手術しない変形性股関節症と親の介護ブログ

親の介護体験や 変形性股関節症 保存療法への取り組みに関する記録

股関節ってどこだっけ?

「私は、股関節が悪いんですよ」と言うと、

「えっとぉ~。。股関節って、どこでしたったけ?」

と、聞かれることがけっこう多いです。

股関節痛の人の多くに、あるある的な話ではないでしょうか。

 

腰痛やひざ痛の人に比べると、股関節痛人口は圧倒的に少ないようです。

私の身の周りにも、股関節痛の人はほとんどいません。

まして、変形性股関節症となると、さらに認知度は低下するでしょう。

新聞や雑誌で変形性股関節症の記事を見つけた!と思ってよく見ると、「変形性膝(ひざ)関節症」だった、ということも、多々あります。

 

股関節と聞いてもピンとこない人には、

「股関節はね、この辺りの脚の付け根部分ですよ」と、簡単に説明すると、

「ああ。なるほどね~」とみなさん納得されます。

「ここのかみ合わせが悪くて、歩くたび痛いんです」と伝えると、

「そ・・それは大変ですね。。。」と、気の毒そうに答えられます。

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私もきっと、自分の股関節に問題が発生する前だったら、股関節のことなんて考えたこともなかったので、突然誰かから股関節の話を持ち出されても、よくわからずリアクションにも困ったかもしれません。

でも今は、股関節の悪い人は ほぼ歩き方でわかるので、そのような人を見かけるたび「がんばってねー!!!」と、祈るような気持ちでエールを送ってしまいます。

 

そして、いつしか気になるのは股関節症の人だけじゃなく、次第に足の悪い人全般に広がり、身体に障害のある人にも向けられ、あらゆる障害のある人に対する関心と意識が高まったのは確実です。

私の脚に障害が出たことは、今のところほぼデメリットしか感じられませんが、障害のある人や弱い立場にある人間や動物に対する意識が、以前より数千倍も高まったことは、今考えられる唯一のメリットだと思います。

 

 
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親戚付き合いは ほぼなくなった

親が超高齢になってくると、親の兄弟のほとんどは、亡くなっていたりするものです。

 

その子供たち、つまり私達ジュニア世代にとっては いとこに当たる人達との付き合いが希薄だった場合、親戚付き合いは消滅していくことも多いのではないでしょうか。

私の父も母も きょうだいはたくさんいたので、私にとってのいとこもたくさんいました。子供の頃によく遊んだいとこもいれば、ほとんど会ったことのないいとこもいます。

父も母も若かった頃には、その両方のきょうだい達が よくうちに遊びに来ていました。

年齢の近い いとことは、たくさん遊んだ記憶もあります。

 

が、しかし。。

 

いとこ達もある程度大きくなると、その親たちと一緒に遊びに来ることは少なくなり、いとことの関係はいつの間にか薄れていきました。

人によっては、大人になってからも 冠婚葬祭などの親戚の集まりで顔を合わすことが多ければ、いとこ同士 疎遠になることはないかもしれません。

 

でも、うちは疎遠になってしまったんですねー。

父も母も、きょうだい達(私にとってはおじさんやおばさん)とは、親戚付き合いを保っていましたが、それができなくなった今は、親戚付き合いがほぼないに近い状態です。

仮に、私と兄がそれぞれ既婚者で、子供でもいたなら、そこでちょっとした親戚関係を結ぶこともできるのでしょうが、お互いに独身で同居しているわけですから、子供の頃と同じ単なる家族のままです。

 

そうなると、賃貸契約の際の保証人とか、葬儀に呼ぶ人とか、いなくて困るという問題も発生してくるわけです。

 
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認知症の歯科治療は大変

それは201811月のある日のことでした。

まだ在宅で介護されていた認知症の母は、よく食べこぼしていたり、鼻水や涙がでやすかったりしていたので、ティッシュペーパーは常に手元にありました。

普通の人なら使い終わったらすぐに捨てるなど、いつまでも手に握っていることはないですが、母は自分でそれができなくなっていました。

その日もなにかに使い終えたらしきティッシュペーパーを握っていたので、捨ててあげようと取り上げたところ、なんだか固いものが入っている感触が・・・。

「え!? なに・・!?」と思って広げてみると、その中には母の入れ歯が握りつぶされ入っていました。

下の入れ歯だけ勝手に抜いて、ティッシュに包んで握っていたようです。

 

新しい入れ歯を作り直さなければ!!!

