状況ではあるけれど、この一年間の年月が、私の心に変化を起こしていたのはたしかだと感じます。

 

父の命日である11月23日は、勤労感謝の日であり、いい兄さんの日でもあるようです。きょうだい想いの長男で 家族のために一生懸命働いてくれた父には ピッタリの日が命日になったな、と思います。

 

そして2020年 その命日ピッタリに、一周忌法要を予定しています。

 

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アクリルボード越しの面会

介護施設に入所している母と、約4ヶ月ぶりに面会することができました。

7月にも1回だけ会うことができたのですが、その後またすぐに感染者数が増えたことで、再び面会はオンラインでしかできなくなりました。

今回もまた、時期的に感染者数が増えてきているので、すぐにまた面会自粛となってしまうかもしれないな、と心配しています。

 

面会といっても、アクリルボード越しに大きなテーブルをはさんで、15分以内といった数々の制約があります。

面会に行った私達も、検温や手指消毒、二重にマスクをするなど、かなり厳重な管理の下で会ってきました。

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母には直接触れることはできなくても、アクリルボード越にしか見えなくても、すぐそこに母の存在を感じられたのは、とても嬉しく安心しました。

 

ただ、認知症で耳の遠い母とは、普通に会話をすることはできないので、私達の方に気を引いて、一方的になにかしゃべってもらうしかないのです。

 

調子がいいと、オンラインの時でもわりとしゃべったり 笑ったりもしてくれるのですが、その日は眠かったのか、すぐに目を閉じてウトウトしそうになりました。

 

傍にいたワーカーさんがその都度母の耳元で、

「娘さんと息子さんがきてくれましたよー!」

「ほらほら!娘さんと息子さんですよー!」

と、何度も伝えてくれましたが、よくわかってないようでした。

 

私達も、ただ手を振ったりする程度だといまひとつ気が引けないと思い、持参したぬいぐるみやマスコットなどを、面白おかしく動かして見せましたが、あまり興味は示しません。

 

でも、もはや私達の存在を完全に忘れてしまっている、とは考えたくないです。

マスクをしていたし、母とはかなり距離を置いていたので、私達のことを認識しにくかったのではないかな。母の調子が良くて、面会の条件も良ければ、まだ私達のことを思い出してくれる、と信じていたいです。

 

認知症が進んで会話がままならない母と、マスクをして距離を置いた面会は本当に厳しいです。会話というコミュニケーション手段を失った母とは、触れることや表情を見せることでしか、通じ合える手段はないのですから。 

 

母に直接触れて、笑顔を見せてあげられる日が、1日でも1秒でも早く来るように祈るしかありません。94歳の母には、もはやそんなに多くの時間が残されているとは思えないので。。。

 

 
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父の思い出と「青い影」

父が亡くなってもうすぐ1年経ちます。2019年11月23日が父の命日です。

11月の抜けるような青い空とか、この時期特有の秋の深まる気配を感じると、父との最後の思い出が鮮明によみがえってきて、悲しみを抑えることはできません。

 

昨年の今頃は、病院にお見舞いに行くたびに、今回が最後になるかもしれない・・と心揺らしながら、後ろ髪を引かれる思いで病室を出たことを思い出します。

 

病院まではバスや電車を使って うちからは1時間位かかりました。最後に父が入院していたのは 高齢者が中心の療養型病院でした。自然豊かでとても環境の良い所にあったのですが、駅からは遠いのです。

 

最寄駅から病院までは、送迎バスを使っていました。

午後に面会をして、もはやゆっくり話せる元気も父はなくなっていましたから、早めに帰るようにはしていました。

それでも、帰りの送迎バスに乗る頃には、いつもちょうど太陽が沈み始める夕暮れ時で、バスの中にも西日が差し、センチメンタルな気分が引き出されました。

 

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送迎バスの中ではいつも、懐かしい映画音楽やオルゴールサウンドなど 癒されるようなBGMが静かに流れていました。

「恋は水色」とか「オリーブの首飾り」とか「渚のアデリーヌ」とか。

 

11月の物悲しいような夕日と耳障りの良いBGMが、父との最後の思い出と強く結びつき、忘れられない曲となったものがありました。

 

それは、プロコルハルムの「青い影」でした。

 

原曲は歌入りなのですが、送迎バスの中で流れていたのは、チェンバロのような音で演奏された歌なしでの楽曲でした。なぜかこの曲が強く感情の奥深くに刻まれ、悲しいけれど父との温かい思い出を呼び起こしてくれるのです。

 

送迎バスの中で聴いたのと同じ「青い影」の音源を探しましたが、見つかりません。廃盤になったCDでそれらしきものが存在していたようなので、フリマなどで出てくるのを気長に待とうかな、と思っています。

家に残してあった古いミュージックテープにも、エレクトーン演奏の青い影を見つけ、それを聴いたり、YouTubeでもそれに近いものを見つけ、聴いています。

 

この曲を聴いて、私は今までとれだけ泣いてきたか計り知れません。。。これからもたぶん、何度でも泣いて泣いて、父との最後を思い出すことでしょう。

 

でも、泣くことは、悪いことばかりではないかも。。と思うように。

父を思い出し泣いた後には、温かいものがこみあげてくるようになってきました。ただただ辛い悲しみのトンネルからは、すでに抜け出ているのかもしれません。

 

 

 

 

青い影+4

青い影+4

 

 

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ハロウィンの夜に見たカラーの夢

今週のお題「急に寒いやん」

 

今年もまた、秋らしい快適な気候を感じられる時期はほとんどなく、このまま冬に突入していくのでしょうね。

ちまたでは「寒い寒い」という声がとっくから聞こえるようになってきていますが、この秋はまだつらいレベルの寒さを感じたことはないです。

 

住んでいるのは東京ですが、都心からは離れている気温の低い地域です。それでも冬になってもそんなにひどい寒さは感じないのは、私がただ寒さに強いからなのかも。

逆に、暑さには異常に弱いですが(^_^;))

相変わらず、ショッピングモールの中などで買い物していると、次第に暑くなってきて困ります。

 

ハロウィンの夜に私はカラーの夢を見ました。

ハロウィンはもともと西洋では、日本でいうところのお盆とかお彼岸のような日。

10/31の晩から11/1の朝にかけては、霊界との距離が最も近づく日とされているので、その日夜眠る前には、亡くなった父親と夢の中で会えるかな~と期待して眠りにつきました。

 

すると、父親は出てこなかったのですが、天井がガラス張りになっているバスに乗って、抜けるような青空を眺めている、とても幸福感に満ちた夢を見ました。

 

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夢は普通、色の印象はないことが多いと思いますが、この晩に見た夢は、抜けるような空の青さと、目に映るものすべてが光に満ち溢れていて、普段見る夢の様子とは全く違っていました。

 

言いようのない安心感と幸福感に包まれました。

父も母もまだ元気で、家族みんなで暮らしていた頃にしか得られなかった、懐かしい安心感と幸福感に似ていました。

 

カラーの夢というのは、心理学的に見た解釈、占いで見た解釈、など様々ありますが、私はその時に得られた感情や感覚を元に、スピリチュアル的に解釈してみたいと思います。

 

ハロウィンの夜に見た夢は、きっと亡くなった父の計らいだと思います。

 

大きな不安や迷いを抱えて生きる日々です。

以前のように、心からなにかを楽しんだり、楽しもうとする気にはまだなれません。

それでもなんとか自分を信じて頑張り続けていられるのは、天国の父からの見守りと力添えがあるからだと、改めて確信しました。

 


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