手術しない変形性股関節症と親の介護ブログ

親の介護体験や 変形性股関節症 保存療法への取り組みに関する記録

デイサービスでの母の残された能力に驚き!2014年7月の記録

今回は、2014年7月 母の在宅介護5年目の記録を振り返ります。

 

この年の5月から母はデイサービスに通い始めています。

 

この頃、デイサービスでの様子をたくさんの画像と共にプリントしたものを初めていただきました。「デイだより」のような新聞形式になっていて、その後も毎月発行されて、家族も見るのを楽しみにしていました。

 

それを見ると、母は塗り絵やボールゲームをしたり、料理を手伝ったり、歌を歌ったり、お花見や様々なイベントに参加している様子がわかりました。

 

この頃には家では家事などすることは一切なく、まして料理なんて危なくてさせられるはずはなかったのに、デイでの写真を見ると、包丁を持って野菜を切っているではありませんか!?

 

後日ワーカーさんからも

「お母さんはまだまだ包丁の使い方も上手です!」

と、言われビックリ!

 

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もしかしたら家でも、私がしっかり見守り続けることができたら、母が家事能力を落とすスピードはもっと緩めることができたかもしれないと思いました。

 

ただ、それをするためには、介護者側に時間的にも体力的にも精神的にも、相当の余裕がなければ無理だとも思います。

 

少なくとも私には無理でした。

 

 

この頃の母は、梅雨明け前の蒸し暑い日でも「寒い」と言って、開けてある窓をしめてしまう、という困った行動を繰り返しています。

 

本当に寒く感じるなら仕方ないものの、本人はしっかり汗ばんでいます。

 

そんな時、窓を開けて気持ちいい風を入れても、「寒い」と言って不機嫌になり、窓を閉めました。

 

そういえば、扇風機の風も嫌がりました。

 

認知症になる前の母は、暑がり体質の人だったのに!

 

梅雨明け前の暑さなら、窓を開けたり扇風機くらいでしのげるのに、早期にエアコンで対応するしかありませんでした。

 

 

また、夕方になるとテレビのリモコンを持って

 

「テレビのことがわからなくなったので見に来て欲しい」

 

ということを毎日繰り返していた頃でした。

 

紙おむつ代もかなりかかるようになり、家計を圧迫し始めましたが、市の方から毎月5千円までの紙おむつが現物支給されるようになりました。

 

指定されている業者さんから、カタログにある限られた商品のものを選ぶようになっていました。

 

金額も定価設定のようで、市販されているものよりだいぶ高かったので、金額のわりには買える個数は少なかったです。

 

同じ金額なら現金か商品券でいただけて、市販のものを自分で買いに行く、といった方が数多く手に入るのですが、各自治体ごとにそれぞれ事情もあるのでしょう。

 

支給していただけるだけありがたいのは確かです。

 

7月30日 この日 母は家のお風呂に入るのが最後となりました。

 

母が家のお風呂に入るのはもう限界でした。

 

お風呂に入れてもらうことも考慮し、8月からデイサービスを週2回に増やすことにした頃でした。

 

 


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ストレスからか手湿疹に悩まされる。2016年3月

変形性股関股節症発症から7年目 2016年3月~5月頃の様子と、2022年現在の様子も併せて書いておきたいと思います。

 

今回は、股関節痛とは直接関係のない症状についての記録となります。

 

2016年、この頃から、手の指にポツポツと湿疹が出るようになり、皮膚科に何度か通っています。

 

最初は手だけだったので、家事や水仕事などをする人によく現われる手湿疹と診断され、塗り薬を処方され、素手で洗い物はしないように言われました。

 

なので、洗い物をするときには中に綿の手袋をして、外側はゴム手袋といった完全防備状態に。

 

在宅介護をしていた時期だったので、なにかと洗い物は多く、そのつど二重手袋をするのはとても大変でしたが、湿疹が悪化するのも怖かったので、それでもなんとか頑張ってやっていましたね。

 

塗り薬にはわりと強めのステロイド剤が出たので、抵抗感はあったものの、塗ってみると、手の湿疹はすぐに治っていきました。

 

ステロイド剤を長く続けるのは危険だと思い、手の湿疹が治まったところでやめていたら、今度は腕がピリピリと痛かゆくなり、見るとポツポツと湿疹が出始めていました。

 

