手術しない変形性股関節症と親の介護ブログ

親の介護体験や 変形性股関節症 保存療法への取り組みに関する記録

霊安室の存在が怖かった

今週のお題「鬼」

 

人が亡くなることを「鬼籍に入る」なんて言い方もありますね。

一昨年、私は父が亡くなるまで、人の死というものに深く関わったことがなかったこともあり、死というものがとても恐怖でした。

 

幽霊なんて生まれてこの方一度も見たことはないくせに、事故現場の近くを通ったりすると、ビクビクしてしまう性分なのです。

 

ある時期まで、私は病院内にある霊安室の存在がとても気になっていました。

 

どう気になるのかといえば、「幽霊が出そうで怖い」という、いい歳した大人が考えるとは思えない理由によってです。

 

でも怖いのだから仕方ありません。

 

父はわりと大きな総合病院で手術をしたり、入院していました。何棟もあるような広い病院で、内科、外科はこちら、会計はこちら、と案内表記もわかりやすく表示されてあるところです。

 

私はわりとよく利用していた病院内の売店の近くで、すぐに霊安室への矢印を発見しました。

 

売店からはだいぶ離れた別の棟にあるようでしたが、

「そうか。向こう側に霊安室があるのか」

と、その表示が視野に入るたびドキドキしていました。

 

その後、療養型の病院に移ってからは、病院内では霊安室の表示を目にすることがありませんでした。

 

それならば、霊安室のことなど考えなければいいのに、

「この病院って、霊安室はどこにあるんだろう??」

と、気になって気になって。。。

 

そして、よせばいいのに、転院する際にもらった病院のパンフレットをわざわざ確認したら、だいだいの位置が分かってしまいました。

 

霊安室の位置は父の病室の近くではないし、あまり通らないエリアに位置してはいたものの、行くたびにその方向が気になってはいました。

 

父が亡くなったのは、夜の23:00時近くで、病院に着いたのはそれから30分後位でした。父の亡くなる瞬間には間に合いませんでした。

 

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その後父は、きれいにエンゼルケアをしてもらい、時はすでに午前零時を回っていました。

 

病院内は消灯していて静まり返った薄暗い廊下を、父はストレッチャーに載せられ霊安室まで運ばれました。

 

私と兄はそのあとを、黙ってついて行きました。

 

その時の私は、霊安室に行く怖さなど全く感じることなく、病院の暗い廊下も全く怖く感じられませんでした。

 

そして、霊安室は私が案内パンフレットで確認した位置とは違い、いつも通っているエリアのすぐ近くにありました。位置が変わったか、増設したかしたのでしょう。案内パンフレット上の表記とは違っていたのです。

 

その後も私は兄とふたりで、葬儀社の方が来て下さるまで、深夜の病院内の霊安室近くの 他には誰もいない待合室で ひっそり待ち続けていました。

 

怖いなんて感情は、いっさい湧いてきません。

 

それどころか、それ以来、病院の霊安室の存在など気にはならなくなったし、深夜の病院も別にどうってことない、と思えるようになっています。

 

人間って不思議だ。

 

私が不思議なのか? 

 

 


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2021年冬コロナ禍での想い

2021年冬。コロナ禍で、緊急事態宣言出て生活している、今の私の状況や心境を記録として残す意味でも綴っておこうかなと思います。

 

まず冬は好きだし寒さには強いので時期的なことに関しては問題なし。とは言っても、雪の多いところで生活している人や、極寒の中で働いている人などいることも考えると、安易に冬は好き、なんて発言できない気もしますが・・。

 

これは体質にもよるものだと思うのですが、夏の場合は暑さが辛いだけではなく、身体の不調があちこち出て、精神的にも参ってしまうのですが、冬に関してはそういうことはないのです。

室内温度は20℃位に保って生活していますが、家事などして動いているときはすぐに汗ばんでくるので、かなり薄着で生活しています。

 

外出に関しては今は週に2回位買い物に出る程度ですが、これでも私にとってはかなり自由を感じられます。

 

介護してた頃は、10日間くらい外出できないなんて ざらでしたから((((>_<))))

 

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その頃の生活から思えば 今は信じられないくらい自由です!

