手術しない変形性股関節症と親の介護ブログ

親の介護体験や 変形性股関節症 保存療法への取り組みに関する記録

変形性股関節症でも手術はしないという選択

2009年の晩秋から左股関節にひどい痛みを生じ始め、一時期は激痛で一歩も歩けない時期や、杖歩行をしていた時期もありましたが、2021年現在、痛みはあるものの、杖なしで歩け、自転車にも乗れ、まずまず普通の日常生活は送れています。

それでも、変形性股関節症の進行レベルで確認すると「末期」に相当します。

脚長差があります。ある程度のスピードで歩けますが、休みなしで歩けるのは15分位が限界です。階段は、手すりなしでは無理です。立ち上がり時や歩き出しの第一歩は、かなりの痛みです。

(でも、痛いことにはだいぶ慣れてしまいました。。(◞‸◟)

 

私と同じように、変形性股関節症と折り合いをつけながら、頑張って生きている人は世の中にたくさんいることはわかります。

 

変形性股関節症を患っている人の数は、平成28年厚生労働省データによると、日本国内で症状のある患者数 1000万人 潜在患者数3000万人 となっています。

 

今現在私は整形外科にも整骨院にもかかっていないので、この潜在患者数にも入ってないはず。。これらの数にカウントされない私のような人もきっとたくさんいると思うので、この症状で苦しんでいる人は、実際にはもっと多いはずですよね。

 

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変形性股関節症に関する情報検索は、今まで数えきれないほどしてきましたが、ほとんどが、人工股関節置換術など手術関連の情報が主流。

 

テレビでも、軽い初期症状の人向けには、ストレッチなどを用いた保存療法を紹介するものの、私のような末期症状の人向けには、骨切り術、人工股関節置換術といった、「あとはもう、手術しか道はないでしょう」的な、手術を勧めるようなものばかりで、少々うんざり(*´Д`)。。

 

私くらいの年齢(50代)で、私くらいの進行レベルであれば、ほとんどの人が手術の道を選んでいるように見受けられます。それは、人から聞いた話であったり、股関節症の人のブログを見たりネット検索したりして、実感したことです。

 

ただし、私は絶対に手術をしたくない!という頑固な思いでいるわけではありません。

 

変形性股関節症と診断された10年以上前、手術にするか、このまま保存でいくか、という選択肢を考えた時、手術によるリスクの方が私にとっては抵抗がある、と判断したので、保存の道を選び、今でも歩み続けているだけです。

 

保存の道を歩むリスクも当然ありました。手術せずに放置しておいたらどんどん悪化し、10年後くらいには車椅子生活になっているかもしれない、という恐怖心はありました。

 

でも10年以上たった今、治っているわけではありませんんが、あの頃より状態は安定し悪化しているとは思えません。

「あのとき、手術しなくてよかった」

これが今現在の私の率直な思いです。

 

だからといって、手術はよくない、と言いたいわけではありません。

 

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かなり痛みがひどかった状態から10年経っても、こうしてある程度元気で暮らしていられる人もいるということを、記録し伝えておきたいと思う気持ちが強いです。

 

変形性股関節症の人の個人的な記録というのは、極端に少ないのが現状です。さらに、手術せずにこの症状と付き合っている人の記録は、さらに少ないです。

 

今までのこと、そしてこれからの私の股関節の状態を、自分のため、そしていつか誰かの役に立つことも信じて、少しずつ記録し続けていければと思っています。

 

 


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元気な認知症というのも それはそれで手がかかりました。

母親が介護施設に入所して、そろそろ1年半近く経とうとしています。

必死で在宅介護していた頃のリアルな感覚は、少しずつ薄れていますが、当時の記憶はまだ鮮明に思い出せます。

 

母は認知症でしたが、その他にこれといった持病はありませんでした。

当時の主治医からも

「お母さんは、心臓も肺もこの年齢にしてはとても元気ですよ」

と、健康診断のたびに言われていたのです。

 

それでもやはり、認知症である限り、手がかからないはずはありませんでした。

 

