手術しない変形性股関節症と親の介護ブログ

親の介護体験や 変形性股関節症 保存療法への取り組みに関する記録

ブログひとり反省会

コロナの終息はいつ!? という焦りを引きずったまま、2021年は走り出してしまいました。

今年のお正月はもう喪は明けていましたが、うちは兄とふたりで、静かなお正月を迎えました。

 

元旦はお寺にお年始に行き、父の所に墓参り。

父が亡くなったのが、もう一昨年ということになってしまったんだな、と思うと、少しずつ父との記憶の距離が、遠くに行ってしまうような感じがします。

 

年末年始はそれなりに忙しく、仕事の方もとりあえずスタートできそうなので、そちらにも追われブログもなかなか更新できませんでした。

 

私はこのブログ以外にも2つのブログを書いていて、すべてテーマは全然違います。

こちらはいわば裏ブログ的な存在で、名前も変えて私にとってはかなり赤裸々なことを書いているつもりです。

 

親の介護に関することと、変形性股関節症についての体験記を中心に書いていこうと思って続けていますが、今のところ変形性股関節症についての記事は少ないですね。

 

親の介護に関しても、今は在宅での介護ではない上に、コロナ禍で施設に入っている母との面会もままならない状態なので、旬の情報はなかなか書けません。

 

過去に体験した在宅介護のことも、もっと書いていこうと思っていましたが、時間が経った今となっては、書きたいというエネルギーが十分には湧いてこないことが多いのです。

ある程度テーマからは脱線しない範囲で、今書きたい!と思えることを、その時の自分を記録しておくためにも記しておくことが重要かな、と考えています。

 

私はより多くの人に役立ち、共感してもらえるブログを書いているとは思えないし、それを狙っているわけではないのですが、途中からなんとなくその点も意識し始め、自分軸にふらつきも感じます。 

 

ブログについての ひとり反省会みたいな記事になってしまいましたが、今年もまたマイペースで続けていければと思っているので、新たな年を機にいろいろ考えてみたわけです。

 

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ブログを再開して思うこと

2020年は私にとって、休息と充電の年でした。

 

ある程度しっかりと、時間を取って自分をケアすることができたので、新しい年に向けて歩みだす力が出せそうです。

 

他の方のブログもとても刺激になりました。介護のかたちも、病気に向き合う姿勢も、親子関係も、人それぞれであることがリアルに伝わります。

 

「わかるわかる~」ってこともあれば、「ええええ!?こんな人もいるの!?」っていう驚きも多々あり、他の方のブログを読ませていただくことは、世間を知り、自分自身に気づくための勉強になるなぁと思っています。

 

たぶん私自身も、「ええええ!?こんな人もいるの!?」って思われているに違いないと思うので、私の変なところを見て、ご自身の良さや特徴に気づいてくれる人が一人でも多くいればいいな、と思うのです。

 

自分の言葉で自分の本当に伝えたいことを、揺らぐことなく発信することが、私らしいブログとの向き合い方なんだろうな、と思います。

 

でも、ふと気づくと、無難な言葉で優等生的にまとめようとしている自分によく気づいてしまいますが。。。

 

はてなブログを書き始めてようやく一年が経過しました。介護期間中はゆっくりネットに関わる余裕がなかったので、ブログ自体じっくり見たり書いたりするのは、約10年ぶり位でした。

 

10年位のブランクを置いて舞い戻った感想としては、ブログに関しては高齢化が進んだなぁ、という印象が強かったです(笑)

 

 

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若い層の多くは、InstagramTwitter等 今は情報発信手段は無数にありますからね。

 

自分自身はじっくり文章を書いていきたいし、読んでみたいブログとしてもある程度内容のある文章なので、ブログが合っていると思っています。

 

よくよく考えると、私がネットを始めた90年代後半頃などは、定年退職後の年齢層の人達で情報発信している人なんて、すごく珍しい存在でした。

 

2000年代に入ってもまだ、高齢者がPC扱うだけで、注目浴びる時代だったのに、今は普通にブログやったりSNSやったりしてるわけですよね。

高齢者がやってても、そんなに注目されるわけでもなくなってきたし。

 

そうか。そうなんだね。

時代は流れているんだなぁ、、ということを、ブログを通しても感じてしまいました。

 

2021年はどんな年になるのでしょう。

毎年いろいろあるけれど、時代も人の心もだんだん進化し良くなっている、と私は感じています。

良いお年をお迎えください☆〃

 

