手術しない変形性股関節症と親の介護ブログ

親の介護体験や 変形性股関節症 保存療法への取り組みに関する記録

母の認知症をはっきり受け入れた日

母はアルツハイマー認知症で、2021年現在95歳、要介護4で介護施設に入所して1年7か月ほど経ちます。今でも笑顔はあり、言葉も少し発するものの、会話にはなりません。家族である私や兄のことも、はっきりとはわかっていない様子です。

 

母の認知症の発症がいつからかということは、一緒に暮らしていた私にもはっきりと自覚することはできません。ただ、日記にはわりと記録を残してあるので、自分の記憶と重ねて 前兆となるようなことも探っていければと思っています。

 

私たち家族が母の認知症をはっきりと自覚し受け入れたのは、2011年から。

2011年4月~母は認知症の薬を飲み始めています。85歳でした。

 

毎年、介護予防支援の案内が届いていましたが、今までは両親とも関心を示さなかったのでスルーしてましたが、このところ母の様子がおかしいことは気になっていたので、この年は受けてみることにしたのです。

 

申し込むと後日、女性の保健師さんがふたりやってきて、母にいろいろ質問したり、家族である私にもいろいろと聞き取り調査をしました。

 

 

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この当時の私は、母が認知症である可能性はきわめて高いと考えてはいたものの、それを認めて一歩踏み出す勇気がなかなか出ませんでした。

 

そんな もやもやした気持ちのまま、聞き取り調査に応じました。

 

保健師さんからは「なるべく早めに認知症の検査を受けられた方がいいですよ」と、強く勧められてしまいました。

 

「やっぱり。。母の様子は。。おかしいですよね?」

わかっていても、そのときの私はわざわざ聞き返していました。

 

家族だと特別な感情が絡んで、客観的に現実を見ることができない場合もあります。

 

そのことは、よーくわかっていました。

 

だからこそそのときの私は、第三者である他人から、はっきりそれを伝えてもらい、背中を押してほしかったんだと思います。

 

それからすぐ、主治医に相談し認知症の検査を受け、薬も処方してもらうように動きました。

 

母が認知症と診断されても「やっぱり」という思いが強くて、もはやショックではありませんでした。これからどうなっていくんだろう、という漠然とした不安はありました。

 

介護サービスを受けるための介護認定を受けたのは、さらにまた それから3年後です。

 

 

miyuyuchang.hatenablog.com

 


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股関節症1年目2010年の記録

2009年の暮れから股関節の激しい痛みを我慢していた私は、2010年1月5日 整形外科の年明けの診察が開始するとすぐに受診しました。

 

変形性股関節症発症から1年目 2010年の記録です。

 

このときレントゲン画像を見ながらの説明を受けた中では、はっきりとした病名は出なかったので、変形性股関節症ですか?と、こちらから確認し、「そうです」という答えをもらいました。

 

ドクターの説明によると、変形はありますが まだ深刻な状態ではなく、骨の壊死は起こっていないとのこと。ただ、変形は確実にあり接触部分は白っぽく写されていました。この状態が進行すると、骨の壊死も起こり歩行困難になるなど、手術が必要なレベルになるらしいのですが、あれから11年経っている今現在の私の骨はどうなんだろう?

痛いながらも、なんとか歩けてますけど(でも、1日5000歩くらいが限界かな)

 

その時点では、塗り薬、筋弛緩剤、鎮痛剤を処方されて帰りました。

 

その一週間後に受診したときには、ひどい痛みは引いていたので、あとは塗り薬だけで様子を見ましょう、ということになりました。

 

それから私は、股関節用のサポーターを購入したり、股関節痛に効果があるというストレッチの本を図書館で大量に借りてきたり、股関節痛に効きそうなものを探しました。

 

ちなみに、股関節用のサポーターは2種類買って使ってみましたが、私には合いませんでした。痛みがひどいうちはたしかに装着していると楽かな、と思え、外出時にも着けていたことがあったのですが。。。

 

しばらく使い続けているうちに、股関節周りの柔軟性が失われ、外してからも固まって動きが悪く感じられ、痛みが強く出るようになってしまいました。

 

ただ、このような現象が出たのには個人差があると思うので、股関節用のサポーターはよくない、と評価しているわけでは決してありません。

 

このとき私は大量の本を処分しました。本が好きだったので、その頃の私は本棚に収まり切れず、押し入れの中にもダンボールに入った本をたくさん持っていましたが、必要最小限のものだけ残し手放しました。

 

