手術しない変形性股関節症と親の介護ブログ

親の介護体験や 変形性股関節症 保存療法への取り組みに関する記録

人生の名所コースに こだわらない生き方

自分の旅の傾向から、自分にとっての人との関わりや 人生の特徴が見えてきた。

旅のパータンと人生パターンは誰もがみんな似ているのかもしれないなぁ。と思う。

私は、あまり遠くを旅したことはないし、多くの国々を見てみたいとは思わない。それよりも、比較的近くて好きな土地に何度も出向いていくのが好き。

 

ここを訪れたらここに行かなければ、と言われるような代表的な観光名所には関心が向かわないことが多い。なにもないようなマイナーなスポットに出向いて、自分にしかできないような発見や感動を楽しむのが好きだったりする。


人に関しても、多くの人と付き合いたいとは思わない。じっくり付き合える数の人だけど、じっくり深く付き合って、深く付き合わなければ見えてこない部分を味わってみるのが好き。


私の人生は、普通の人が経験する人生の代表的名所コースは、ことごとくすっ飛ばして生きている気がする。たとえば、会社に就職することとか、結婚とか出産とか、マイホームを持つこととか。

 

旅にしても人生にしても、代表的名所コースを巡らなければいけない、ということもなければ、巡らなければ楽しくないということもないように思う。むしろ代表的名所コースにこだわらない旅っていうのも、いいものだと実感している。


今年は意識して、代表的名所コースにこだわらない旅(人生)をじっくりと味わおう。

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整骨院は効果があるか?

股関節の痛みをなんとかしようと、5年ほど整骨院に通っていました。

通っていればそれなりに、治療した直後は股関節周辺の筋肉もほぐれ、可動域も広がって、痛みは軽減されていました。

ただ、時間が経つにつれ、徐々に股関節周辺のこわばりが出始め、効果は長く続きませんでした。筋肉をほぐされたことによって、かえって関節が不安定になり、その後強い痛みが出てしまったことも多々ありました。

最初のうちは、毎日のように通い、そのうち週一位になり、最終的には月一で通い続けてはいましたが、これといった効果は感じられず、親の介護で時間も取れなくなり、通うことはやめてしまいました。

やめたらもっとひどくなってしまうのでは、と心配でしたが、相変わらず痛みはあるものの、関節の状態は安定しているような気がします。

変形性股関節症の人にとって、整骨院は効果があるか? ということについて、私個人の意見としては、効果があるかどうかは、どのように活用していくかといった 個人差があるものだと思いました。

整骨院にすべてゆだねていれば 良くなるとは思いにくいです。たしかに、変形性股関症の症状がまだ軽い人なら、それもありかもしれませんが。

やはり、整骨院でやっているような、マッサージや電気治療といった 筋肉をほぐすことと併用し、別の形で筋肉を鍛えることもやっていかなければ、痛みの少ない安定した股関節を保てないのではないかと感じています。

介護から解放された私は、歩く機会が急に増えたことで、以前より脚の筋力はついてきた実感があり、杖なしでも歩ける距離は増えてきました。

それでもはやり、立ち上がりや歩き始めの 強い痛みはあるし そんなに長距離は歩けないので、少しずつまた筋力アップに努め、また余裕ができたら、整骨院なり治療院のような所に通ってみたい気持ちはあります。


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入所している母に会いに行く

施設に入所している母のところに 会いに行ってきました。

年明け3日目にして、今年初めて一時間ちょっと顔を合わせて帰りました。去年までは家で一緒に過ごしていたのに、今年はお正月でもずっと一緒にいられないのが寂しい。

 

施設に入ってから 3ヶ月少々経ちましたが、しゃべっている内容がかなり意味不明になり、自分で鼻をかむことができなくなっていることに気づきました。

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家にいる時も、きちんとした会話は成立できなくはなっていましたが、その度合いが確実に進んだことを感じます。鼻水や涙が出ているときに ティッシュペーパーを渡しても、もう自分でふくということを忘れているようでした。

 

施設にいるとなんでもやってもらえるので、今まで自分でできていた能力が次々奪われていくのは仕方ないことなのでしょう。母ができる能力をギリギリまで維持させようとするなら、つきっきりで辛抱強く待つ必要があるのですから。