そもそもインドア派の私なので、やりたいことのほとんどは家にこもってできること。介護から解放されたらやりたかったことが とりあえず着々とできてはいます。

 

コロナ禍でストレスになることがあるとすれば、施設にいる母親と自由に会えなくなったことと、友人と会えないことです。

 

緊急事態宣言が出てからも、母が入所している施設は面会を禁止しませんでした。もちろん、面会するにしても厳重な感染対策をした上でのかたちになりますが。

 

ただ、禁止になってなくても、緊急事態宣言が解除されないうちは 行ってはいけないような気がして、自粛しています。

 

しばらくはまた、オンラインでの面会をお願いしようかとは思っているのですが、オンラインだとたぶん母は私達のことが誰だかまったくわからないだろうし、傍に付いてくれるワーカーさんもなにかと気を使ってくれるので、なんだか申し訳なくて頼みにくいのです。

 

年末に母に直接会えた時も、すぐにウトウトし始め、面会することは母にとっては疲れるだけで、なにもいいことないのかなあ、なんて思ってしまいます。

 

それでも直接会いに行ければ 私達の存在を感じ取ってもらえそうな期待感はあるけど 画面を通して見た私達に対しては 不思議なだけでなにも感じでもらえない気もするんですよね😰

 

でも、たとえ画面を通してでも、母の姿を一目見られれば、私達の気持ちは少し安心できるので、とりあえずオンライン面会でつないでいこうと思います😐

 

母のことは毎日心配になるのですが、母が生きているからこその心配なのかと思えば、この想いもずっととどめておきたいような気持になります。

 


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なぜドクターは病名を伝えてくれないのか

私は、どこか不調があって病院に行った時、はっきりとした病名を告げられたことはほとんどありませんでした。

風邪とかインフルエンザの時には、はっきり言われた記憶がありますが、風邪ではない謎の喉の炎症とか皮膚湿疹とか、そういった症状で受診した際には、結局病名は伝えられることなく、「炎症を抑える薬を出しておきましょう」といったような感じで終わっていました。

私としても、特に病名を言われないということは、特に心配いらない症状なんだな、とその都度軽く考えていました。

ドクターは必ずしも病名を伝える必要はないのかもしれませんが、私にとっては深刻な、変形性股関節症の病名だけは、最初に受診した際にはっきり伝えてもらいたかったと後悔しています。

 

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私が最初に股関節の不調を感じて整形外科を訪れたのは、30歳の頃でした。

検査をしてドクターからは、

「あなたの場合、先天的にズレが生じやすい股関節をしていて、ここがこううまくはまってないでしょう?」

と、レントゲン写真を見ながら,、どこがどうズレているかの詳しい説明は受けました。

そして、

「加齢と共に骨を支える筋肉が衰え、痛みが出やすくなります。歳を取ったら無理をしないように」

というようなことを言われ、筋肉に塗る痛み止めの薬が出た程度でした。

そしてまだその頃には、塗り薬を使い切る頃には、痛みは治まっていました。

 

たしかに、その時のドクターの言っていることは間違ってはいないのだけれど、その時点でハッキリとした病名を告げてもらっていれば、その後の数十年間もっと自分の症状に合った運動や生活を心がけ、進行を抑えたり遅らせたりできたかもしれない、と思うと今になってだいぶ悔やまれます

 

その時点での私は、とにかく筋力を落とさないことに気をつけなければ、ということで、多少脚の痛みが出てもウォーキングに励んでいましたが、無理をしてまで歩くのは、変形性股関節症にとっては超危険行為…だったようです。

 

それから20年程の年月が流れ、私は長引く脚の不調で再び整形外科に行きました。その頃には変形性股関節症ではないか、と自分である程度調べ確信していました。

 

結局、ドクターのほうから病名を告げられることはなく、こちらから「この症状は、変形性股関節症ですか?」と訊いて、やっとそうだとハッキリわかりました。

 

今は、あらゆる病気や障害に関する本や情報が出回っていて、自分でも予防法や改善法、再発防止法などを調べることもできますが、素人では判断できかねるケースも多いですよね。

 

「で、結局、病名はなんでしょーか!?」

 

と、曖昧な説明のドクターには、今の私なら詰め寄って聞くことができますが、以前の私だと、病院そのものやドクターに対する緊張感のようなものがあって、遠慮して聞きにくかったというところもあります。

 

でも、世の中にはあえて自分の病名は知りたくない、とか、全面的にドクターにお任せしているから病名は知らなくてもいい、といった様々な理由から、病名になんかこだわらない人も多いのかもしれませんね。

 

私の場合は、自分で改善できる部分は自分でなんとかしたいと考えてしまうので、病名はきちんと知っておきたいなぁ、と思うのです。

 


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今でも精神年齢は10歳だけど

今週のお題「大人になったなと感じるとき」

 

自分の精神年齢は、10歳頃からずっと変わってない気がします。

若い頃から、大人への憧れなんて全くなかったし、むしろ大人っぽい雰囲気の物とか色は今でもあまり好みではありません。

今でもぬいぐるみはたくさん持っています。

 

大人になったら、大人らしくなんて、絶対に受け入れられませーーーーん!って感じでずっと生きてきました。

 

はっきり言って、内面はかなりお子ちゃまの私ですが、なぜか人からはそう見られないんですよね。

 

私にとって嬉しいほめ言葉は、「子供っぽい」なのですが、そんなこと言ってくれるのは、私のことをよく知り尽くした親友くらいです。

 

でも、よくよく考えると、「子供っぽい」は、ほめ言葉ではなさそうですね。

 

昔から人からよく言われた私の印象として多いのは、「しっかりしている」「落ち着いている」です。

 

あれ? これって、むしろ大人っぽい人のイメージじゃない?