どうしようぅぅぅぅぅぅぅ!!!

 

ここまで認知症が進んだ状態で、新しい入れ歯なんて作ってもらえるんだろうか?

ということが、私にとっては最大の不安でした。

口を開けて入れ歯の型を取ったり、調整をするなんてことを、認知症の母がおとなしくやってくれるとは思えませんでした。

 

その後、訪問で来てもらえそうな歯医者さんを急いで調べ、数日後、家に来て診てもらえることになりました。

訪問の歯医者さんはさずがプロです。かなりかわいそうではありましたが、嫌がる母の口を開けさせ、スピーディーに歯型を取るなど やるべきことをこなしていきました。

時にはホラー映画なみの形相で 嫌がったり叫んだりもされましたが、私が手をぎゅっと握って「大丈夫!大丈夫!」と なだめたりすることで、なんとか乗り切ることができました。

もう歯医者さんも私も必死でした。でも、母が一番必死だったとは思いますが。

 

入れ歯の調整も含め、6~7回位の訪問で、なんとか終わりました。

認知症が進んだ状態でも、歯の治療はできなくはない とは思えましたが、家族がそばについて手を握ってあげるなど、安心できるなにかの策はあったほうがいいな、と思いました。


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股関節症のはじまり

私の場合 左の股関節の違和感や軽い痛みは、30歳頃から出始めました。

そこでとりあえず整形外科を受診しレントゲン検査をしたところ、先天性股関節脱臼が原因で、股関節に痛みを生じているようだ、というような話を聞きました。

 

先天性股関節脱臼 って?

私には生まれつき、なにか問題があったってこと??

今まで何の問題もなく、子供時代も普通に運動できていたのに???

 

なんとも受け入れがたい状況でしたが、たしかその時は湿布が出されただけで、「また痛みが続くようなら来てください」と言われ、その場限りで終わった気がします。

軽い痛みと違和感は、その後 半年程度は続いたものの、いつの間にか治っていました。

 

それから40歳になる頃までは、特に問題なく生活できていました。ヨガなども習っていたので、普通の人より身体は柔軟なほうでした。

しかし、40歳を少し過ぎたあたりから、また以前と同じ左の股関節に、違和感と強い痛みがでるようになってきました。

 

そこで、その頃には、股関節痛改善に向けた本などを買って読みあさり、股関節痛に効くという軽いストレッチをやってみたり、整体の治療院に通ってみたりしました。

その効果があってか、またしばらくの間は痛みもなくなり、筋力低下を予防するため、ウォーキングに励むこともしていました。

 

それから6~7年たった40代後半。旅行先で2万歩くらい歩いてしまい、その翌日からは、今までにない強い痛みが出はじめ、何日経っても治らない状態が続きました。

仕方なく、足を引きずりながら整形外科へ行き、鎮痛剤と塗り薬をもらい、しばらく通院することになりました。

 

ここから私の、変形性股関節症との本格的な戦いが始まりました。

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母の介護認定を受けるきっかけ

2019年9月に介護施設に入所するまで、認知症の母を在宅で介護しているなかで、過酷だった体験は数限りなくあります。

 

その中でも2013年頃から始まった失禁は、まだ介護経験の少なかった私にとっては、かなりハードな試練に思えました

  

ある晩、明らかに母がパジャマを濡らしてしまっていることに気づき、呆然としました。

 

介護経験をたくさん積んできた今となっては、その程度のことで呆然としている過去の自分に対し、「まだまだ未熟ものだな」という思いこそありますが、当時の私にとっては、「これからどうしたらいいんだろう・・・」という、言いようのない不安に襲われました。

 

その当時母はまだひとりで入浴していました。翌日私が洗濯しようとすると、母の着替えた下着が見当たらなかったりすることが増え始めました。

 