 

腕にまで広がるなんて(*´Д`)。。。

 

これって水仕事が原因となるような手湿疹とは違うんじゃないかと思いつつ、処方されていたステロイドを塗るとその湿疹は治まるものの、まだ別の場所に出てくる、といった繰り返しになりました。

 

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時期によっても左右されやすく、梅雨時とか季節の変わり目になると悪化しやすく、湿疹が出たり引っ込んだりする状態が数年続きました。

 

悪化すると皮膚科に行ってはステロイド剤をもらい、それを湿疹が出るたびに塗ってやり過ごしていた感じです。

 

ステロイド剤の長期使用は良くない、とされているようでしたが、治ったと思ったらまた別の場所から湿疹が出てくるといった繰り返しなので、使い続けるしかありませんでした。

 

発症から3年後2019年夏頃には、ついに顔にまで湿疹のような赤みが出始め、両腕は二の腕の方にまで湿疹が広がるほどに悪化してしまいました。

 

そして皮膚科に行き、この時は、手にも顔にも処方されたステロイド剤をしっかり塗って、なんとか乗り切ることができました。

 

そしてこの最大に悪化した年を境に、徐々に湿疹は落ち着いていきました。

 

2022年現在は、薬を使うことは全くありません。

 

手や腕にたまにポツポツ湿疹が出ることがありますが、保湿クリームだけでなんとか治まってくれています。

 

湿疹に悩まされるようになったのは、親の介護がハードになってきた頃からです。

それまでの私は、アレルギーもなく、皮膚のトラブルに見舞われたことなど一度もありませんでした。

 

皮膚科のドクターからは、ハッキリしたことは言ってもらえませんでした。

 

私の方から「介護ストレスが原因ということは考えられますか?」とお聞きしたところ、「そういうこともありますね」と応えてはもらえましたけど。

 

今はほとんど湿疹に悩まされることはないものの、これがきっかけとなり、洗い物をするときには必ずゴム手袋をするようになったし、保湿クリームもこまめに塗る習慣が身に付きました。

 

 


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介護用おむつの厚みが増していく頃。2014年6月の在宅介護記録

今回は、2014年6月 母の在宅介護5年目の記録を振り返ります。

 

 

母がデイサービスに行っている間には、日頃できない箇所の掃除などをこなしておく。

 

母の洗濯物が多い。梅雨時は大変。アイロンも使って頑張って乾かす。

 

この頃にはまだ少しだけ余裕も作れたのか、図書館にもたまに行っていました。

 

 

6/16 母は一晩中右肩を痛がっていて、私も気になりよく眠れず。

 

一日前のデイサービスでなにかあったのだろうか?

 

送ってきた際に、ワーカーさんからは特に報告は受けていなかったけれど。

 

この日の夕方からは体の力も抜け、熱が8度2分ほど出る。

 

夜寝てからも、なかなかトイレに立つことができず。

 

 

翌6/17日 深夜0時過ぎ、リハパンもパジャマもビショビショにしてしまう!

 

なんとか立たせてトイレに向かわせてみたものの、途中で転んでしまい断念。

 

やっとのことで移動させて布団に戻り、寝かせたままでリハパンもパジャマも交換。

 

深夜2:30 再びビショビショ状態になり、交換。

 

最終的に、朝起きたときには、布団まで濡らしてしまい、大変でした。。。

 

なぜ、ここまでの大惨事になってしまったのかといえば、この当時はまだ失禁の量も大したことはなかったので、夜寝るときにも2回分吸収程度の薄型のリハパンを使っていました。

 

しかし、この大惨事をきっかけに、夜寝るときには夜用の吸収力の多い紙おむつを使うことにし、シーツの上にも防水シートをかけるようにしました。

 

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介護用の紙おむつも、介護の段階が進むにつれ、徐々に厚みのあるものに切り替えていったことを思い出しました。

 

6/18 PM11:00頃 トイレに行かせようとしたけれど結局起き上がることができず、横になったままリハパンを交換。

 

ところがこの夜、AM.2:00頃 母は自力でトイレに行こうとして転倒!

