手術しない変形性股関節症と親の介護ブログ

親の介護体験や 変形性股関節症 保存療法への取り組みに関する記録

アクリルボード越しの面会

介護施設に入所している母と、約4ヶ月ぶりに面会することができました。

7月にも1回だけ会うことができたのですが、その後またすぐに感染者数が増えたことで、再び面会はオンラインでしかできなくなりました。

今回もまた、時期的に感染者数が増えてきているので、すぐにまた面会自粛となってしまうかもしれないな、と心配しています。

 

面会といっても、アクリルボード越しに大きなテーブルをはさんで、15分以内といった数々の制約があります。

面会に行った私達も、検温や手指消毒、二重にマスクをするなど、かなり厳重な管理の下で会ってきました。

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母には直接触れることはできなくても、アクリルボード越にしか見えなくても、すぐそこに母の存在を感じられたのは、とても嬉しく安心しました。

 

ただ、認知症で耳の遠い母とは、普通に会話をすることはできないので、私達の方に気を引いて、一方的になにかしゃべってもらうしかないのです。

 

調子がいいと、オンラインの時でもわりとしゃべったり 笑ったりもしてくれるのですが、その日は眠かったのか、すぐに目を閉じてウトウトしそうになりました。

 

傍にいたワーカーさんがその都度母の耳元で、

「娘さんと息子さんがきてくれましたよー!」

「ほらほら!娘さんと息子さんですよー!」

と、何度も伝えてくれましたが、よくわかってないようでした。

 

私達も、ただ手を振ったりする程度だといまひとつ気が引けないと思い、持参したぬいぐるみやマスコットなどを、面白おかしく動かして見せましたが、あまり興味は示しません。

 

でも、もはや私達の存在を完全に忘れてしまっている、とは考えたくないです。

マスクをしていたし、母とはかなり距離を置いていたので、私達のことを認識しにくかったのではないかな。母の調子が良くて、面会の条件も良ければ、まだ私達のことを思い出してくれる、と信じていたいです。

 

認知症が進んで会話がままならない母と、マスクをして距離を置いた面会は本当に厳しいです。会話というコミュニケーション手段を失った母とは、触れることや表情を見せることでしか、通じ合える手段はないのですから。 

 

母に直接触れて、笑顔を見せてあげられる日が、1日でも1秒でも早く来るように祈るしかありません。94歳の母には、もはやそんなに多くの時間が残されているとは思えないので。。。

 

 
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父の思い出と「青い影」

父が亡くなってもうすぐ1年経ちます。2019年11月23日が父の命日です。

11月の抜けるような青い空とか、この時期特有の秋の深まる気配を感じると、父との最後の思い出が鮮明によみがえってきて、悲しみを抑えることはできません。

 

昨年の今頃は、病院にお見舞いに行くたびに、今回が最後になるかもしれない・・と心揺らしながら、後ろ髪を引かれる思いで病室を出たことを思い出します。

 

病院まではバスや電車を使って うちからは1時間位かかりました。最後に父が入院していたのは 高齢者が中心の療養型病院でした。自然豊かでとても環境の良い所にあったのですが、駅からは遠いのです。

 

最寄駅から病院までは、送迎バスを使っていました。

午後に面会をして、もはやゆっくり話せる元気も父はなくなっていましたから、早めに帰るようにはしていました。

それでも、帰りの送迎バスに乗る頃には、いつもちょうど太陽が沈み始める夕暮れ時で、バスの中にも西日が差し、センチメンタルな気分が引き出されました。

 

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送迎バスの中ではいつも、懐かしい映画音楽やオルゴールサウンドなど 癒されるようなBGMが静かに流れていました。

「恋は水色」とか「オリーブの首飾り」とか「渚のアデリーヌ」とか。

 

11月の物悲しいような夕日と耳障りの良いBGMが、父との最後の思い出と強く結びつき、忘れられない曲となったものがありました。

 

それは、プロコルハルムの「青い影」でした。

 