介護認定で要介護3レベルの頃の母は、まだある程度足腰が元気だったので、畳の上に座った状態から自力で立ち上がることもできていました。

壁伝いに歩いて、ひとりで家の中を歩き回ることもできました。

 

でも、この頃の母が一番危険な状態にあったのです。

畳から手をついて立ち上がろうとする瞬間に、足元がふらつくのかバランス感覚を失うのかはわかりませんが、前のめりになってよく転びました。

 

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テレビの前に座っていたことが多かったので、転んだ先にはテレビ台や家具などもあり、そこに頭をぶつけることもよくありました。

 

壁伝いに歩き始めれば、歩行はある程度安定していましたが、そうなると今度は扉に手をはさんで、かなり深く切ってしまったことが2回もありました。

 

何十年も住み慣れた自分の家の、特になんの危険性も見受けられないと思える慣れた扉で立て続けにケガするなんて、思ってもみないことでした。

 

在宅での介護と言えど、24時間母を監視し続けることは難しいです。

できれば常に私の目の届く位置に居てもらって、大人しくしていて欲しいと思ったのですが、そんな要求には応じてくれませんでした。

 

ある程度自分の身体が動かせるうちは、自分のやりたいようにしたかったのでしょう。

たしかに。それも気持ちわかりますけどね(^_^;)

 

介護度が上がり、要介護4になってからの母は、だいぶ体力も落ち、ほぼ一日中椅子に座っているようになりました。

それでもたまにひとりで立ち上がろうとして転倒しそうになったり、テーブルの上に置いておいたハンドクリームをなめたり、入れ歯を勝手に外して握りつぶしたりetc.…

 

一瞬たりとも目が離せないことには変わりありませんでした。

 

今の母の身体状態は、施設の方の報告によると、家にいた頃よりさらに弱って活動量もだいぶ低下している感じです。家にいた頃は、支えてあげれば自分の足で少しは歩行もできたけど、今はもう無理なのかもしれません。

 

本来なら、定期的に行われる施設利用者の家族も参加できる 介護のモニタリング会議で、母の現状をいろいろ報告してもらえるはずなのですが、これも当分無理そうです。

 

母が生きていることはわかっていても、身体の機能や認知機能はどの程度低下してしまったのか、といったことがほとんどわからないので、気がかりは続きます。 

 

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子供の頃の夢は歌手でした!

今週のお題「告白します」

 

物心ついたころから私はずっと 歌手になりたいと思っていました。

特にその想いを強く持っていたのは、小学6年生頃~中学1年生頃でしたね。

時代的には、スター誕生という歌手を目指す人のオーディション番組の全盛期で、そこからは山口百恵ピンクレディーなど、昭和を代表するたくさんの有名人が世に出ていました。

とにかく歌うことが好きだったので、レコードやカセットテープレコーダーをかけながら、毎日歌を歌っていました。

私と同じように歌手に憧れる友達もいたので、放課後には一緒に歌の練習をしたりしてました。

歌手になりたいという夢を持っていることは、友達はもちろん、家族もみな知っていて、「頑張ってね~」っという感じで、応援してくれていました。

 

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中学生になった私は、スター誕生のオーディションを受けよう!と決意し、応募ハガキを出しました。

当日歌う曲目には、岩崎宏美の「想い出の樹の下で」と書いた記憶があります。

 

オーディションは、日曜日に有楽町で開催されることは知っていました。

うちからはかなり遠いけれど、母に頼めば一緒に行ってくれるだろうし、付き添いは都心部に住んでいる叔母さんにも頼めそうだな、と考えていました。

 

しばらくすると、オーディションの通知ハガキが届きました。

指定されていた日時はやはり日曜日だったのですが、その日は1年に1度位しかない、授業参観日で登校する日に当たっていました。

 

「どうしよう。。学校休もうか。。でもまたオーディションのチャンスはあるから今回はパスしようか?」

 

あれこれ悩みました。こういった場合、私は誰にも相談しないんですよ。

人に相談してどーなるものでもないことを、子供心にわかっていたのでしょうね。

学校だって休めなくはなかっただろうし、オーディションだって次のチャンスはいくらでもあったわけですから。

 

自分のことは、なんでも自分で決めないと気が済まない性格でした(~_~;)) 

 

結局私は、学校は休まず登校しました。

 

 

その後また、オーディションの応募をしたかといえば、答えはNO!