 


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親離れさせられたクリスマス

子供の頃から私にとってクリスマスは、1年で1番好きな日でした。

私の兄は幼い頃、サンタクロースを信じていたという話を つい最近聞きました。

なぜなら、寝ている間に母親がこっそり枕元にプレゼントを置くというサプライズを 兄にはやっていたからだと知りました。

私はいつも欲しい物は自分で選ばないと気が済まない 面倒くさい子だったので、よくよく考えると、サンタクロースの存在を信じるも信じないも、あまり考えたことがなかったな、と。

 

クリスマスは家族と過ごす、という、子供時代の温かく幸せなイメージが、私の心の中には今でもずっと根づいています。

 

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父も母もいない2回目のクリスマスが巡ってきます。

そんなに大きな物ではないですが、今年は10年ぶりくらいにツリーを出して飾りました。介護が始まってからは、クリスマスの飾りつけも、徐々にできなくなっていましたから、部屋の中にクリスマスカラーが溢れてくると、気分も上がります。

 

もし自分に子供がいたら、今頃どんなクリスマスを過ごしていたのだろう?と考えてみましたが、手応えあるイメージは湧きません。

でも、父が亡くなった時、もし自分にも夫や子供といった家族がいたら、少しは悲しみのストッパーになってくれたのかもしれない、とは考えたことがありますが、実際どうかはわかりません。

 

元気だった頃の母からは よく冗談交じりに言われ続けてきました。

「いつまでも親のそばにばかりくっついていないで。。。」

そのあとの言葉はきっと、結婚しなさいよ、だったり、家を出なさいよ、と言いたいのだと思いましたが、言葉は濁してましたね。

 

母の本心はどうだったのかな?

「普通ならあり得ないくらい高齢になっても 自分の子供と一緒に長く暮らせて、幸せだったんじゃない?」

・・・と言ってみたことは何度もありますが、その都度

「調子の良いこと言って!」

などと、流されました。

 

こんなに母親への想いが強い人も、きっと珍しいんじゃないかと、客観的には思います。母は決して物分かりの良い人でもなければ、人格者と言えるような人でもなかったのですが、私が好きなように生きてても、自由にさせてくれる人でした。

自分の考えを決して子供に押し付けようとはせず、それでいて、子供が困ったら自己犠牲的に助け守ってくれる人でした。

 

昭和一桁生まれである母の時代の女性は、好きなように生きられる人などほとんどいなかった時代です。母は30歳手前でお見合い結婚したので、当時の女性にしてはかなりの晩婚だったようです。働きながらも華道の師範免状なども取得していたので、今の時代であれば独身でいて やりたいことを続けていたかもしれません。

 

家庭に入ってからの母は、家族のためだけに生きているような人でした。それが母にとって、好きなように生きていた人生とは思い難いのですが、母はそのようにしか生きられない人でした。

 

「あなたたちは、好きなように生きなさい」

母は私に対しても、兄に対しても、ことあるごとにそう言っていました。

 

大好きな母が死んでしまったら、私は生きていけない!とずっと思っていました。

母の施設入所が決まり、母のいない生活を考えただけでも、衰弱するほどの物凄い悲しみに襲われました。。。。

 

でも今は、この先いつか母が亡くなっても、私は生きていけるし、生きているんだろうな、と思えるようになっています。母への想いは変わっていないけれど。

 

それはきっと、先に巡ってきた父の死という体験によって得られた 心の成長なのかもしれない。

 

私は同世代の人達に比べると、驚くほどに子供っぽい感覚で生きている気がします。

今でも親に対する想いは、幼い頃の心のままです。

 

そんないつまでたっても親離れできない私のもとからは、しびれを切らした親たちの方が 先に巣立って行ってしまいました。

 

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Merry Christmas 🎄 

 

 

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攻撃すれば一番痛いのは自分

私は昔から、体力はあまりなかったせいか、一見すると 大人しく見られることは多かったのですが、気性はかなり激しいタイプでした。

 

そのため、自分と意見が対立する相手には、容赦なく攻撃して(あくまでも口で言うだけですが) 言い負かさないと気が済まないところがありました。

でも、根が単純なので、すぐに後悔するんですよね。

「きつく言いすぎちゃったな・・・」って。

 

そんなわけで自分はとても感情的な人間だと思って生きてきましたが、感情的というより、単に興奮しやすいだけなのかも、という気もしてきました。

 

喜怒哀楽はとてもはっきりしているのですが、人を恨んだり妬んだりといった、ネガティブな感情を引きずるようなことは一切ありません。

 

火山でいえば活火山!ドカーンと一発噴火すれば、あとはスッキリ!