原曲は歌入りなのですが、送迎バスの中で流れていたのは、チェンバロのような音で演奏された歌なしでの楽曲でした。なぜかこの曲が強く感情の奥深くに刻まれ、悲しいけれど父との温かい思い出を呼び起こしてくれるのです。

 

送迎バスの中で聴いたのと同じ「青い影」の音源を探しましたが、見つかりません。廃盤になったCDでそれらしきものが存在していたようなので、フリマなどで出てくるのを気長に待とうかな、と思っています。

家に残してあった古いミュージックテープにも、エレクトーン演奏の青い影を見つけ、それを聴いたり、YouTubeでもそれに近いものを見つけ、聴いています。

 

この曲を聴いて、私は今までとれだけ泣いてきたか計り知れません。。。これからもたぶん、何度でも泣いて泣いて、父との最後を思い出すことでしょう。

 

でも、泣くことは、悪いことばかりではないかも。。と思うように。

父を思い出し泣いた後には、温かいものがこみあげてくるようになってきました。ただただ辛い悲しみのトンネルからは、すでに抜け出ているのかもしれません。

 

 

 

 

青い影+4

青い影+4

 

 

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ハロウィンの夜に見たカラーの夢

今週のお題「急に寒いやん」

 

今年もまた、秋らしい快適な気候を感じられる時期はほとんどなく、このまま冬に突入していくのでしょうね。

ちまたでは「寒い寒い」という声がとっくから聞こえるようになってきていますが、この秋はまだつらいレベルの寒さを感じたことはないです。

 

住んでいるのは東京ですが、都心からは離れている気温の低い地域です。それでも冬になってもそんなにひどい寒さは感じないのは、私がただ寒さに強いからなのかも。

逆に、暑さには異常に弱いですが(^_^;))

相変わらず、ショッピングモールの中などで買い物していると、次第に暑くなってきて困ります。

 

ハロウィンの夜に私はカラーの夢を見ました。

ハロウィンはもともと西洋では、日本でいうところのお盆とかお彼岸のような日。

10/31の晩から11/1の朝にかけては、霊界との距離が最も近づく日とされているので、その日夜眠る前には、亡くなった父親と夢の中で会えるかな~と期待して眠りにつきました。

 

すると、父親は出てこなかったのですが、天井がガラス張りになっているバスに乗って、抜けるような青空を眺めている、とても幸福感に満ちた夢を見ました。

 

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夢は普通、色の印象はないことが多いと思いますが、この晩に見た夢は、抜けるような空の青さと、目に映るものすべてが光に満ち溢れていて、普段見る夢の様子とは全く違っていました。

 

言いようのない安心感と幸福感に包まれました。

父も母もまだ元気で、家族みんなで暮らしていた頃にしか得られなかった、懐かしい安心感と幸福感に似ていました。

 

カラーの夢というのは、心理学的に見た解釈、占いで見た解釈、など様々ありますが、私はその時に得られた感情や感覚を元に、スピリチュアル的に解釈してみたいと思います。

 

ハロウィンの夜に見た夢は、きっと亡くなった父の計らいだと思います。

 

大きな不安や迷いを抱えて生きる日々です。

以前のように、心からなにかを楽しんだり、楽しもうとする気にはまだなれません。

それでもなんとか自分を信じて頑張り続けていられるのは、天国の父からの見守りと力添えがあるからだと、改めて確信しました。

 


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病院に行くとお年寄りが気になる

私は、コレステロールの数値が高めなので、その薬をもらうために月に一度、内科を受診しています。

兄も持病があるため、一緒に通院しているのですが、去年までは両親も一緒に受診していたので、介護タクシーで連れて行って受診させるのにも とにかく一苦労でした。

でも今は、自分のことだけ気にかけていればいいので、楽になったと言えばその通りなのですが、周囲にいるお年寄りの様子が気になって気になって仕方ありません。

 

見ていて一番思うのは、ひとりで来るにはかなり心配なお年寄りがたくさんいるなぁ、ということ。

 