 

そんなことが3日間くらい続いたものの、4日目には自力で立ってトイレに行くこともでき、布団やパジャマを濡らすようなことはありませんでした。

 

お風呂にも自力で入れたみたいだし、一体、これまでの不調はなんだったのだろう❔。。という感じ。

 

在宅介護をしている間、母はこのような謎の不調が時々起こりましたが、せいぜい3日ほど経つと、急に回復していきました。

 

このときは、デイサービスでちょっとはりきって何かやったのかもしれない、と思う。

 

それで疲れちゃって、急に身体が思うように動かなくなったのかなぁ。

 

これから先も介護用の紙パンツや尿取りパッドなどは吸収量の多いものへと切り替わっていき、使用量も増していき、在宅介護も徐々に大変になっていきました。

 

 


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失われていく過去に思いを馳せる

今週のお題「復活してほしいもの」

 

今回は、お題に沿って書いてみたいと思います。

 

長く生きていると復活してほしいものといえば、ちょっとやそっとでは語りきれないほどたくさんあるものですね。

 

まず、私が今真っ先に頭に浮かべた復活して欲しいものは、2年ちょっと前に亡くなった父親かな。

 

亡くなった人がこの世に復活するなんて、絶対に無理なこととはわかっていても、また会いたいし、この手で触れることができたらどんなにいいだろう、と今でもずっと考えてしまいます。

 

いつか天国でまた会える!

 

そう信じる気持ちがあるからこそ、その想いに支えられ、自分の人生のゴールまで一生懸命に生きられる気がします。

 

 

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その次に復活を願うものと言ったら、やはり正常な股関節ですね。

 

ゆがみも痛みもない、普通に歩くことのできる股関節を復活させたい!

 

その気持ちはずっと変わらずあきらめず、強く持ち続けています。

 

これって亡くなった父親がこの世に復活するよりは、可能性としては大きいかな(笑)

 

 

次に復活させたいのは、母親の認知能力。。ですね。

 

これも現実的には無理なのはわかっていますが、奇跡でも起きて復活してくれないかな、と思ってしまう。

 

せめて、娘である私を見て「〇〇ちゃん!」と、子供の頃から呼んでくれていた呼び名で呼んでもらえたらどんなに嬉しいだろう(/ω\)。。

 

私のことをすっかり忘れてしまったとは考えたくないけれど、もしも私の存在が母の記憶から消えてしまっているのであれば、どうかどうか復活しますように!と、願わずにはいられないです。

 

 

 

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その他には、子供時代に暮らしていた懐かしい風景も、復活することができたらどんなにいいだろうと思います。

 

子供時代どころか青春時代を過ごした懐かしい街並みも、都市開発が進むにつれ今はすっかり変わり、あの頃のままを懐かしむことのできる場所なんて、ほとんどないに等しくなっています。

 

遠いあの日、あの頃、私の周りにあったものは、時の流れとともにどんどん変わり失われていきました。

 

失って初めてその存在価値やありがみに気づく、ということも多いですね。

 

今ここにあるものだって、この自分自身の存在も含め、いつかはこの世界から消えていってしまうものなのか。。と思うと、

 

どんなに些細なものでも、縁あって同じ時代にそして、今この瞬間に存在しているものすべてが、とても愛しく思えてしまう気がします(*‘ω‘ *)

 

 


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浮き指がウオノメの原因に。2016年1月~2月

変形性股関節症発症から7年目 2016年1月~2月頃の様子と、2022年2月現在の状態についても併せて記録したいと思います。

 

まずは、2016年2月には、相変わらずウオノメの痛みに悩まされ、スピ-ル膏(薬剤付きのパッド)なども使って除去するために励んでいます。

 

スピ-ル膏は、ボコッと盛り上がっている部分はよく取れるものの、芯の部分は残ってしまうケースが多く、この当時はウオノメの数も多かったので、思うようにはなりませんでした。

 

それに、何度も繰り返し使っていると、なんだか皮膚がおかしくなってしまうような不安も感じ、長く使い続けるのは控えました。

 

ウオノメ削り用のカッターなども使ってマメに削ったりしもしていましたが、足裏の同じ部分に圧がかかり続けている以上、いつまで繰り返してもきれいな状態には戻れません。

 