脚が悪くなった今、重い荷物はこの先ない方がいいと決断しました。他にも押し入れの奥や棚の上など取り出しにくい所にしまっておいた物は、このときかなり手放しました。

 

この年は抱き枕や骨盤矯正クッションなどは買ってみました。

寝ていても股関節が痛むことがあったので、抱き枕はたしかに楽でした。骨盤を安定させるような形状のクッションも私には良かったです。

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この年は月に一度の受診で、一年間整形外科へ通いました。

 

歩きすぎるとそれなりに痛みは出ていたようですが、日記によると旅行に行ったり遊びに行ったりで、一日14000歩~15000歩位歩くこともできたようなので、今と比べるとまだこの年はだいぶ状態は良かったことがわかります。

脚長差もまだなかった頃です。

 

整形外科では塗り薬を出すだけで、私もそれをまめに塗っていたわけではなかったので、もうやめたいな~と思いながら通院していました。整形外科ではこの先、治る見込みも良くなる見込みもないことがわかっていたので。。

 

ドクターからも「どうですか?」と毎回聞かれるたび、そんなに良くなっていたわけではないけれど、「たいぶいいみたいです」と答え、その繰り返しになっていきました。

 

すると年末にドクターの方から、とりあえず終了し、様子を見ましょう、ということを言われたので、そうすることにしました。

 

当時の日記によって詳しく見ていくと、この頃は思ったより痛みは軽めで歩けていました。でも、塗り薬が効いていたわけではないと思います。そんなに使わなかったし。。

 

ただ、季節にも影響されるのか、梅雨時と晩秋の頃に、強い痛みが出ていたようです。

 

股関節症発症から1年目はまだ脚長差も出てなくて、脚の筋力もそんなに落ちてない頃だったので、時折痛いながらもなんとか持ちこたえていた時期だったのだと思います。

 

整形外科ではない方法で、股関節の不調を治せる道をなんとか見つけようと模索していました。

 

発症2年目以降の記録も、当時の日記をもとに今後少しずつ、記事にしていきたいと思っています。

 

2009年発症時の記事はこちら


miyuyuchang.hatenablog.com

 

 

  

 
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インフルエンザになっても介護は休めず

今週のお題「下書き供養」

 

3年前のちょうど今頃、私はインフルエンザにかかりました。

 

2018年の4月半ば 父が入院していた時期でした。父と同じ病室の人がインフルエンザを発症していたことが後でわかりました。どうやら私は父の見舞いに行った際に、うつされてしまったようです。

 

私は今でもそうですが、マスクは苦手です。

 

マスクは息苦しくなるので、その当時の私は病院でもほとんどマスクは着けていませんでした。病院側でも春になり、インフルエンザの流行が収まってきた時期ということもあってか、マスク着用を呼びかける表示もなくなっていました。

 

日記によると、父の見舞いに行ったその翌日は 父の寝室の大掃除や下着や寝巻などの在庫チェックをし、その翌日から具合が悪くなっているけれど、まだ単なる風邪だと思って母の介護をいつも通りしています。

 

その日の晩、頭痛や関節の激しい痛みで眠れず、熱は37度7分まで上がっていました。

 

そんな状態でも夜間、母のトイレ介助はフラフラになりながらしていました。

 

そのときもまだ、熱はそんなに高熱とは言えないし、インフルエンザとは思いませんでした。

 

ひどい風邪ひいちゃったな、と思い、ほとんど眠れないまま翌朝病院へ。

 

そこで検査してもらうと、インフルエンザA型だと判明。

 

インフルエンザになんて滅多にかかったことがないのに、父が入院しているこんなに忙しい時期になんでーー( ᵕ_ᵕ̩̩ )と思いましたよ。

 

咳はほとんど出なかったものの、母にうつしたら大変!という不安が、そのときから急に湧いてきました。

 

母の介護は兄とふたりでしているので、ひとりがダウンしてもなんとかなるでしょ!と思われるかもしれませんが、私は脚に障害があり、兄にも持病があり、二人合わせても体力的には健康な人のひとり分にも満たないと思います。

 

また、家事に関しては私がほとんど担っているので、私がダウンしてしまうと、食事にも困ってしまう事態が発生。兄がお弁当など買いに出るにしても、私が寝ていたらその間 母を見ている人がいなくなってしまいます。

 

その日は、家にあるレトルト食品や冷凍食品などでなんとかしてもらい、私は薬を飲んで昼間も少し寝かせてもらいました。

 