でも、巻き込まれた人はたまらないですよね。

 

母が元気だった頃には、つまらないことで喧嘩することもよくありましたが、母は私と違ってわりといつまでも根に持つタイプ。

仲直りのために、母のご機嫌取りするのは大変でした。

 

こんな私でもだんだん歳を重ねるごとに、多少性格も丸くなってきたのか、過去に自分が言いたい放題言ってきた数々を思い出しては、心を痛めています。

 

直近の記憶では、やはり介護していた期間に、両親に言ってしまった、きつい言葉の数々です。

 

ただ、介護している以上、きつい言葉が出てしまうのは仕方ない、と自分をなだめてはいるものの、時折、ふっと思い出してしまうんですよね。

 

すると、心にグサッ!っとくるような痛みを覚えます。

 

たぶん、思い出さないように記憶の奥底に沈めていくこともできる気はするのですが、今はまだ風化させてはいけない思いのような気もするのです。

 

心にグサッ!っとくるような痛みを感じると、その後には「ごめんね。。。」という想いがこみ上げてきて、そうすると、その痛みはすーっと消えていく。。といったことの繰り返し。

 

今はまだ、これを何度も繰り返してしまいそうですが、私の心はそれでいいんだと言ってるような気がします。

 

これって、自分で自分を気が済むまで罰している、ということなのかもしれないなあ。

 

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 いたたた。。

 

 


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歳をとることのメリット

「歳を取ればとるほど、世の中のいろいろなことがわかってくるから楽しいのよ!」 以前テレビで美輪明宏さんが言っていたことが、いつまでも心に残っています。

 

私も歳を重ねるごとに、目に見えない世の中の仕組みとか、人間関係の法則のようなものが見えてきて、その分、若い頃より生きやすくなっているのはたしかです。生きる知恵のようなものが身に付いた、といえるのかな。

 

子供時代や若い時期には、そのようなことがほとんどわからなかったけれど、その頃は親に守られていたし、まだまだ先の長い人生の希望や可能性に支えられることで、生きる知恵などなくても、なんとかなっていた気がします。

 

それに、若い時期に訪れる辛い現実や不安は、ほぼ自分自身に関わる問題だけ。私なんて今思うと、お気楽な悩みばかりでしたね。

 

しかし、歳を重ねるごとに、今度は自分が誰かを守らなければならない立場になったり、自分自身の病気や肉親の死というものなど、避けがたい厳しい現実が次々と押し寄せてくるわけですよ。この先長生きすればするほど、昔からの知人友人もどんどんいなくなってしまいますよね。その部分だけ見ると、人生の後半を乗り切れるかどうか自信がなくなってきます。

 

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でも、辛い現実が増える分、それを乗り越えられる知恵は、歳を重ねるごとに授けられていくような感覚があるのです。これもひとつの人生の法則ではないかと私は思います。 

 

歳をとるということは、必ずしも悪いことばかりではないですよね。

 

だけど・・やっぱり、多く聞こえるのは、歳をとることを嘆く言葉ばかり。かくいう私も、ついついそれを口にしてしまいがちですが。。

 

楽しい体験でも、辛い体験でも、とにかく生きて経験してきたことさえあれば、そこから必ず知恵は紡ぎ出せるし、世の中の仕組みも見えてくると思うのです。

 

外見だけなら、10代位の若い頃に戻ってみたい気がするけれど、今持っている人生の知恵は手放さなければならないとしたら、今の方がいいかな、と思います。年を取るにつれ体力は失われていくけれど、その分、精神性は高まっていくんじゃないのかな。

 

若い時期のエネルギーと、歳を取ってからの知恵は、同等なものだと思うので、生まれてから死ぬまで、人生というものは 一定して充実させることが 可能なのかもしれませんね。 

 


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記憶はいつしかセピア色に変わる

今週のお題「感謝したいこと」

 

父の一周忌は無事に終わりました。

父のお墓の前まで来たら、ちょうどタイミングよく 墓石のところに赤とんぼが飛んできて止まりました。

 

あ!これはきっと父が乗ってきたに違いない!と思いましたね。

 

傍にいたご住職に、

「こういうのに霊は乗ってくるって言いますよねっ?」

と やや興奮気味にお聞きしたら、

「そうですね。」

と、穏やかに微笑んでくれました。

 