この当時はウオノメやタコが両足裏に合計6個くらいありました。

 

2022年今現在は、右足に2個、左足に1個。

 

これがなかなか取れません(*´Д`)。。

 

でも、当時に比べると半分くらいに減ったということは、足裏にかかる圧のバランスが少しは改善されたということではないかなと思います。

 

今は月に一回くらいのペースで、電動角質リムーバーを使って削っています。

 

 

 

今でも一番痛い部分は、右足小指の側面あたりにあるウオノメです。

 

なぜこの部分が一番痛いのか、自分の足裏、足指など画像で映してよくよく観察してみたら、小指部分は浮き指となっている状態です。

 

小指は特にひどいですが、他の指も浮き指になっていて、地面についていない状態です。

 

指の筋力も劣ってしまったのか、細くなり指と指の間の隙間が広がっています。

 

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股関節が悪いと、股関節にばかり意識を向けてしまうけれど、身体、心、環境なども含め、自分を取り巻く全体を見て改善策を考えていくことも大事だと痛感!

 

弱って使えなくなっている足指を鍛えるため、このところ意識してやっていることとしては、つま先立ちで歩くことや、歩行の際に後ろ足を少し残して指先を意識して蹴る、という動作を心がけています。

 

足指を鍛えるためのトレーニングチューブなども持っているのですが、改めて時間を取って取り入れるのはなかなか習慣にできなかったので、まずは日常で意識さえしていれば取り入れられることからやっていこう!

 

足指がきちんと使えるようになれば、歩行の力もずっと増してくることは間違いないと思っているので、しばらくは足指の強化を課題に取り組んでいくつもりです。

 

この課題に取り組み始め一ヶ月くらいだった今、足裏と歩く力にだいぶいい変化があらわれ始めてきています。

 


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デイサービス帰宅後 2014年 5月と2022年1月の母の様子

今回は、認知症になった母の在宅介護5年目 2014年5月の記録と、2022年1月現在施設にいる母の様子について書いておきたいと思います。

 

5/3 初めてのデイサービスに行って帰ってきてからは、思ったより元気そうに見受けられました。しかし、夜間トイレに入ってから出るときに脚の力が入らなかったらしく、トイレの前で転んでしまいました。

 

突然慣れない環境に身を置いて、肉体的にも精神的にもかなり疲れていたのでしょう。

 

見た目だけでは なかなかわかりませんでした。

 

転んだことは本人 ショックだったようですが、特にケガをしている様子はなく、多少打ったところが痛い程度で済みました。

 

翌朝起きてからも、特にどこか痛がることもなく、いつも通りの生活が送れました。

 

5/7  とりあえずデイサービスは週1日だけ頼んでいたので、家でもお風呂に入ってもらわないとなりません。

 

最悪、またなかなか入ってもらえなかったり、うまく洗えなかったとしても、デイサービスでなんとか洗ってもらえるから気は楽だと思っていたら、そんな時に限って母はすんなり入ってくれました。

 

そして、髪までちゃんと洗って出てきたのにはビックリ!

 

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やればできるじゃない!?

 

 

なんでなんで???

 

 

 

この日は、私が気楽に接していたのが良かったんだろうな。

 

別に、できなかったらできなかったでいいいよ!っていう気持ちが、母に安心感を与え、良い結果につながったんだろうな~と思います。

 

でも、介護していると、こんなふうに余裕をもっていられる状況ばかりではないですね。

 

これやってもらえないとホント困るんだから。

 

お願いだから、やってよ~~~。。。。って言える場面、数限りなく浮かびます。

 

 

 

5/27 ケアマネさんが母のデイサービスの様子を見に行って下さったようで、その報告をしてくれました。

 

お風呂に入るのに、少々手こずっていた様子。

 

それから、お昼寝している人に話しかけたり、起こそうとしている様子もあったらしい。

 

施設側のワーカーさんからは伝えられたことがない内容でしたが、この頃の母ならやりそうなことだな、と思いました。

 

母は元気だった頃はもちろんのこと、高齢となり認知症が進んでからも、お昼寝をすることはしない人でした。

 

昼間から寝ている人=怠け者

 

みたいな認識があったように思います。

 

昭和一桁生まれで、苦労してきた人なので。

 

 