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その頃の母は、尿パットやリハビリパンツを使っていましたが、そこですべて完結できるわけではなく、トイレにも行っていました。そこでちょくちょく大失敗し、その後の処理が大仕事となることがよくあったのです。

 

でも、私がダウンしているときには、なんとかセーフでした(;^ω^)

 

少し元気が回復してきてからは、いつも利用しているネットスーパーに、手間暇かけずに食べられそうなものを大量注文しました。介護で自由に外出できなかったとき、ネットスーパーには本当に助けられました。このようなシステムがない時代だったら、どうしてただろう?と、すごく不安に思います。

 

インフルエンザとわかってからは、家でもマスクをして母に接してはいましたが、それまでの期間は、ノーマスクで母に接近して大声で話しかけたり、同室で寝てましたが母はうつされることもなく元気でした。

 

やはり、毎年打っているインフルエンザワクチンの効果ということでしょうね。兄も基礎疾患があるため、インフルエンザワクチンは打っていましたし、父の見舞いに行く際にはいつも真面目にマスクを着用していました。

 

ちなみに同室の患者さんでインフルエンザの人がいた父も、感染はしていなかったようです。父もワクチン打っていました。

 

ワクチンは打っていなかったし、マスクを着けなかった私だけが、まんまとインフルエンザの餌食になってしまったということですかね。

 

インフルエンザでもゆっくり休めなかったあのときは、本当に辛かったけれど、今こうして思い出してみると、ただただ懐かしい( ⁎ᵕᴗᵕ⁎ )

 

 


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痛みの感じ方は人それぞれ

冬の寒い時期に硬直していた筋肉が、春先になり暖かくなってくると緩むせいか、ここ数年春先には春先特有の股関節の痛みが生じていましたが、今年はそうでもないです。

 

もちろん、全く痛みがないわけではないですが。

 

私は常々思います。私と同じ股関節痛を抱えている人は、どの位の痛みを感じ、どの位のレベルの痛みになったら耐えかねて手術を決断しているのだろうか、と。

 

脚の障害を抱えた方でも、社会に出て働いている方をたくさん見かけます。

 

変形性股関節症を患っていても デスクワークの仕事なら、できなくはないのかなと思いますが。看護師さんや介護施設のワーカーさん、スーパーのレジ打ちやウェイトレスのお仕事をされている人でも見かけます。

 

こんなにハードな仕事をして痛くはないのかな、と心配になり疑問にも思い気になります。

 

今の私には、立ち仕事や動き回るような仕事は絶対に無理です。

 

では、私より脚の悪そうな方でもそのような場で働いている人達は、私よりも痛みは強く出ているけれど、我慢強いから大丈夫なのか?といったら、そうではない気もします。(もちろん、そういう人も一部にいるかもしれませんが)

 

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変形股関節症の痛みの出方は、かなりの個人差があるようです。

 

見た目にかなり脚長差が生じているなど歪みが大きく出ていても、痛みはあまり感じられない方もいるようです。当然、その逆もあります。

 

私は日々股関節に痛みを感じ、数年前まではかなりの激痛も経験していますが、痛み止めの薬は飲みません。過去に整形外科を受診した際に出された痛み止めを、一週間程度飲んだことがあるだけで、その後は一度もありません。痛み緩和の湿布なども使おうとは思いません。

 

蒸し暑くなってくると片頭痛に悩まされることが多いのですが、薬は飲みません。

 

薬は飲まない!というポリシーがあるわけではないのですが、薬を習慣化してしまうと痛みに弱い身体になってしまうような気がして。。

(これは私が勝手に思っているイメージですよ(~_~;))

 

とにかく痛くなったら、休む! そして余裕があればマッサージする。瞑想する(これはなかなか習慣化できないけど。。)といった方法を優先したいです。

 

長年に渡り痛みと共に生きているので、普通の人よりは痛みに強い人間にはなっているかも。とは思います。

 

でも、私は痛みに対して我慢強いのか?といえば、そうではないかな。

 

ちょっと紙で手を切っただけでも、怖くてなかなか傷口を確認できない人です(^_^;))

 

痛みは数値で示すことができないので、自分の痛みレベルは他と比べてどうなのか?なんてわかりませんよね。

 

また、なにか楽しいことに熱中していると痛みなんて忘れてることもあれば、今まではなにも感じなかったのに傷口があることを発見したとたんに痛みだす、なんてことはよくあること。

 

痛みというのは、ある程度脳によっても だませるものなのかもしれませんね。

 