 

家にいる時には必ず側に家族の誰かはついていたので、会話の能力もかなり維持されていたのだと思います。

 

miyuyuchang.hatenablog.com

 

 

それにしても、今の母の言語の崩壊ぶりは 真似することすらできません。脈略のない言葉のオンパレードで、ある意味文学的!と思えることもあるくらい。

そういえば家にいる頃、寝言では面白いことをよく言っていたことを思い出します。

 

母の寝言でおかしかったのが

「まるこめちゃんが言っていたのね」。。。というもの。

 

さらにおかしかったのは 父の寝言で

「鶴は千年、亀は万年。。。。。。亀は長生きだな」

 

  

介護に役立つ人体力学

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お寺のことはよくわからない

2020年が明けましたが、喪中なのでひっそりと暮らしています。

去年までは家族4人でずっとお正月を迎えていたのに、今年は兄とふたりきり。

施設に入っている母のところには、明日かあさってには会いにいこうと思います。

 

今日はお寺にお年始の挨拶に行ってきました。父が元気だった頃は、元旦には父がいつも行っていました。父が行けなくなると、代わりに兄が行くようになりました。

今日は兄と二人で行き、私はお寺へのお年始挨拶というのを初めて体験しました。

 

お寺関係のことはわからないことばかり。葬儀のときも、お布施の金額のことや、その他諸々のしきたりに関することなど、わからないことだらけで、本当に苦労しました。

今はネットでなんでも調べられると思っていたら、大間違いでした。

 

お寺に関することは、宗派や地域によっても違いがあり、きちんとやろうと思うなら、やはり自分のお寺のやり方を直接知るしか、手段はない感じでした。

お寺関係のことは、どうしてこう もやもやした不明点が多いのか、謎です。

 

10日後には四十九日の法要が控えています。

これまた もやもやしている点がまだあり、非常識なことをやってしまうんじゃないかと、心配でたまりません。

 

私は、昔ながらのしきたりとか、特に和風なことに関することが苦手な人間なので、お寺との付き合いは、超ハードルが高く感じられます。

 

 

 


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股関節症 手術はしない選択

変形性股関節症であるということを認識してから、ちょうど10年になります。

10年前の今頃はかなり股関節の痛みが強くなってきて、年明け早々に整形外科を受診したことを思い出します。

変形性股関節症」という言葉は、その時ドクターから伝えられたのではなく、こちらから「変形性股関節症ということですか?」と聞いたら、「そうですね」と言われたのです。

整形外科に限らず、私が今まで診てもらったドクターの多くは、はっきりと病名を教えてくれる人はとても少なかったように思います。

私自身が変形性股関節症である、ということは、事前にネットなどで調べ、症状を照らし合わせてみて、間違いないと確信していました。

 

変形性股関節症というのは、病気としてとらえるものなのか、障害としてとらえるものなのか、いまでも自分の中で曖昧なまま、受け入れ切れていません。病気とか障害となると、とても重い感じがするので、とりあえず「症状」としてとらえています。

 

それから私は、変形性股関節症と診断された人の進むべき道は、人工股関節に置き換えるなどの手術の道と、手術はしないで 自分の股関節を保ったままの保存療法という道があることを知りました。

 

手術はなんとしても避けたい、と今でもずっと思っています。

手術しなければ命を落とす、とか、必ず歩けなくなる、となれば私も考えますが。

手術しなくても、なんとかなる可能性もある、のなら、私はそれに賭けてみようと思いました。

 

その代わり、自分の身体との対話を怠ることなく、脚の調整や筋力を落とさない等の様々な工夫や研究や努力が必要であることはわかっています。

 

この10年、私はいろいろな試みをし続け、時には症状が悪くなってしまった時期もありましたが、親の介護で自分の脚のケアは十分にできなかったにも関わらず、この10年間で症状が進んだとは言えないと思います。

これからが勝負です。

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家庭に居場所のなかった父親

父が亡くなってほぼ一か月が過ぎました。

思い起こせば私はずっと 父親よりは母親が好きで、若い頃には特に用がなければ 父とは話もあまりしなかった気がします。

 