なので、受付の人や看護師さん達も、いろいろなことを事細かにいちいち説明してあげなければならなかったり、付き添って手伝ってあげたりしなければならないようで、見ていて気の毒になることも。

 

それでも、ひとりで来なければならないお年寄りはたくさんいるわけですよね。

たとえ家族はいたとしても、通院に付き添えるとは限らないわけだし。

 

先日も、ひとりで来ていたおばあちゃんが、病院での会計を終えてバッグの中にお財布をしまおうとするのだけれどうまく収まらず、結局バッグから半分お財布が飛び出たまま帰っていったけど、大丈夫だったかなあ。。。

 

よけど声をかけようかと迷ったけれど、バッグは目の届く位置に斜めかげにして帰っていったし、きっと大丈夫。。たぶん、大丈夫。。。かな。

声をかけて 余計なお世話になっても失礼だしね。。。と、自分に言い聞かせました。

 

通院している内科は、大きな病院と違って比較的小規模なクリニックなので、ひとりで来ているお年寄りにも手厚く親切に対応してくれますが、大きな総合病院などでは、お年寄りがよくわからずにオロオロしていたり、ぼーっと立ち尽くしていたりしている光景をよく目にしました。

 

ひとりできているお年寄りももちろん気になるのですが、本当に私が一番気になるのは、娘か息子に付き添われて来ているお年寄りです。

 

父が初めて入院した2012年頃は、介護されているお年寄りの奥さんか旦那さんが付き添ってきている、いわゆる老々介護のパターンを多く目にしましたが、ここ数年になって、急激に子供が親を介護するパターンが増えたように感じます。

 

自分もまだ親の介護をしていた頃は、そのような人達を見かけると、(お互いに、大変だよね~~~~同情。。)って、気持ちで見ていました。

 

でも、今となっては、もう (うわ~~~涙涙涙。。。)っていう、言葉にならないくらいの気持ちで見てしまい、(大変だよねー大変だよねー!でも、この大変な瞬間のひとつひとつが、いつか かけがえのないものだったと、強烈に気づく日が来るよ~)と、心の中で勝手に叫んでしまうのです。

 

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古いメガネが老眼鏡の代わりになった

お題「捨てられないもの」

 

父の遺品整理を進めています。

それでも、亡くなった父の物だけ処分するのは、なんだかやっぱりかわいそうで、不公平な感じもして(今でも家族の一員だと思っているので)、自分の物も処分し始めました。

 

自分の不用品はあまりないと思っていましたが、しばらく見なかったエリアを探索していくと、それなりに出てくるものですね。介護に追われたここ10年近くは、押し入れの奥の方まで整理する余裕など全くなかったので、存在を忘れていたものがたくさん発見され、処分するものはこれから続々と出てきそう。

 

そんな中、かれこれ20年以上前に作ったと思われる 私の古いメガネが出てきました。

近視が進んで度が合わなくなったけれど、なんとなく捨てられずに残しておいた物でした。古いメガネはもう残っていないと思っていましたが、なぜかひとつだけ残していました。

 

私は、中学生の頃から近視になってしまったので、ずっとメガネやコンタクトを使用していました。コンタクトを使っていたのは、40代位までだったかな。今は近視用のメガネだけを使っています。

 

裸眼だとたぶん両眼とも0.1以下です。視力検査表の一番大きな文字は見えませんから。

 

今は老眼にもなっていますが、今のところ老眼鏡は使っていません。スマホ画面や細かい文字を見るのは、メガネを外し、裸眼で見ればよく見えます。メガネをかけている時だと、その都度、いちいちメガネを外したり、ずらしたりするのは面倒ですが。

 

遠くは近視用のメガネ、手元の文字は裸眼で見れば見えるのですが、今一番不便していたのは、PCやタブレット画面を見る位の、中間的な距離が見えにくいことでした。

 

ところが! 先日片付けをしていた際に掘り起こした、その古いメガネをかけると、手元の至近距離やPC画面までの中間的な範囲がよく見える見える!