このことでなぜか、スター誕生に挑戦する気持ちが萎えてしまったのです。

 

それからは、歌手よりも、シンガーソングライターの方がいいなー、と思って曲作りを始めたり、バンドを組んでいくつかのオーディションには挑戦しましたが、結局夢を実現させるまでには至りませんでした。

 

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でも、夢に向かって一生懸命頑張っていたことはすごく楽しかったし、あの頃の夢は叶わなくても、今は全く未練や無念な気持ちはありません。

 

とりあえず、どんなにくだらないことでも、今やりたいと思っていることに情熱を注いでおけば、過去を振り返ってもあまり後悔することはないのかも、と思いました。

 

ちなみに、スター誕生のオーディション通知のハガキは、記念に残してあるので、探せばまだどこかに残っているはず(*^_^*)

 


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当たり前の日常が夢になる

お題「#この1年の変化

 

コロナ禍での この1年の個人的な変化としては、やりたいことがようやくできました。

 

介護から解放されたらやってみたいと思っていたことが、ゆっくりこなせた1年でした。

 

私の場合、本を読んだりネット検索することによって 得たい知識や学びたいことがたくさんあります。

 

PCやネットに関する知識も、古い情報のまま止まっていましたが、だいぶ現代に追いつけるようになってきました。

 

ブログ3つを書き続けるのも大変ではあるけれど、そのための知識を吸収したり、ネタを考えたりすることが習慣化され、思考の柔軟性や幅も広がった気がします。

 

そして4人家族からその半分になってしまった家の片付け。

 

遺品整理も含め、これもたいぶ片付いてきました。

 

でも、まだまだ片付けたいところはたくさんあるし、家の中を使いやすく、好みの雰囲気に整えたいし、読みたい本も山積みだし、私の場合、おうち時間がどれだけあっても全然足りない感じです。

 

コロナ前の方が介護によって 自分のやりたいことが全くできなかったので、この1年はようやくやりたいことができた年、という、一般の人とは真逆な結果になっているのも確かです。

 

どこかに遊びに出かけたり、美味しいものを食べに行けないストレスは、たぶん一般の人よりはないと思います。

 

股関節が悪くなってからは、どこかに遊びに出かけたいという気持ちはなかなか湧かなくなっています。

 

ただ、美味しいものを食べたい気持ちはありますけど(^ω^)。

 

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このように、私の場合この1年での生活や精神的な面での大きな変化はないようですが、施設に入所中の母親にほとんど会えないというのが、とにかく辛いです。

 

母は今年2021年3月には95歳を迎えます。

95歳といえば、父が亡くなった年です。

母には父を大きく追い抜いて、もっともっと生きててほしい!

 

でも、心配。毎日心配。

 

母のいる介護施設からクラスターが出ちゃったらどうしよう。。。

母のような超高齢者がワクチン打たれても大丈夫なのだろうか。。。

会えない間に母の寿命が尽きてしまったら。。。

 

自分のことでも心配すべきことはたくさんありますが、とにかく母のことが気になって気になって、思い出すたび気持ちがざわざわしてしまいます。

 

母はまだ、この世に存在しているというのに、

触れることもできないなんて(*´Д`)。。

 

コロナが終息して真っ先にやりたいことは、母に触れること。

母の手をしっかり握って、思いきりハグしてみたい。

  

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 コロナ以前には当たり前にできたことを、今となっては夢のような現実として思えるこのことこそが、この1年での1番大きな意識の変化かな、と思います。

 


