母の認知症介護3年目
2012年の年明け頃から、母にはそれまでには見られなかった異変が出始めるようになってきました。
夜間、トイレの床が濡れていたり、まだ家族が寝静まっている朝方、母は下着をこっそり着替えたりしていることが増え始めました。
今の私の感覚からすると、その位のことで動揺していた過去の自分の未熟さに驚く程ですが、あの頃の私は、その気配に気づきかなり動揺しました。
そして、そのことに気づきつつも、母に状況を詳しく聞くことは、しばらくの間できませんでした。
真実を認めるのが 怖くて聞くに聞けない。
それが、あの頃の正直な私の気持ちだったと思います。
母も私に助けは求めませんでした。認知症がかなり進行するまで、母は母なりにプライドをぎゅっと、握りしめていた気がします。
母は耳も遠くなっていたので、そのことでも余計に意思の疎通に不便を感じていました。
2月9日の日記にはこのような記述がありました。
母の耳元で大きな声で何回も言ったら、キレられた!
何回も同じことを訊かれるのは疲れるし、聞こえないから大きな声で言うしかないのに、もうどうしたらいいかわからない!
。。。泣いた( ノД`)シクシク…。。
そうそう!母がまだある程度は言い返せるだけの能力があった頃は、毎日のように言い合いをしていた時期もあったなあ、と思い出しました。
母も不安でイライラしていたんですね。
その想いを汲んであげる余裕は私にはなく、私は私で、物分かりの悪くなった母に対し 、その場で感情をぶつけることしかできませんでした。
ダメになっていく母を受け入れたくない気持ち、しっかりした母に戻ってほしい気持ち。そんな想いが、その頃の私には言いようのない感情とともにあったような気がします。
認知症が進行していくにつれ、失禁がらみのことでは、もっともっと大変な目に数限りなく遭遇していきました。
初めてのことには、その都度動揺していましたが、だんだん慣れていくものですね。
過去の日記を読んでいくと、「ああ。あの頃は、こんなことでも動揺していたんだなぁ」と思うことが多いです。
この変化も、人としての成長のひとつ、といってもいいかな、と思います。
ଘ(੭*ˊᵕˋ)੭ ଘ(੭*ˊᵕˋ)੭ ଘ(੭*ˊᵕˋ)੭
施設に入った母の面会は、今でもまだアクリルボード越しに、かなりの距離を取った上でのことになりますが、先日も会ってきました。
もう母には会話を成立させることはできないものの、調子がいいときには一方的になにか話してくれます。
話すといっても、意味不明なこと、なんの脈略もないことを口にするだけです。
毎回行くたびにその日の母の様子を、ちょっとだけ動画に記録しておくのですが、前回はその撮影中に母が
「でも、寂しくはないし」
と、唐突に口にしたのです。
えっ!? と思って、一緒にいた兄も一瞬驚いていましたが、母には今の自分の気持ちを、言葉にできる能力はもはやありません。
たまたま口に出た言葉のひとつだったのでしょうけれど、その言葉に救われました。
今はただ、一刻も早く母に触れたいです。