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検査検査で引っ張り回された93歳の父

2018年の今日3/27日。父は肺炎で入院しました。このとき父は93歳でした。

 

思い起こせば、ここからが両親共々介護するという、厳しいW介護の幕開けでした。

 

父が具合が悪くなってから入院するまでは、1週間ほど期間がありました。

 

かかりつけのクリニックで薬や注射をしてもらっても良くならず、総合病院への入院を手配してもらうも、週末は受け入れができないようで、かなりひどい状態にまで陥ってしまいました。

 

週明けに紹介状を持って総合病院に行った結果、そのときの父は、肺炎により心不全も起こしていました。さらに、2012年に腹部大動脈瘤の手術をした際に入っているステントグラフト周辺に炎症が認められ、深刻な感染症の疑いも伝えられました。さらに後で判明したのは、背中に圧迫骨折も起こしていたようなのです。

 

この日病院に着いた父は、息苦しさと背中の強い痛みを訴え、このところ何日もそんな状態が続いておりすっかり衰弱していました。

 

食事も睡眠も満足に取れない状態で歩くのもやっとのはずでしたが、父は気丈にも自力で歩いていました。

 

そのころの私は、車椅子を扱ったことがなかったので、父を車椅子に乗せるという発想がなかったことが悔やまれます。

 

この日は朝の8:30~午後の15:30頃まで、休む間もなくいくつもの科に回され、数々の検査をさせられました。

 

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日記に記録として残してある検査や診察だけでも、

 

腹部CT検査→内科受診→血液検査→心電図→尿検査→胸部レントゲン→外科受診→血液検査→内科受診→心エコー検査→内科受診→入院説明

 

総合病院内はかなり広く、内科は旧館、外科は新館と、かなりの距離を歩くことにもなり、検査室も分散しているので、途中で父が力尽きて死んでしまうのではないかと本気で心配になりました。

 

こんなに具合の悪い人を休ませることもなく、こんなにたくさんの検査を一度にさせていいのかな?

 

いや。よくないでしょ( ゚Д゚)!? …と思っても、ここは病院だしそんなこと訴えても、モンスター患者扱いされるだけなのかも。。と考え直し、指示されるがままに動くしかありませんでした。

 

でも、この超過酷な検査の一日によって、父の具合はさらに悪化したように思えてなりません。

 

入院が決まり父は病室へ。私はいくつもの書類にサインし、病院内の売店でお弁当を買っていったん帰宅。

 

ドクターから、命の危険があると知らされていた私は、この日家に帰って母と兄の顔を見るなり、大泣きしてしまいました。

父の死というのを、初めて強烈に意識した日でもあります。

 

認知症の母は、父の入院も私の泣いている意味もわからないようでしたが、人の感情はとても敏感に伝わるようで、とても悲しそうな顔をして困っていました。

 

一日中なにも食べていなかった私は、買ってきたお弁当を大急ぎで食べ、母のことは引き続き兄に任せ、入院に必要な最低限のものを揃え、再びタクシーで病院に向かいました。

 

病院の桜が満開を迎えるころでした。あれからもう3年経つんだなぁ。

 

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股関節症 発症時2009年の記録

股関節の痛みが本格的に出始めたのは、2009年10月頃から。47歳でした。

それまでは、多少歩きすぎても特に長引くような痛みが出ることはなく、旅行に行くこともできたし、普通に生活できていました。

30歳頃と40歳頃にも、股関節の痛みと違和感を感じて、整形外科や治療院に少しだけ通ったことはありましたが、それは長引くことなく治っていました。

 

当時の日記によると、2009年10月20日に日帰りで軽井沢に遊びに行き、2万歩以上歩いています。この後、痛みが何日間にも渡りずっと続いています。

 

また、この年には第九の合唱に参加していて、そのための練習にも毎週通っていました。年末までの本番に向け、練習もハードになっていきました。

 

12/13日の本番の日には、舞台袖で待っている時間も含め、立っている時間が長くあり、痛みを我慢しすぎて途中、貧血を起こしそうな感じにもなりました。

 

 

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このことも股関節にさらなる負担をかけることになっていた気がします。

 

変形性股関節症はある日突然やってきた!...とまでは言い切れないものの、当時の私にとっては、それに近い感覚でした。

 

その時にはまだ自分が変形性股関節症という症状であることは、はっきりとは認識していませんでしたから。

 

第九の演奏会が終わった後から、年明けに整形外科に行くまでの間は、今まで経験したことのない長引く痛みや股関節の違和感と闘いながら、このただならない症状がなんなのか、あちこち検索して調べてみました。