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普通に歩けないことが当たり前になっている

変形性股関節症により日常生活に支障をきたしてから、約10年。 

夜寝る時まで痛みがひどく、立ち上がりや歩き出し時には激痛が走る時期もありましたが、今のところはわりと安定しています。

安定している、と言ってしまうと、普通に歩けて生活できているのか、と思われるかもしれませんが、そうではありません。

何かにつかまらないと痛くて立ち上がることはできないし、歩くたびに股関節に響く痛みは必ずあります。

休まずに続けて歩くのは、10分~15分くらいが限界です。

 

今は杖は使わずに歩いていますが、「あ。あの方は脚が悪いのね」と 周囲から見ればわかるだろう歩き方になっています。

普段の買い物は自転車で移動しています。

自転車にはなんとか乗れていますが、一番問題なのは最初に足を上げて乗るときです。

疲れて痛みが出ているときは、脚がまったく上がらなくなり、自転車を引いて帰ることもよくありました。

バスタブに入るのにも もちろん踏み台が必要です。

 

とにかく足を上げて踏み越えるようなことは、どんなに低いものでも、まったくといっていいほどできなくなりました。

 

還暦を前にしているものの まだ50代にして、この状態はどうしたものだろう。。。と思うのですが。。。

 

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改善させていこうとする気持ちはもちろんあるのですが、ふと気づけば、今のこの不自由な状態が、私の感覚の中では いつの間にか当たり前になってきています。

 

痛みも伴う、こんなに不自由な身体を当たり前に感じている無自覚さに、ちょっとした恐怖すら感じてしまいます。

 

私の場合は股関節痛だけじゃなく、高齢者予備軍世代としてこれから次々、身体にあちこちガタがきてもおかしくはないと思うのです。

 

その都度、はっ!とするほどの危機感を覚えても、次第にそれが当たり前の自分の姿になってしまうとしたら、嫌だなあ 。。。(>_<)。。。

 

「もう歳だから仕方ないねぇ。。」と言って、身体の不調を当たり前のように受け入れているお年寄りをたくさん見てきて、とても歯がゆく感じましたが、普通に生きて老化していけば、人生あきらめの大波にのまれていくのが 自然な姿なのかもしれないなぁ。

 

でもやっぱり私は、どんなに歳を取っても改善の余地があれば改善させていきたい!

 

そのために必要なのは、そこに向ける強い気持ちと努力の継続か(*´Д`))

 

口先だけでなかなか実行が伴わないけど、とにかくあきらめたくない。

 

また、バランスよく大地を蹴って歩いてみたい🎵

 

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霊安室の存在が怖かった

今週のお題「鬼」

 

人が亡くなることを「鬼籍に入る」なんて言い方もありますね。

一昨年、私は父が亡くなるまで、人の死というものに深く関わったことがなかったこともあり、死というものがとても恐怖でした。

 

幽霊なんて生まれてこの方一度も見たことはないくせに、事故現場の近くを通ったりすると、ビクビクしてしまう性分なのです。

 

ある時期まで、私は病院内にある霊安室の存在がとても気になっていました。

 

どう気になるのかといえば、「幽霊が出そうで怖い」という、いい歳した大人が考えるとは思えない理由によってです。

 

でも怖いのだから仕方ありません。

 

父はわりと大きな総合病院で手術をしたり、入院していました。何棟もあるような広い病院で、内科、外科はこちら、会計はこちら、と案内表記もわかりやすく表示されてあるところです。

 

私はわりとよく利用していた病院内の売店の近くで、すぐに霊安室への矢印を発見しました。

 

売店からはだいぶ離れた別の棟にあるようでしたが、

「そうか。向こう側に霊安室があるのか」

と、その表示が視野に入るたびドキドキしていました。

 

その後、療養型の病院に移ってからは、病院内では霊安室の表示を目にすることがありませんでした。

 

それならば、霊安室のことなど考えなければいいのに、

「この病院って、霊安室はどこにあるんだろう??」

と、気になって気になって。。。

 

そして、よせばいいのに、転院する際にもらった病院のパンフレットをわざわざ確認したら、だいだいの位置が分かってしまいました。

 