 タンスの引き出しの中からは、洗ってない下着がたくさん出てきました。濡らしてしまった下着を隠す行為に走っていたようです。

 

そのことで、私はずいぶん母を責めてしまったことが今となっては悔やまれます。

 

失禁が始まったころから、ひとりで入浴するのも困難になり始め、翌年2014年からは介護認定を受け、デイサービスなどの介護サービスを受けるようになりました。

 

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他人から見たら、母はもっと早い段階から介護認定を受けるレベルにあったのかもしれません。最初の認定ですでに特養に入れるレベルの、要介護3が出ましたから。

 

でも、毎日一緒に生活している実の娘にしてみると、母親の認知症の進行を認めたくない気持ちが強く働いて、それが母にはプレッシャーとなっていたかもしれません。 

 


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娘のことも忘れてしまう母

2019年9月に介護施設に入所した母のことは 在宅で10年近く介護していました。

認知症状が出始めてから、かれこれ10年は経っていると思いますが、今でも母はよくおしゃべりをします。耳が遠く、理解力はだいぶ低下しているので、こちらからの問いかけにうまく答えることはできないものの、好奇心は旺盛で、よくしゃべり笑顔も多いです。

 

認知症状が進行してくると、発する言葉は少なくなり、感情もあまり示さなくなるようですが、母がこの先そのような状態になってしまうのが不安です。

在宅から施設に入ると、環境の違いから認知症状が進行したり、すぐに亡くなってしまったりする人の話もよく聞きますが、とりあえず母の場合は家にいる時と変わらない感じなので、それは安心しました。

でも、この1~2年は家にいる時からそうでしたが、家族のことも半分覚えているようで、完全にはわからない感じでした。

私のこともきちんと呼び名で呼んでくれることもあるけれど、時には「おねーさん!」と呼ばれ、それならまだしも、「奥さん!」とか「おばちゃん!」なんて呼ばれるときもありましたね。

ちなみに父親に対しては このところ一貫して「おじちゃん!」でした (笑)

 

母親から実の娘のことを忘れられるということは、最初のうちはショックで泣きながら抗議したこともあったけど、徐々にそのような不思議な関係に慣れてきたのか、私が誰であるかなんて、認識してもらえなくてもいいかな、という感覚になっています。

今はもう母もきっと、自分自身が誰かということすら わかってないようです。

自分の名前も忘れてしまっているようですから。

でも、私や兄に会っておしゃべりしていると、ときおり子供の頃から呼ばれていた懐かしい呼び名で 呼んでくれることもあるのです。


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脚の筋力を落とさない

両親の介護をしている間は、ほとんど家から出ることはできず、買い物もネットスーパーに頼っていたので、ほぼ歩かない生活がここ数年続いていました。

変形性股関節症の人にとっては、歩きすぎは良くないとされていたので、歩かないことによる問題はあまりないように思っていました。

在宅介護をしている間は、家の中では忙しく歩き回ることは多く、身体は毎日クタクタに疲れました。これだけ毎日忙しく動いているんだから、とりあえず運動は足りているかな、くらいに思っていました。

でも、運動と介護の肉体疲れはまったく質の違うものでした。

介護で身体を動かしていても、体力はどんどん落ちていきました。脚の筋力も年々落ちていくのが実感できました。

ちょっと動くとすぐ疲れる。でも、両親の介護量もどんどん増えていき、体力的にも精神的にも限界を超えて動いていた時期は長かった気がします。

在宅介護を終え2ヶ月以上経った今、以前より歩く機会が増やせることにより、脚の筋力が少しずつ復活してきたのだと思います。すぐに痛みが出たり疲れたりせずに、歩く距離が増やせるようになっています。

 

このペースでもっと脚の力を付けて、歩行に支障のない状態にまで持ち込めることが夢なのですが、そうそう簡単にはいかないのが、変形性股関節症というものなのでしょう。今のところ、5分以上歩く距離では杖を使用しています。

 

以前のように、杖なしでスムーズに歩きたい!

歩いても痛みの出ない身体に戻りたい!

それを手術ではなく、変形性股関節症の保存療法によって実現したい、というのが今の私の最大の願いです。

 

 


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