手術しない変形性股関節症と親の介護ブログ

親の介護体験や 変形性股関節症 保存療法への取り組みに関する記録

変形性股関節症になってよかったこと

今回は、変形性股関節症になってよかったと、思えることについて書こうと思います。

 

えっ!?  よかったことなんて、本当にあるの❔

 

と、ほとんどの方は当然思われるでしょう。

 

もちろん、心からよかった、なんて思えることはありません。

 

でも、私の人生において簡単には取り除けないこの障害は、私にとってなにか意味のあるものではないかと捉え、そのポジティブな意味についてずっと考えていました。

 

最初に思いついたよかったことは、障害のある人に対する緊張感がなくなった、という点です。

 

脚に問題がなかった頃には、障害を持った方が身近にいなかったこともあり、なんとなく抵抗感や緊張感がありました。また、必要があればサポートしたいという気持ちを起こす自分に対しても、偽善的なものを感じモヤモヤすることもありました。

 

今はそのようなモヤモヤは全くないです。認知症の方に対しても、同様です。

 

そして、2番目に思いついた良かったことは、変形性股関節症という身体的に大きな問題があるからこそ、自分の体に対する意識は高まり、高齢者となる前から調整していく気持ちになれたことです。

 

もし股関節に異常がなく、まだまだ体力も十分に備わっていたら、今の年齢であればさほど身体へのケアなど気にかけなかったと思います。

 

そしてその後、ある程度の年齢がきたときには 急に衰えを感じ、修復が効かなくなる、なんてこともあり得る気がします。

 

 

そして、3番目に思いついた良かったことは、ゆっくりと時間をかける大切さに気づけたことです。

 

それまでの私は、何事もスピード重視で合理的に物事を進めていく傾向が強く、そのことによって無理をすることもあり、自分自身も徐々に疲れていました。

 

早くやらなければ!という気持ちに常にあおられ、行動は人一倍早かったと思います。

それは子供時代からその傾向はみられ、夏休みの宿題のほとんどは7月中に片づけていました。

 

 

しかし、股関節痛が出るようになってからは、早く動きたくても動くことができなくなりました。そのことが私にとっては一番辛いことだった気がします。

 

早く動きたくても動けなかったので、ゆっくりやるしかありません。

 

今の自分が無理なくできるペースでゆっくりやることがもどかしく、最初はかなりイライラしていました。

 

でも、ゆっくり時間をかけて行うことや、ダラけているかなと思いつつもダラダラやってみることで、今まで気づけなかったこと、見えなかった世界が見えてきた気がするのです。

 

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人生の折り返し地点を過ぎてからの私には、今までとは違った価値観や世界観に気づく必要があるために、変形性股関節症という障害が現れてきたのかもしれない。。。

 

日々いろいろ考えているうちに、そんな考えにも至りました。

 

障害や病気など、自分にとって不運としか思えないものは、ただただ不快なもの有害なものとして排除したい気はするけれど、そんなイライラした気持ちで向かい合うことは、自分にとってデメリットでしかないような気がします。

 

 

それよりも、この障害はなにか意味があって今の自分には必要なものとしてここにある、と捉えてみることで、敵として存在していたものが味方として姿を変え、苦しみも軽減されていくように私には感じられるのです。

 

私にとって変形性股関節症は、一生の付き合いとなる相手であることは間違いありません。

 

ならば少しでも仲良く、折り合いをつけてやっていく道を探っていくことも、まだ続くであろう自分の人生にとって大事なことだな、と思い始めています。

 

 


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