母も父とはそんなに仲の良い夫婦という感じではなく、私達子供優先の生活をずっと送ってきた家族でした。

よくありがちな 家庭に居場所のない父親、だったのかもしれません。

 

父はある時期まで、家族からは孤立していたような存在でした。

特に悪い父親だったというわけでもなく、真面目に働いて、家族をきちんと養っていたというのに、なぜか家族とひとつになれてはいませんでした。

 

いつの頃からだったでしょうか、徐々に父は家族の中に溶け込んできました。

それは母が認知症になり、父が入院や手術をした頃からだと思います。

我が家が平和だった頃には、父の存在はあまり意識できませんでした。

そんなことは叶わないとは分かっていながらも、父も母もずっと元気で変わりなく、家族として暮らしていけるものだと思っていました。

 

それまでの父は、自分の思いや感情を口にすることはなく、なにを考えているのかわからないようなところがありました。

 

でも、大きな手術を終えて集中治療室での面会から帰るとき、私が「じゃあね。また毎日来るからね」というと、「悪いな。。」と小声で言って、父は涙ぐんだのです。

父にもこんな面があったのか!? と、驚きました。

 

でも、驚いたのと同時に、私自身も父に対し、あんなに優しい口調で言葉をかけたことが今までなかったことに気づきました。

この時期から母の認知症も進行し始め、父も母を思いやる気持ちが強くなり、家族の関係性は変わってきました。

 

亡くなるこの1~2年の父は、なにかしてあげると「〇〇ちゃん、ありがとね」と、言ってくれるほど人格は変わりました。

変わったというより、それが本当のあるべき父の姿だったようにも思えます。

微笑む父の遺影の写真を見るたび、その言葉が聞こえます。

 

晩年の数年間に、本当の父の姿を私たち家族に見せてくれた父。でも、まだまだ私が知らないもっと素晴らしい父の面がある気がして、それに気づいていくことも娘としての使命であるような気がしているのです。 

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介護施設への入所連絡

介護施設への母の入所が決まったのが、2019年9月中旬のことでした。

 

入所が決まった連絡を受けたのは私です。

「施設の方に空きが出ましたので、次のショートステイの後から そのままずっとこちらでお預かりできますが、どうですか?」

「えっ!? ・・・・」

私は一瞬 絶句してしました。

 

入所の申し込みをしてから、すでに1年と4ヶ月も待たされていたので、迷うことなどないはずだったのに。。。在宅介護の限界を感じ、心身ともに疲れ果てていて、いまさら迷うことなんて、なかったはずなのに。。

私は気持ちが動転して、「少しだけ考える時間を下さい」と伝え電話を切りました。

 

このことを、当の本人である母に伝えても、全く理解できないでしょう。

動揺し泣いている私を見て、母は困ったような顔をしていました。

 

次のショートステイからの入所だと、あと1週間後位でした。

2日ほど悩んだ末、やはりこのタイミングで入所をお願いすることにしました。

ここでパスしてしまうと、次はいつ声がかかるかわかりません。

 

入所時期をほんの少しだけ延ばしていただいたものの、結局、連絡を受けた時からたった2週間後には、母は施設に移っていきました。

 

母が家に居られる最後の2週間は、とても密度の濃い時間を生きた気がします。

あと残り何日、何日。。。と日々カウントダウンしながら、母がこの家で過ごす最後の姿を目に焼き付けました。

 

入所させる当日は、朝からバタバタして、ゆっくり別れを惜しむ間もなく送ってしまうことになってしまったけれど、今考えると、その方がお互いに良かったのかもしれません。

 

施設に会いに行くと、今のところまだ家にいた頃と同じように 私に接してくれます。

施設に預けたこと、気づいてないのかな?

・・・・と、私としては都合よく思いたい気持ちはあるけれど、母はきっと頭ではなく、感覚的にはわかっているような気がします。

本来なら、

「家族と離れて淋しい」とか。「家に帰りたい」とか。

「もうこんなとこいるの嫌だー!」とか。

そんなわがまま言っていいはずなのに、黙って現状を受け入れている母を見ると、かわいそうでたまらないのです。

 


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