霊安室の位置は父の病室の近くではないし、あまり通らないエリアに位置してはいたものの、行くたびにその方向が気になってはいました。

 

父が亡くなったのは、夜の23:00時近くで、病院に着いたのはそれから30分後位でした。父の亡くなる瞬間には間に合いませんでした。

 

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その後父は、きれいにエンゼルケアをしてもらい、時はすでに午前零時を回っていました。

 

病院内は消灯していて静まり返った薄暗い廊下を、父はストレッチャーに載せられ霊安室まで運ばれました。

 

私と兄はそのあとを、黙ってついて行きました。

 

その時の私は、霊安室に行く怖さなど全く感じることなく、病院の暗い廊下も全く怖く感じられませんでした。

 

そして、霊安室は私が案内パンフレットで確認した位置とは違い、いつも通っているエリアのすぐ近くにありました。位置が変わったか、増設したかしたのでしょう。案内パンフレット上の表記とは違っていたのです。

 

その後も私は兄とふたりで、葬儀社の方が来て下さるまで、深夜の病院内の霊安室近くの 他には誰もいない待合室で ひっそり待ち続けていました。

 

怖いなんて感情は、いっさい湧いてきません。

 

それどころか、それ以来、病院の霊安室の存在など気にはならなくなったし、深夜の病院も別にどうってことない、と思えるようになっています。

 

人間って不思議だ。

 

私が不思議なのか? 

 

 


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2021年冬コロナ禍での想い

2021年冬。コロナ禍で、緊急事態宣言出て生活している、今の私の状況や心境を記録として残す意味でも綴っておこうかなと思います。

 

まず冬は好きだし寒さには強いので時期的なことに関しては問題なし。とは言っても、雪の多いところで生活している人や、極寒の中で働いている人などいることも考えると、安易に冬は好き、なんて発言できない気もしますが・・。

 

これは体質にもよるものだと思うのですが、夏の場合は暑さが辛いだけではなく、身体の不調があちこち出て、精神的にも参ってしまうのですが、冬に関してはそういうことはないのです。

室内温度は20℃位に保って生活していますが、家事などして動いているときはすぐに汗ばんでくるので、かなり薄着で生活しています。

 

外出に関しては今は週に2回位買い物に出る程度ですが、これでも私にとってはかなり自由を感じられます。

 

介護してた頃は、10日間くらい外出できないなんて ざらでしたから((((>_<))))

 

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その頃の生活から思えば 今は信じられないくらい自由です!

そもそもインドア派の私なので、やりたいことのほとんどは家にこもってできること。介護から解放されたらやりたかったことが とりあえず着々とできてはいます。

 

コロナ禍でストレスになることがあるとすれば、施設にいる母親と自由に会えなくなったことと、友人と会えないことです。

 

緊急事態宣言が出てからも、母が入所している施設は面会を禁止しませんでした。もちろん、面会するにしても厳重な感染対策をした上でのかたちになりますが。

 

ただ、禁止になってなくても、緊急事態宣言が解除されないうちは 行ってはいけないような気がして、自粛しています。

 

しばらくはまた、オンラインでの面会をお願いしようかとは思っているのですが、オンラインだとたぶん母は私達のことが誰だかまったくわからないだろうし、傍に付いてくれるワーカーさんもなにかと気を使ってくれるので、なんだか申し訳なくて頼みにくいのです。

 

年末に母に直接会えた時も、すぐにウトウトし始め、面会することは母にとっては疲れるだけで、なにもいいことないのかなあ、なんて思ってしまいます。

 

それでも直接会いに行ければ 私達の存在を感じ取ってもらえそうな期待感はあるけど 画面を通して見た私達に対しては 不思議なだけでなにも感じでもらえない気もするんですよね😰

 

でも、たとえ画面を通してでも、母の姿を一目見られれば、私達の気持ちは少し安心できるので、とりあえずオンライン面会でつないでいこうと思います😐

 

母のことは毎日心配になるのですが、母が生きているからこその心配なのかと思えば、この想いもずっととどめておきたいような気持になります。

 


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