手術しない変形性股関節症と親の介護ブログ

親の介護体験や 変形性股関節症 保存療法への取り組みに関する記録

介護1年目の記録(2011年)

2011年4月から 母は認知症と診断され、薬も飲み始めました。

 

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 この年以前から、母はできなくなることが増え、多少おかしな言動もしていましたが、一応この年を介護1年目として記録しておこうと思います。

 

この年の1月。母は入れ歯の調子が悪くなり、新しい入れ歯にしていますが、これがなかなかうまく馴染めず、その間、普通の食事が摂れなくなりました。

 

1/19~4/4までずっと歯医者に通って調整していました。

 

本来なら調整だけにこんなに長く通う必要はなかったのですが、母は歯医者さんに、入れ歯が当たる箇所をきちんと伝えられなかったり、今までとは違う、ちょっとした違和感に対する我慢ができなくなっていたように思います。

 

そのため、調整のためだけに、何回通ったかわからないくらいです。

 

毎日母のためだけに きざみ食などの柔らかい食事を用意したり、入れ歯をなんとか使えるように練習したり、歯医者に付き添ったりと、歯のことだけでも疲れ果てました。この年の3月には東日本大震災もあり、東京都でも計画停電など実施されていた時期も重なり、さらに大変でした。

 

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いっそのこと、入れ歯なしでもいいかな。なんて考えも浮かびましたが、嚙む力が弱まると認知症状は進行しやすいと聞いたし、今から食事をする楽しみを失わせるのもかわいそうだと思い直し、なんとか頑張り続けました。

 

そして、4月くらいになって、やっと入れ歯が使えるようになったのです。

 

また、この年の11月には足のくるぶしの辺りの腫れが続くようになり、整形外科を受診しています。

 

そこで関節炎と診断され、同時に骨粗しょう症の治療も勧められ、その後ずっと通院することになりました。

 

この年の秋頃まで、母はご飯とお味噌汁とちょっとした煮物は、たまに作ることができていました。食べ終わったお皿を洗ったりすることも、多少できていたように思います。

 

でも、次第にお味噌汁も煮物もワンパターンになり、味もおかしくなっていきました。

すごく料理上手な母だったのに。

思い返してみると、これが母が最後までできた唯一の家事でした。

 

それでもまだ、母は家の中をひとりで自由に歩き回ることはでき、会話もできました。私の言ったことに、言い返すこともできただけに、私はイライラを母に激しくぶつけることが多かった気がします。

 

「どうしてこんなことするの!?」

「もう何度も何度も言わせないで!」

「そうじゃないでしょー!!」

「そんなことしちゃ、だめーーー!!」

 

ある時期まで、私は母に対しこんなことばかり言っていた気がします。

 

この頃の日記には、母を責めたり怒ったりしてしまう自分をなんとかコントロールしたい、とか、今日も母に厳しいことばかり言ってしまった、といったことが頻繁に記されています。

 

認知症の初期にはまだこちらの言うこともかなり理解しているので、ついつい文句を言ってしまうし、感情的な言葉をぶつけてしまいます。

 

思い起こせば私はいつの間にか、母を責めたり怒ったりすることをしなくなっていきました。それは私自身が優しくなったわけではなく、もうなにを言っても通じないんだ。。。という諦めが徐々についていったからだと思えます(◞‸◟)

 

介護1年目はもう少しゆるやかだったかと思いましたが、けっこうハードでした。

 


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