 

そこでやっと、私は変形性股関節症に違いない、と気づいたのです。

 

そのときの私は、とにかく整形外科に行くしかない!と思いました。ただ、それに気づいた時にはちょうど年末年始の休診期間に入ってしまい、年明け初日の受診日までなんとか我慢していました。

 

12/28日の日記には、「変形性股関節症だと気づいたら、太ももより左の股関節を中心にまた痛み出した」と書かれています。それ以前の日記には、太ももが痛い、とだけ書かれていることが多かったのですが、股関節が原因とは思ってなかったからかもしれません。

 

◆2021年58歳春の記録◆

昨日は父の墓参りに行き、帰りには買い物もして4000歩ほど歩く。

 

いつものようにある程度歩いた後の痛みや疲れはあるものの、レベルとしては想定内。

 

もっと改善させたい気持ちはあり、改善に向け取り入れたいことも数々あるけれど、なかなか着手できず。これもある程度想定内ながら、なんとかしたい!その思いだけが いつもぐるぐる回っています。

 

 

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休める喜びは 忙しいほど大きいものなのかも。

今週のお題「〇〇からの卒業」

 

両親を在宅で介護していた生活から卒業して はや1年半ほど経ちます。

 

両親の介護をしていた頃は、股関節の痛みも常にあるため、とにかく日々疲れて疲れて、心底疲れ果て、それでも気力を振り絞って身体を動かしていました。

「ほんの一瞬でもいいから休みたい、休みたい、休みたい。。」

という想いが、常に頭の中を渦巻いていました。

 

母がデイサービスやショートステイに行っている間にも、買い物や掃除、父の身の周りの世話や雑用など、やるべきことは山積みで、ゆっくり休んでいる暇などありませんでした。

 

自分のことでやりたいこともたくさんありましたが、やりたいことができるなんて、当時は夢のまた夢でした。

 

今なら、ゆっくり休もうと思えば休める時間は十分にあります。常に気を張り詰めて、見守らなければならないという任務もありません。

 

それでも、ほっと一息つける時間にも、ザワザワ、ザワザワ、気持ちは落ち着かず、、ぼーっと無心になれるような感覚は失っています。

 

介護生活から急に解放されても、24時間臨戦態勢だったあの頃の感覚が、今でも形状記憶のように身体にも心にも残っている感じ。

 

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 せめて股関節が悪くなかったら、もう少し楽にこなせるはずなのに・・・と、介護の間、いつもやりきれない思いでいました。

 

私には子供がいないので、高齢になり介護が必要になってしまったら、最終的には施設だろうと考えています。

 

将来 介護施設にお世話になるとしたら、そこではどんな生活で、そのとき私はどんな気持ちになるのだろう?

 

このところ、なぜかそんな想いが脳裏を行ったり来たり。

 

私は股関節が悪いので、現実的に考えると超高齢まで長生きできたら、歩行はかなり困難になっているかもしれません。

 

せめて認知症状は出ないことを祈ります(。-_-。)☆彡

 

施設に入れば身の周りのことはなんでもやってもらえ、読みたい本を読んだりすることは思う存分できるでしょう。それなりにレクリエーション活動や季節のイベントなどもあり、もはやその頃には将来的なお金の心配や 家族の心配もなくなっているのでしょう。

 

あとは、寿命が尽きるまでのカウントダウンを、施設で静かに送る日々。

介護に忙殺されていた頃に熱望していた【休むこと】が、思う存分満喫できる日々。

 

介護施設じゃなくても、お金に余裕があれば、悠悠自適な晩年を送ることは可能かもしれませんね。

 

そういった世界は、いま目の前にある面倒なことが一気に排除された 楽園生活のようにも感じられます(*'ω'*)☆彡

 

でも、それは、今の私にはまだ将来への不安もあり、やりたいこと、やるべきこともたくさんあるという、忙しい日々があるからこその羨望でしょう。

 

楽園生活では、今の私だと生きる力が萎えてしまいそうだ(*´Д`)

 

日々やるべきことや不安を伴う忙しさがあるからこそ、休めるときの喜びは大きく、やりたいことはなかなかできないからこそ、実現できた時の喜びは大きいのかもしれません。

 

楽園永住への憧れは一瞬浮かぶけれど、今はまだ気持ちがザワザワしたままでもいいかな。不安含みの大海をバシャバシャ泳ぎ、時々見つけた小島で休んでみたりする方が、今の自分には合っているし、生きている実感も得られる気がするのです。

 

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