それまでの人生、頑張りすぎちゃったのかな。

 

今は施設で、今までできなかったお昼寝も、たっぷりできてるね。

 

 

2022年1月現在。老衰が始まったかと思われた母ですが、まだミキサー食も口にすることができ、近くで話しかければ反応はある様子。年明けからの面会はまたアクリルボード越しにしかできなくなりましたが、とりあえず生きている姿を見られるだけでも良しとしましょう。

 

先日面会に行った際には、会っている15分間はずっと目を開けていましたが、何も言葉を発してはくれませんでした。今までは、多少距離が遠くても、こちらが手を振ったりしてみると、なにか言ってくれたのですが。。

 

今の感染状況を考えると、直接触れ合える面会スタイルに戻してもらえるまでには、まだまだ時間がかかりそうだな~(*´Д`)。。。。

 

 


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変形性股関節症になってよかったこと

今回は、変形性股関節症になってよかったと、思えることについて書こうと思います。

 

えっ!?  よかったことなんて、本当にあるの❔

 

と、ほとんどの方は当然思われるでしょう。

 

もちろん、心からよかった、なんて思えることはありません。

 

でも、私の人生において簡単には取り除けないこの障害は、私にとってなにか意味のあるものではないかと捉え、そのポジティブな意味についてずっと考えていました。

 

最初に思いついたよかったことは、障害のある人に対する緊張感がなくなった、という点です。

 

脚に問題がなかった頃には、障害を持った方が身近にいなかったこともあり、なんとなく抵抗感や緊張感がありました。また、必要があればサポートしたいという気持ちを起こす自分に対しても、偽善的なものを感じモヤモヤすることもありました。

 

今はそのようなモヤモヤは全くないです。認知症の方に対しても、同様です。

 

そして、2番目に思いついた良かったことは、変形性股関節症という身体的に大きな問題があるからこそ、自分の体に対する意識は高まり、高齢者となる前から調整していく気持ちになれたことです。

 

もし股関節に異常がなく、まだまだ体力も十分に備わっていたら、今の年齢であればさほど身体へのケアなど気にかけなかったと思います。

 

そしてその後、ある程度の年齢がきたときには 急に衰えを感じ、修復が効かなくなる、なんてこともあり得る気がします。

 

 

そして、3番目に思いついた良かったことは、ゆっくりと時間をかける大切さに気づけたことです。

 

それまでの私は、何事もスピード重視で合理的に物事を進めていく傾向が強く、そのことによって無理をすることもあり、自分自身も徐々に疲れていました。

 

早くやらなければ!という気持ちに常にあおられ、行動は人一倍早かったと思います。

それは子供時代からその傾向はみられ、夏休みの宿題のほとんどは7月中に片づけていました。

 

 

しかし、股関節痛が出るようになってからは、早く動きたくても動くことができなくなりました。そのことが私にとっては一番辛いことだった気がします。

 

早く動きたくても動けなかったので、ゆっくりやるしかありません。

 

今の自分が無理なくできるペースでゆっくりやることがもどかしく、最初はかなりイライラしていました。

 

でも、ゆっくり時間をかけて行うことや、ダラけているかなと思いつつもダラダラやってみることで、今まで気づけなかったこと、見えなかった世界が見えてきた気がするのです。

 

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人生の折り返し地点を過ぎてからの私には、今までとは違った価値観や世界観に気づく必要があるために、変形性股関節症という障害が現れてきたのかもしれない。。。

 

日々いろいろ考えているうちに、そんな考えにも至りました。

 

障害や病気など、自分にとって不運としか思えないものは、ただただ不快なもの有害なものとして排除したい気はするけれど、そんなイライラした気持ちで向かい合うことは、自分にとってデメリットでしかないような気がします。

 

 

それよりも、この障害はなにか意味があって今の自分には必要なものとしてここにある、と捉えてみることで、敵として存在していたものが味方として姿を変え、苦しみも軽減されていくように私には感じられるのです。

 

私にとって変形性股関節症は、一生の付き合いとなる相手であることは間違いありません。

 

ならば少しでも仲良く、折り合いをつけてやっていく道を探っていくことも、まだ続くであろう自分の人生にとって大事なことだな、と思い始めています。

 

 


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