 

すぐに慌てるので、全然落ち着いてなんかいないのですが、人は見ているところが違うな、といつも思います。

 

私は親になった経験がないので、余計に大人になった自覚が芽生えにくかったのかもしれません。

親になるってどんな意識変化が起こるのか、経験したことのない私にはわかりませんが、たぶん多くの人はそこで本当の意味での大人になれるのではないかな、と私は勝手に思っています。

私の場合は、親の介護を経験して、ずいぶん成長させられた感じはします。 

子育てという課題は免除されていた私の人生においては、親の介護は必須課題だったのでしょうね。

 

誰かのお世話をする、人の為に尽くすというのは、人が成長するために、人が大人として成熟するために、人生で必要な課題なんだろうな~と思います。

 

私の親は、歳取ってからもさらに 子供である私の成長を促し続けてくれていたわけです(^_^;)

 

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東京都は再び、緊急事態宣言出てしまいました。

効果がきちんと現れてくれるよう 自粛を頑張り祈るしかない感じです☆〃

 

 


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ブログひとり反省会

コロナの終息はいつ!? という焦りを引きずったまま、2021年は走り出してしまいました。

今年のお正月はもう喪は明けていましたが、うちは兄とふたりで、静かなお正月を迎えました。

 

元旦はお寺にお年始に行き、父の所に墓参り。

父が亡くなったのが、もう一昨年ということになってしまったんだな、と思うと、少しずつ父との記憶の距離が、遠くに行ってしまうような感じがします。

 

年末年始はそれなりに忙しく、仕事の方もとりあえずスタートできそうなので、そちらにも追われブログもなかなか更新できませんでした。

 

私はこのブログ以外にも2つのブログを書いていて、すべてテーマは全然違います。

こちらはいわば裏ブログ的な存在で、名前も変えて私にとってはかなり赤裸々なことを書いているつもりです。

 

親の介護に関することと、変形性股関節症についての体験記を中心に書いていこうと思って続けていますが、今のところ変形性股関節症についての記事は少ないですね。

 

親の介護に関しても、今は在宅での介護ではない上に、コロナ禍で施設に入っている母との面会もままならない状態なので、旬の情報はなかなか書けません。

 

過去に体験した在宅介護のことも、もっと書いていこうと思っていましたが、時間が経った今となっては、書きたいというエネルギーが十分には湧いてこないことが多いのです。

ある程度テーマからは脱線しない範囲で、今書きたい!と思えることを、その時の自分を記録しておくためにも記しておくことが重要かな、と考えています。

 

私はより多くの人に役立ち、共感してもらえるブログを書いているとは思えないし、それを狙っているわけではないのですが、途中からなんとなくその点も意識し始め、自分軸にふらつきも感じます。 

 

ブログについての ひとり反省会みたいな記事になってしまいましたが、今年もまたマイペースで続けていければと思っているので、新たな年を機にいろいろ考えてみたわけです。

 

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ブログを再開して思うこと

2020年は私にとって、休息と充電の年でした。

 

ある程度しっかりと、時間を取って自分をケアすることができたので、新しい年に向けて歩みだす力が出せそうです。

 

他の方のブログもとても刺激になりました。介護のかたちも、病気に向き合う姿勢も、親子関係も、人それぞれであることがリアルに伝わります。

 

「わかるわかる~」ってこともあれば、「ええええ!?こんな人もいるの!?」っていう驚きも多々あり、他の方のブログを読ませていただくことは、世間を知り、自分自身に気づくための勉強になるなぁと思っています。

 

たぶん私自身も、「ええええ!?こんな人もいるの!?」って思われているに違いないと思うので、私の変なところを見て、ご自身の良さや特徴に気づいてくれる人が一人でも多くいればいいな、と思うのです。

 

自分の言葉で自分の本当に伝えたいことを、揺らぐことなく発信することが、私らしいブログとの向き合い方なんだろうな、と思います。

 

でも、ふと気づくと、無難な言葉で優等生的にまとめようとしている自分によく気づいてしまいますが。。。

 

はてなブログを書き始めてようやく一年が経過しました。介護期間中はゆっくりネットに関わる余裕がなかったので、ブログ自体じっくり見たり書いたりするのは、約10年ぶり位でした。

 

10年位のブランクを置いて舞い戻った感想としては、ブログに関しては高齢化が進んだなぁ、という印象が強かったです(笑)