 

PC画面の文字って、こんなに黒々してたっけー!?って、驚くくらいクッキリ見えます。

 

これって、度数が合わなくなってしまっておいた古いメガネが、たまたま今の私の老眼の度数と合ってしまった、ということ? ・・でしょうね。

 

若い時期には近視も何段階か進んでいたので、メガネは何回も作り変えていました。TPOに合わせて使い分けてもいましたから、メガネはたくさん持っていました。

 

今回残っていたメガネは、フレームが気に入って作ったわりには、あまり使わなかったものなので、捨てるのももったいないから取っておこう、と思って、使う当てもないのに残しておいたような気がするんですよね。

 

普通、メガネの場合、いつかまた使えるかも、というチャンスは、まず巡ってはこないと思っていたけれど、意外にも そんなことはないのかもしれません。

 

私はいつ頃から老眼が始まったのかはよく覚えていませんが、同世代の友人を見ると、若い時期に視力が良かった人の方が 早い時期から老眼を感じていたような気がします。

 

そういえば、近視の人は老眼にならない、という嘘伝説がありましたよね。

ちょっとだけそれに期待していたんですけど、やっぱり、近視の人だって老眼になりますよね (残念。。。)

 

老眼はたしかに不便ですが、近距離ならメガネを外していてもよく見えるようになったのは、今までの近視だけのときより快適かも!・・と、今のところは思います。

 

でもまあ、この先は年齢的に白内障緑内障といったリスクも高まってくると思うので、気を付けていきたいとは思います。 

 

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 acworksさんによる写真ACからの写真

 


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父親の遺品整理をはじめる

お題「断捨離」

 

父が亡くなってから来月11月で1年経ちます。

父が使っていた物は、まだ処分する決心がつかずにほとんど残してありました。

残しておいても、もう絶対に使うことはないものばかりだし、思い出として残しておくなら、ほんの少しの量だけ残せばいいとは思っているけれど。。。。

なかなか捨てる決心がつかない。

 

父が使っていたスリッパも、もう使う人はいなくなったけれど 捨てるに捨てられず、玄関の靴箱の中にひっそり入れておきました。

先日ふと取り出して見てみたら、一年近く放置していたせいか、劣化して汚くなってしまったので、そこでやっと捨てる決心がつきました。

残しておくつもりなら、きちんと管理しておかなければダメですね。

 

そんなに古いスリッパでもなかったのに、履く人がいなくなって、放置されてしまうと、物って劣化は進んでしまうんですね。

物も、持ち主と一緒に死んでしまったような感じがして、またまた悲しくなってしまいました。

 

涼しくなってきて作業しやすくなってきたこともあり、このタイミングで、父の下着類を大量に処分しました。亡くなる2年間くらいの間は、入退院を繰り返していたので、下着やパジャマなどは、かなり買い足したので量がありました。

 

でも、パジャマはまだ一枚も捨てられません。

そのうち。。。そのうちにまた、少しずつ。。。

 

父の物だけ捨てるのは、なぜか可哀そうな気がして、母の履物も3足ほど一緒に処分しました。これも、もう絶対に使うことのない物でしたが、なんとなく捨てられずに残していたのです。母はまだ生きているので、捨てる時の悲しみ度合いは だいぶ少ない感じはしました。

 

本来なら、私の物も一緒に処分したいくらいなのですが、基本的に私は片付けはかなり好きな人間なので、自分の不用品はそんなにないのです。それでも、今後父の遺品を処分する際には、自分の物とか兄の物なども一緒にしたい。

 

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なぜだろう?

