手術しない変形性股関節症と親の介護ブログ

親の介護体験や 変形性股関節症 保存療法への取り組みに関する記録

親の死を受け入れるということ

2019年に父は95歳で他界、2022年に母は96歳で他界。両親を亡くした今、親の死を受け入れるということについて、思ったことを綴ってみます。

 

子供時代の私は、親が死ぬなんてことは普段はほとんど考えたことはなかったけれど、いつか親が死んでしまったら。。ということをふと想像し、悲しくなって泣いたことは多々あるな。

 

よくよく考えてみると、子供時代だけじゃなく、介護をする前の40代位までは、親の死なんてとても受け入れられないという、子供時代と同じような感覚でいたような気がします。

 

親の死、というと、両親という意味合いに捉えられるかもしれないけれど、特に母親の方です。

 

父が亡くなったら、と想像して泣いたことは、なぜかないような気がする😅

 

介護を経験する前までの私は、親の死なんて考えられないし、考えたくもないし、考えただけで悲しくてどうしていいかわからなくなっていた。

 

 

そもそも親の死の前に体験するかもしれない、親の介護、ということも、当時の私には考えられないし、そんなことになったら自分にできるのだろうか、と不安を覚えたこともある。

 

独身で自分が親になった経験のない私は、どんなに歳を重ねていっても、子供時代と変わらない感覚で親を見ていた。

 

親が死んでしまったら、自分ももう生きていたくない!とさえ思っていた私が、今はこうして親の死をジタバタすることもなく受け入れることができている。

 

過去の私が今の私を見たら、

「どんな魔法を使ったらそんなことができたの!?」

と、信じられないような目で見て言うだろう。

 

でもそれは、魔法でもなんでもなく、親の介護も、親の死も【そのとき】がくれば、受け入れることができていた。

 

もしかしたら、自分の人生にとって訪れる【そのとき】から発動される魔法のような力が、この世界には存在してるのかもしれないな、と最近よく思う。

 

特に私の両親からは、この世を去るときまでの充分な時間を与えてもらえた。そのぶん、介護の期間も長かったけれど、私は親の死を受け入れる覚悟をじっくりゆっくり固めることができたのです。

 

親が死んでしまったら、自分の生きる力も出せなくなると思っていたあの頃の私。

 

でも、月日は流れ、それから数々のことを経験した後の私は違った。

この夏、父親を看取り、ひとりになってしまった学生時代からの親友も、今は信じられない位のたくましさで自分の人生を歩み始めている。

彼女も私と同じ、家族と過ごした思い出をたくさん持ち、両親の介護を一生懸命やってきた人。

親の死をしっかり受け入れたことが、自分の残りの人生を力強く生き抜く力になっている実感が、今の私には確かにある。

 


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