東京といえど自然豊かな郊外に住んではいるものの、私にとっては、赤とんぼなんて目にしたのは、最後がいつだったか思い出せないくらいに遠い昔。

普通のとんぼですら、最後にいつ見たかなんて思い出せないか。。。

 

お寺はうちと同じ市内にありますが、さらに自然豊かなエリアなので、赤とんぼ以外に、様々な小動物なども わりと頻繁に見られるようでした。

 

命日の夜には、父の病院に面会に行った時に撮った動画を観たり、その頃の日記をじっくり読み返したりしてみました。

 

じっくり思い出せば思い出すたび、悲しみはこみ上げてきます。

でも、以前のように、過呼吸になるほどの 嗚咽するような激しい悲しみの感情が湧いてくることはありませんでした。

 

なにかもっと違う、温かい感情が生まれていました。

 

一年経ち 父との思い出が、記憶の層の深いところに ゆっくり沈んでいってるような感覚を覚え、寂しいという気持ちもあります。

 

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でも、いつまでも父の死をリアルな記憶として残していくことはできないだろうし、そんなことができたとしたら、人は前に向かって進めないのかもしれない。

 

絶望するしかないような悲しみが訪れても、人はいつしかその悲しみからは癒され解放されていくように、自然界は仕組まれているのかなぁ、と感じました。

 

自分自身、特に無理して頑張って乗り越えた気はしないのです。

自分を追い込もうとしたけど できなかった。

今考えると それが良かったのかも。

 

時間の経過による力って すごいな!と思います。

古い昭和歌謡の一節に

「時間がなんでも解決するのよ~♪」

というフレーズがありましたが、まさにそれ!

時の流れに身を任せて~♪いれば、世の中なんとかなっていくものなのかもしれない。

 

自分に甘く 人生もかなり甘く考えてる気がするけど これから先もとりあえずこの流れで生きてみようかと思っています。

 

父のことを想う時、いつしか悲しみの感情より 時間をかけて膨らんできた温かい感情が上回っていることに気づきました。

それこそが、父への感謝の気持ちでした。

 

 


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幸せそうな人を見るのがつらいとき

喪中とは、喪に服する期間のことで、一般的には親族が亡くなった時から1年間とされているようですね。

 

そっか。もうすぐ私も喪が明けるんだ。

 

喪中の期間は祝い事や派手な活動は慎んだ方がいいとされているようですが、コロナの影響で私だけではなく、世界全体がまるで喪に服しているかのようでした。

 

2020年、もしコロナなどなくて、予定通りにオリンピックが開催され 日本中が盛り上がっていたら、私個人としてはどうだったかな、と思うことがあります。

 

そもそも、オリンピックにはさほど興味がなかったので、観戦に行ったりしたいとは思いませんでしたが、オリンピックにわく世の中を見て、自分の気分も少しは上がっただろうか?と考えると、違うような気がします。

 

昨年の暮れは、まだ日本ではコロナの影響はなかった世の中でした。買い物に行くとクリスマスや年末年始の飾りや商品が並べられ、とても賑やかで活気づいた雰囲気でした。

 

当然、いつもだったら、そんな雰囲気にワクワクして、買う必要のない物までついつい買ってしまう私ですが、父が亡くなって間もなくの時期に、そんな賑やかで楽し気な場にいるととても苦しくなってしまいました。

 

そして、必要最低限の物だけ買って、足早にお店を出たことを思い出します。

 

自分が苦しいとき、つらいときに、にぎやかな場や楽しそうにしている人を見るのは とにかくつらいものでした。

 

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今年もまた、世の中にはクリスマスの雰囲気が漂ってきました。

 

でも、去年とはなんとなく違う感覚で 街を見ている自分に気づきました。

 

一年という時を経て 心の奥に追いやられていた ワクワクする気持ちが、確実に動き始めているような気がします。

 

コロナは終息していないし、施設にいる高齢の母親だって いつなにがあるかわからない状況ではあるけれど、この一年間の年月が、私の心に変化を起こしていたのはたしかだと感じます。

 

父の命日である11月23日は、勤労感謝の日であり、いい兄さんの日でもあるようです。きょうだい想いの長男で 家族のために一生懸命働いてくれた父には ピッタリの日が命日になったな、と思います。

 

そして2020年 その命日ピッタリに、一周忌法要を予定しています。

 

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