亡くなった父の持ち物だけ旅立たせるのは、やっぱりかわいそう。。という気持ちがあるからなんでしょうね。

 

 父の持ち物は、父がまだ生きている間に、ずいぶん処分したり片付けは進めておいたので、今残っている物も、すべて私が把握できる状態になってはいます。

 

父が亡くなるまでの2年間に、私はけっこう必死で片づけました。

 

それは、亡くなることを予感して片付けていたわけではなく、きっかけは入院でした。

 

下着やパジャマなど、何枚持っているのかよくわからずに、最初の入院時には 家にあるのに無駄に買い足してしまったので、これじゃいけないな、と思って。

 

それまでは、父の持ち物は自分で管理してもらっていたのですが、ある程度高齢になってくると、認知症でなくても任せるのは難しくなってきますね。

 

父が亡くなる4ヶ月ほど前、父のタンスを片づけていると、これってもう履かないよね~っと思える古いズボンが何本も出てきて、父にも確認してもらいながら 一緒に片づけたことが思い出されます。

 

その他にも、私が古い書類の入った箱など見つけ出してきては、一緒に確認してもらいながら仕分けしたり 処分を決めたりしたことが、今となっては本当にいい思い出になっています。

 

遺品の処分にはかなり抵抗があったけれど、ようやく少しずつ手を付けていけるようになったということは、私の心も少しずつ整理されてきているのかな、と思います。

 

 

身近な人が亡くなった後の遺品整理

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  • 作者:奥村 拓
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運動と名のつくものは苦手です。

今週のお題「運動不足」

 

今週のお題は「運動不足」ですね。これはもう、私のためにあるようなお題です!

100%文化系インドア派人間の私なので。。。

 

コロナ禍でなにかとで歩く機会が減って運動不足になっている方は多いかと思いますが、私は脚が悪くなってからは(変形性股関節症です)  ウォーキングすることもできなくなり、10年近くに渡る慢性的な運動不足状態が続いています。

 

10年前までは、PCに向かって仕事をする毎日だったので、できるだけウォーキングやヨガを日課に取り入れていました。

運動は嫌いでしたが、ウォーキングとヨガだけは長く続けられました。

 

その頃に比べると、体重も体脂肪も増えています。

特に、体脂肪がまずいことになっています。。。

 

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痩せたい、痩せたい、という想いはありつつも、健康診断のメタボチェックにはまだ引っかかってないから、ま。いっか!的な、なあなあ感が漂います。

 

体脂肪を落とすには、有酸素運動が一番効果的なのはわかっていますが、股関節に痛みが出てしまうので、あまり歩くことはできませんでした。

 

が、このところ涼しくなってきたので、近距離程度は歩くようにし始めました。

そして、今まではある程度の距離を歩く時には杖をつくようにしていたのですが、数年ぶりに杖なしで歩くようにチャレンジしてみました。

 

すると、不思議なことに今となっては杖なしで歩いたほうが歩きやすく、歩いた後の脚の痛みも少なく、次第に脚に力がついてきました。今までは杖をついて歩くことで、肩や背中にも痛みが出ることが多かったのですが、杖をつかないことで上半身の痛みは出なくなっています。

 

数年前では考えられない現象です。杖を使うようになったのは、その時は杖をついて歩いた方が楽だったので、それ以来ずっとそうしてきたのですから。

 

変形性股関節症とともに生きていく中で、脚の状態は刻々と変化しています。

それも、良い方向への変化を感じます。

 

今の自分の脚の状態をどれだけ感じ取れて、今なにをどうすることが必要なのか、それが本当にわかるのは自分でしかないように思います。

日々、自分の身体と対話し、変化を記録し続けてはいます。

 

そういった中で、一般的に言われている「股関節痛の人にはこうするといいですよ」とか、「これをやってはいけません」といったことが、そのときの自分にとっては真逆の結果となって表れることも経験しました。

 

今のところ、少しずつではありますが、良い方向へ向かう兆しも感じられます。でもこれは、ひとつの経過点に過ぎず、ある時点から悪化の方向へとベクトルが変わる可能性も考えてはいます。

 

どうしても自分の手には負えなくなるその日が来ない限り、自分の身体は自分で守ってなんとかしていきたいと考える性分なのです。

 

 

  


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