 

 

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若い層の多くは、InstagramTwitter等 今は情報発信手段は無数にありますからね。

 

自分自身はじっくり文章を書いていきたいし、読んでみたいブログとしてもある程度内容のある文章なので、ブログが合っていると思っています。

 

よくよく考えると、私がネットを始めた90年代後半頃などは、定年退職後の年齢層の人達で情報発信している人なんて、すごく珍しい存在でした。

 

2000年代に入ってもまだ、高齢者がPC扱うだけで、注目浴びる時代だったのに、今は普通にブログやったりSNSやったりしてるわけですよね。

高齢者がやってても、そんなに注目されるわけでもなくなってきたし。

 

そうか。そうなんだね。

時代は流れているんだなぁ、、ということを、ブログを通しても感じてしまいました。

 

2021年はどんな年になるのでしょう。

毎年いろいろあるけれど、時代も人の心もだんだん進化し良くなっている、と私は感じています。

良いお年をお迎えください☆〃

 

 


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親離れさせられたクリスマス

子供の頃から私にとってクリスマスは、1年で1番好きな日でした。

私の兄は幼い頃、サンタクロースを信じていたという話を つい最近聞きました。

なぜなら、寝ている間に母親がこっそり枕元にプレゼントを置くというサプライズを 兄にはやっていたからだと知りました。

私はいつも欲しい物は自分で選ばないと気が済まない 面倒くさい子だったので、よくよく考えると、サンタクロースの存在を信じるも信じないも、あまり考えたことがなかったな、と。

 

クリスマスは家族と過ごす、という、子供時代の温かく幸せなイメージが、私の心の中には今でもずっと根づいています。

 

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父も母もいない2回目のクリスマスが巡ってきます。

そんなに大きな物ではないですが、今年は10年ぶりくらいにツリーを出して飾りました。介護が始まってからは、クリスマスの飾りつけも、徐々にできなくなっていましたから、部屋の中にクリスマスカラーが溢れてくると、気分も上がります。

 

もし自分に子供がいたら、今頃どんなクリスマスを過ごしていたのだろう?と考えてみましたが、手応えあるイメージは湧きません。

でも、父が亡くなった時、もし自分にも夫や子供といった家族がいたら、少しは悲しみのストッパーになってくれたのかもしれない、とは考えたことがありますが、実際どうかはわかりません。

 

元気だった頃の母からは よく冗談交じりに言われ続けてきました。

「いつまでも親のそばにばかりくっついていないで。。。」

そのあとの言葉はきっと、結婚しなさいよ、だったり、家を出なさいよ、と言いたいのだと思いましたが、言葉は濁してましたね。

 

母の本心はどうだったのかな?

「普通ならあり得ないくらい高齢になっても 自分の子供と一緒に長く暮らせて、幸せだったんじゃない?」

・・・と言ってみたことは何度もありますが、その都度

「調子の良いこと言って!」

などと、流されました。

 

こんなに母親への想いが強い人も、きっと珍しいんじゃないかと、客観的には思います。母は決して物分かりの良い人でもなければ、人格者と言えるような人でもなかったのですが、私が好きなように生きてても、自由にさせてくれる人でした。

自分の考えを決して子供に押し付けようとはせず、それでいて、子供が困ったら自己犠牲的に助け守ってくれる人でした。

 

昭和一桁生まれである母の時代の女性は、好きなように生きられる人などほとんどいなかった時代です。母は30歳手前でお見合い結婚したので、当時の女性にしてはかなりの晩婚だったようです。働きながらも華道の師範免状なども取得していたので、今の時代であれば独身でいて やりたいことを続けていたかもしれません。

 

家庭に入ってからの母は、家族のためだけに生きているような人でした。それが母にとって、好きなように生きていた人生とは思い難いのですが、母はそのようにしか生きられない人でした。

 

「あなたたちは、好きなように生きなさい」

母は私に対しても、兄に対しても、ことあるごとにそう言っていました。

 

大好きな母が死んでしまったら、私は生きていけない!とずっと思っていました。

母の施設入所が決まり、母のいない生活を考えただけでも、衰弱するほどの物凄い悲しみに襲われました。。。。

 

でも今は、この先いつか母が亡くなっても、私は生きていけるし、生きているんだろうな、と思えるようになっています。母への想いは変わっていないけれど。

 

それはきっと、先に巡ってきた父の死という体験によって得られた 心の成長なのかもしれない。

 

私は同世代の人達に比べると、驚くほどに子供っぽい感覚で生きている気がします。

今でも親に対する想いは、幼い頃の心のままです。

 

そんないつまでたっても親離れできない私のもとからは、しびれを切らした親たちの方が 先に巣立って行ってしまいました。

 

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Merry Christmas 🎄 

 

 

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